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第二言語教育の「常識」 ─ 基礎日本語教育を考える(3)

今回の目次は、以下の通りです。
2.第二言語教育に与えられた課題は何か
2-1 言語の上達
2-2 言語活動従事
2-3 言語技量
2-4 言語知識の拡充と言語技量の増強

2.第二言語教育に与えられた課題は何か
2-1 言語の上達
 前回の1-2の中程で、「日本語教育の目的は、学習者における日本語の上達を支援し促進することです。ですから、日本語プログラムは、学習者における日本語上達の経路を反映したものであることが重要です」と書きました。この見方では、実は、日本語上達の経路を、一定の幅はありながらも一つの路線として想定しています。そして、一つの路線として想定しているということは、総体的な日本語技量(Japanese language capacity)のようなものが一つの全体性としてあって、それが増強していくというイメージになっています。ここで検討しておかなければならないのは、日本語上達の経路を一つの路線として想定することがはたして妥当かということです。
 言語能力についての話を一つ。わたしたちの身近なところで、英語力を考えてみましょう。受験勉強をしっかりして多くの人はかなりの英語力を身につけています。そして、iELTSで、聴解力はCEFRで言うB1(中級前半修了)くらい、読解力はB2(中級後半修了)くらいにまで達している人はかなりいます。しかし、そのような人でも、実用的なコミュニケーション力や日常的な会話力になると、どうかするとA1(基礎前半修了)です。これはどういうことでしょう。単に、聴解と読解は強くて、会話は弱い、ということではありません。
 タネ明かしです。iELTSというのは要は大学等での勉学に対応できる英語力、つまりアカデミック・イングリッシュの能力を測るテストです。それには、英語力とともに一定程度の教養と論理的な思考力なども含まれています。ですから、それで測られる英語力は、実用的なコミュニケーションや他愛のない日常的な会話をする英語力とは質的に異なる、ということです。そのあたりの事情を図式的に示すと以下のようになります。以下での、表現活動能力というのは、産出と受容の両方での中身の表現に関わる言語能力のことです。

 A. アカデミックな言語力 = テーマの表現活動能力×アカデミックなやり取り
              運営能力

          B2:各種テーマの表現活動能力
 B. 表現活動能力
            B1:自己表現活動能力
     
                    C1:自己表現活動能力×やり取り運営能力 = 日常的な会話力
 C. 会話力
        C2:実用場面での会話力  = 実用的なコミュニケーション能力

 教育の企画と絡めてこの図式を見ると、以下のことがわかります。

(1)実用的なコミュニケーション能力発達の路線(C2)と表現活動能力発達の路線(B)はまったく違う。
(2)自己表現活動能力発達の路線(B1)は、各種のテーマ表現活動能力発達の路線(B2)に接続することができ、さらにアカデミックな言語力発達の路線(A)へとつながる。
(3)自己表現活動能力は、B1とC1で重複している。つまり、自己表現活動能力発達の路線(B1)にやり取り運営能力をかけ合わせれば日常的な会話力発達の路線を敷設することができる。

 このような事情を考えると、教養ある言語ユーザーとなる上級段階までをめざすコースの企画では、以下のような認識が適当となります。

(a)表現活動能力発達の路線を柱としたプログラムを策定する。
(b​)日常的な会話力も身につけさせたい場合は、日常的な会話力発達の「副路線」を敷設する。
(c)実用的なコミュニケーション力発達の路線はまったく違う路線なので、その路線は「別途の路線」となる。

 そして、表現活動能力発達の路線では「総体的な日本語技量のようなものが一つの全体性としてあって、それが増強していく」ということが可能です。実用的なコミュニケーション力発達の路線ではそのようなことができません。文型・文法事項積み上げ方式のアプローチが日本語上達というねらいを達成することができそうにないことは前回述べました。
 このような理路で、上級段階までをめざすコースの企画では、表現活動能力発達の路線を柱とするのが適当だということになります。

