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統合医療総論の構築 (総論の脱構築による組織運営論への第一歩)

 前回、少し記載した統合医療の総論について解説してみましょう。内容が内容ですので、分かり易いとは言い難いのですが、出来るだけ簡易に述べてみたいと思います。
 内容の性質上、以下、である調で述べます。

 統合医療の総論の骨子として、大きく三つのカテゴリーに大別して考えることにする。

第一は、統合医療が「統合医療」であるための最低限の要素、つまり「原則(プリンシプル)」。

 第二は、実際の在り方、つまり診療を中心とした医療としてのモデル、さらには実社会への適用としての社会モデルといった「適用(モデル)」。

 第三は、個々人が有する統合医療というものに対しての、考えうる理想としての体系、これはある種の信念体系であるが、その中でもこれまでの議論の中で適切であろうと考えられる三つを、「体系(システム)」として提示した。

 以下がそのまとめである。

 <まとめ>

1.原則(プリンシプル)

 1)補完性
 2)多元性

2.適用(モデル)

 1)医療モデル
 2)社会モデル

3.体系(スタイル)

 1)統合主義
 2)多元主義
 3)モード2

1.原則(プリンシプル)
 補完性とは、CAMを扱うことに加え、正統に対峙する補完的要素を反映させることであり、そのまま医療の方法論の多様性へと開かれる概念である。
 またそれはCAM独自の位置づけを重んじた立場でもあり、加えてそれに携わる人々の多様性にも通じることから、さらに多元性といった二つ目の概念も導かれる。
 つまり、補完性と多元性という二つの概念が、統合医療の原則となりうるものであり、その他の諸概念はここから導かれてくる。

1)補完性

 統合医療とは、あまた存在する補完医療や伝統医学を内包したものであることから、補完性が原則であることはいうまでもない。
 唯一とされる「正統」に対して、補完的・代替的なもう一つの立場を認めるということは、あらゆる統合医療のこれまでの定義とも整合性がある。つまり、統合医療をそれたらしめる最も重要な概念である。

2)多元性

 統合医療において、教条的な唯一の正統といった立場をとらないということは、その「多様性」を認めるということに他ならない。そしてその在り方は、各々の個性を重視する「多元的」思想であるべきである。
 これは介入の方法論における多元性に止まらず、それにかかわる人々の多元性と、二重の意味合いがあり、ここから多職種連携の必要性も導かれることになる。ただしこの概念は、悪しき相対主義と背中合わせでもあり、多様性の思想の難しさである。

2.適用(モデル)

 適用(モデル)には、実際に統合医療を行うにあたって個別の診療場面を想定する「医療モデル」と、社会システムとしての場面を想定する「社会モデル」がある。
 その他にも、セルフケアなどを主題とする「生活モデル」等も考えられるが、それを医療の個人への適応として、未病対策のように捉えるなら、現段階としては医療モデルの亜型として扱うことが可能であろう。よって、ここでは二つのモデルとして扱うことにする。

1)医療モデル

 統合医療が、医療の方法論として、どのように個人に適用されるのか、といったモデルの在り方である。つまり統合医療としてのその内容や効果など、医療現場において用いられる疾病治療の体系そのものである。そうしたことから「狭義の統合医療」と称されることもある。加えて、患者中心主義はこのモデル内の概念として捉えることができる。

2)社会モデル

 実社会においての統合医療的介入や発想をもとに、適用された施設や取り組みである。つまり社会における団体や仕組みそのものを対象としている。これは多様な地域住民の生活の質の向上を目指し、結果として地域の活性化につながるものであり、「広義の統合医療」と称されることもある。

3.体系(スタイル)

 これまでに述べた共通の「原則」と「適用」を踏まえながらも、統合医療を展開するにあたっては、個々人の信念体系とも言える考え方が大きく影響する。
 こうした信念の相違が、時に大きな対立を生じるものでもある。そうした広範な信念体系の中から、二つの原則に矛盾しない形で大別すると、以下の三つの体系が抽出しうる。


 まずは心理・精神医学の領域にその範を求め、精神科医ナシア・ガミーの議論を基にした多要素併存の在り方を分類した四つの主義を援用する。これは、教条主義(dogmatism)、折衷主義(eclecticism)、統合主義(integrationism)、多元主義(pluralism)である。この四つのうち教条主義と折衷主義は、先に掲げた原則に合わないので、必然的に統合主義と多元主義が残ることになる。


続いて科学や知識の在り方を示したモードといった考えに基づいたモード1とモード2といった視点である。従来の正統とされる科学の在り方(例えば古典物理学)であるモード1に対して、その乗り越えとして提示されたものがモード2であり、双方向コミュニケーションなどモード2を構成する概念と統合医療の実情を考え合わせると、明らかに後者となる。

 よってこの三つの体系が、現状としては原則に矛盾しないものと考えられる。ただしこの「体系」は、「原則」と「適用」と異なり、時代の流れの中で、その背景を成す思想・哲学の更新により、逐次改訂されうるものと理解されたい。

1)統合主義

 四つの主義のうち、教条主義は一つの考えのみを認め他を認めない考えであり、折衷主義もまた、原則における多元性と相いれないため棄却される。こうして統合主義と多元主義が抽出されてくるのであるが、このうち将来的に一つに収束する思想が統合主義である。現状においては伝統医学の科学的解釈(近年の経絡ファシア論などが代表的)に、その典型を求めることができる。

2)多元主義

 医療において広く多様性を考えた場合、四つの主義においては折衷主義と多元主義の二つになる。そしてこの二つの本質的な相違点は、多様な中での選択に伴って十分な吟味や熟慮があるか否かという点である。つまりそこに十分な吟味のもとでの選択・決断があれば「多元主義」であり、ただ吟味もなく並列されているのであれば「折衷主義」となる。
 つまり「吟味・選択」がその分水嶺となる。統合医療において、主体的選択が重要なものであるならば、それを内包するものが多元主義であると表現することもできる。

3)モード2

 科学という営みに対して、従来の学術的探究の文脈をモード1とする一方、その応用としての文脈はモード2として表現される。ギボンズらの研究から、伊勢田哲治はモード2科学の特徴として、応用の文脈、超領域性、組織の異種混合性、社会的説明責任と反射性、質のコントロールのための追加の基準、の5つを挙げ、そのコミュニケーションの方法として「双方向モデル」を提示している。これらの要素は、いずれも統合医療という新たな医療の形を描写するにあたって不可欠の概念である。
 ただしここで注意すべきは、モード1より優位なものがモード2ではないという自覚である。モード1では、エビデンスにより確定した基礎を有することから、その信頼性を強く担保される。しかしそれはモード2では必ずしも当てはまらない。それゆえに我々はモード2にあっても、モード1的な検証システムをないがしろにしてはいけないのである。こうした考えは、学問としての統合医療の確立にとって不可欠のものであり、ここに「統合医療学」の確立の意義がある。
 以上が、統合医療総論の概略になります。まだ試行錯誤段階の原稿ですので、後日、統合医療学会誌においてもう少しまとまった形式で発表する予定ですが、現状の記録として、ここに記載しておきました。
 こうしたメタ思考的な領域は、興味ない方にはつまらないものとなりますが、これもまた「統合医療」という未発達な若い学問領域にとっては、非常に重要なものでもあるのです。そして、こうした思考がなければ、具体的な臨床的な実践は、ともすれば空中分解してしまう事にもなります。
 新たな医療を模索するという事は、いろいろと面倒なプロセスを要するということでもあるのです。

 こうした総論に基づいて、ファシア論などの医療モデルに止まらず、これからは社会モデルとしての組織論を書いていきたいと思っております。


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