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日記をはじめてみる

日記をはじめてみる。
いつも通りのそのテンションで肩の力を抜いて。
無理のない範囲で。

COVID-19にまさか自分が罹患するとは。
BA.5による第7波の立ち上がりに巻き込まれる形で。
ちょうど忙しくてジムもサボっていたので、院内感染以外に考えられない。
いわゆるよくわからん発熱を見ている当科としてはどうしても紛れ込みが・・・。

認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを。

自宅隔離で時間ができたものの、思っていたより発熱と咳がハンパなく
また、いわゆる"ブレインフォグ"のような症状があり、気分悪くなって文字が読めず。嗅覚も一時完全になくなり味覚も激弱でストレスが。
ただし、色々ゆっくり考えることができて、昔考えていたことと全然違うこともあるなーと思い返す機会にもなった。
ということで、その時々に思っていたことを、記録しておこうと思う。

発熱と咳がしんどいことを実感したときに、意外と自分って自分自身の病気に対しては頑張れないものだと認識。発熱外来でオーダーされた採血も痛そうなので断ったし。人工呼吸器まではなんとかがんばれても、ECMOは絶対頑張れないし、その後もつらそうなので絶対しないでおこうと思った。

意外と自分が死ぬかもしれないと思ったときに未練は全然なかった。
このあたりは20歳くらいに自分が想定していたものとぜんぜん違う。
自由に生きさせてもらっているゆえ、やりたいこと、わりとやりきってきている感じがある。

もし自分に子供ができることがあれば、それだけがこの世への未練になりそうで、それだけが怖いなんて思っている。

浪人時代に読んだ小山田咲子の『えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛している』という本が自分自身にとても大きな影響を与え、自分の中のコアな部分で大きなものを占めているのだけれど。
予想外に異国の地で亡くなった著者の気持ちは誰にもわからないけれど、こういう思いだったのかな、と想像するものが、20歳の自分と今の自分で異なっていることに気づいた。
人間やっぱりいろいろ生きてみないとわからないことがあるな。きっと40歳までもし生きていたら、また別の感じ方があるだろう。

なかなか活字を読めなかったのだけれど、これまた自分のコアな部分で大きなものをしめている伊坂幸太郎の小説でリハビリした。
熱狂的なファンなので、2018年の『フーガはユーガ』までは全部 基本的に単行本と文庫本を集めているのだけれど、仕事の忙しさにそこで途絶えていたので、この機会に続きも集めていくことにした。

自宅療養中に『シーソーモンスター』と『クジラアタマの王様』を読んだ。ブレインフォグでなかなかにしんどかったが、2冊読み切る頃にはだいぶ症状もよくなっていた。やっぱりしんどいとき助けてくれるのは伊坂である。

シーソーモンスターはコロナ禍の今においては少し自分に刺さりすぎたが、名作であった。全然内容知らなかったけど、今の時期に読んだのは本当に運命を感じる。

自分が死んだ時に、というか死んでしばらく経ってからふと誰かに見つかったらいいな、そんな日記。

うそ、理想的には小山田咲子のブログが死後に本になったように、そういう誰かに影響を与えられるものになってほしいなと思っている。


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