2-2 言語活動従事
 日本語力のことをここでは日本語技量と呼んでいます。日本語技量とはわたしたちが、あるいは学習者が、さまざまな言語活動に従事することができるという能力のことです。
 これまで言語教育では、言語の知識(語彙、文法)とそれらを組み合わせて行われる、話す、聞く、読む、書くという4つの技能が注目されてきました。しかし、その見方は言語ユーザーの言語能力を反映したものではなく、ひじょうに「教える人目線」の言語能力の見方です。むしろ、言語ユーザーの能力は言語技量(language capacity)として一つの全体性となっています。
 日本語の上達というのは、学習者が、より広範な言語活動や、より高度な言語活動に、より有効に、従事できるようになることです。そして、それは、言語技量を増強していくことです。第二言語教育は、言語技量という一つの全体的な能力を増強することに意を注がなければなりません。では、改めて、言語技量とは何でしょう。

2-3 言語技量
 上の自己表現活動能力発達の路線で説明しましょう。
 自己表現活動中心の基礎日本語教育のカリキュラム(NEJの目次を参照)では、ユニット3のテーマは「好きな物、好きなこと」となっていて、ユニット4は「わたしの一日」、ユニット5は「金曜日の夜」、そしてユニット6は「外出」となっています。それぞれのテーマの言語活動に従事できるためには、その言語活動従事を仲立ちする言葉遣いを身につけなければなりません。各々の言葉遣いは語や句の組合せでできています。ですから、学習者は言葉遣いを身につけながら、それを構成している語や句も習得することとなります。つまり、一つのテーマの言語活動従事ができるようになるということは、以下の知識や能力を身につけることになります。

①テーマの言語技量
②言語活動従事を仲立ちする言葉遣い
③言葉遣いの要素となっている語や句

 そして、ユニット3の「好きな物、好きなこと」をめぐってこうした知識と能力を身につけた学習者は、ユニット4で次のテーマ(「わたしの一日」)に進むわけですが、ユニット4のテーマの言語技量を育成する際には、ユニット3ですでに身につけた言葉遣いや語や句などにユニット4で新たに学ぶ言葉遣いや語や句などが複合して、ユニット4で期待される言語技量が育成されることになります。つまり、ユニット3で育成される言語技量とユニット4で育成される言語技量が連続的で累積的になっているわけです。ユニット4からユニット5でも同様で、ユニット5からユニット6でも同様で、それ以降も同様です。
 このように日本語が上達するという言語技量発達の経路は、一つの全体的な能力としての言語技量増強の経路であり、その内部では言葉遣いや語や句が相互に連関しながら拡充されていくということが行われます。つまり、言葉遣いや語や句の相互関連的な拡充とそれと並行した言語技量増強の経路が、言語技量発達の経路となります。

2-4 言語知識の拡充と言語技量の増強
 こうしたこと、つまり言葉遣いや語や句の相互関連的な拡充とそれと並行した言語技量増強がうまくできるのは、表現活動能力を柱とした教育企画だけです。
 言語知識の拡充がないと、日本語の上達はやがて限界を迎えます。日本語を上達させるためには言語知識の拡充が必要です。しかし、言語知識の拡充を日本語の上達の路線とは別途に行うというふうにすると、その言語知識の拡充は言語技量の内部で統合された形で行われず、一つの全体としての言語技量に内具された言語知識とはなりません。
 言語知識の拡充は言語技量の増強の脈絡で行われなければなりません。そして、そうしたことが具体的な授業実践で可能になるのも、表現活動能力発達の経路に沿って策定された表現活動中心の日本語教育の教育企画です。

 日本語の上達や言語技量の発達ということをしっかりとイメージすると、以上はごく常識的な考え方で、論理的な帰結だと思います。そして、逆に言うと、これまでの日本語教育の企画は、しっかりと考え抜いて筋を通して立てられた企画とはどうも思えません。実際には、企画などなくて、ただ教科書だけが「一人歩き」しているのですが。
 日本語教育にコミュニカティブ・ランゲージ・ティーチングが入り始めたのは、1980年代です。筆者自身、コミュニカティブ・ランゲージ・ティーチングを日本語教育に紹介した当事者の一人だと言っていいでしょう。しかし、実は、コミュニカティブ・ランゲージ・ティーチングを紹介しつつも、同時にコミュニカティブ・ランゲージ・ティーチングの危うさを感じていました。そして、当時の筆者は、コミュニカティブ・ランゲージ・ティーチングの考え方や方法を紹介しつつも「教育の企画にあたっては、日本語力の健全で着実な育成ということをよく考えなければならない!」と警告していました。今振り返ってみれば、「言葉遣いや語や句の相互関連的な拡充とそれと並行した言語技量増強」というのが、当時感じていた「日本語力の健全で着実な育成」なのだと思います。

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