小説現代一次通過者講評を読んで

WEBでもアップされたので色々考えていること共に今後のことも書いてみようと思います。

講評はこちら

https://tree-novel.com/works/episode/530b776790dbe4e50e02c437d97dc1dc.html

「幻日」小糸(東京都)

登場人物それぞれの複雑な立場や心理が巧みに描かれ、最後はそれらが10点満点という感じで見事に着地する。惜しむらくは描かれているのが心理の説明止まりで、その先の情念、情感までは伝わってこず読後に残るものがない。

https://tree-novel.com/works/episode/530b776790dbe4e50e02c437d97dc1dc.html

小説はこちら(現在毎日アップ中)
https://sutekibungei.com/novels/35cbb8f9-722f-4956-9440-0265bbf6b03d

嬉しかった点

全体的にもっと酷評だと身構えていたので、全体的にはほっとしました。見た瞬間はとても嬉しい、という気持ちが先に来ました。
「巧み」、「10点満点」、「見事に着地」、「惜しむらくは」という表現がとても嬉しかった。
全体的な構成は悪くなかったのかな、と思いました。


改善点

「描かれているのが心理の説明止まりで、その先の情念、情感までは伝わってこず読後に残るものがない。」
ここですね。これを見たときに「見抜かれたーーーー!」と思いました。笑
そして、あの作品の量を読んでる編集さんが、きっちり一作ずつ読んでくださってることにも感銘を受けました。
この感想を持つのは、初めての公募なので許してください。笑

「心理描写」は書いたつもりです。「心理描写がない」じゃなくてよかったなと。でもあの作品にはもっと情を込めるべきものだったのだと思いました。

この話、実は作家仲間にプロットを見ていただいたとき
「ミステリかヒューマンドラマかどっちつかずになるのが懸念」という指摘を頂いていました。まさにそれがまんま出てしまったんだろうと思います。
(プロット時点で見抜く彼女も凄すぎる)

なので、自分なりに心理描写は書いたつもりだったんですよね。特に夫婦のターンは気を付けて書いたつもりでした。
「登場人物それぞれの複雑な立場や心理が巧みに描かれ」とあるので、「心理描写」は出来ていたのだと思います。でも、求められるのはその先の描写だった。

で、そう言えばこれの次に「野性時代」に送ったものは、構成はグダグダだしどうなんだこれ、と思いながら書いてたんですが、書きながら感情移入してたんですよね。出てくる女の子に。最後すっごく悲しくなって、その気持ちを描写しようと必死だった。
特に書こうと思って書いたわけでもないんだけど、そういえば「幻日」ではそういう感情にまでは至らなかったな、と思ったんです。

一方で「ミステリ好き」な自分としては、淡々とした視点で進むミステリも大好きで、その上で構成に驚かされる、という作品もいいじゃないか、と思ったりもしました。
ただ、もちろんそっちに振るならばこの作品の構成は全然甘い。

そう考えたときに、私はどちらかというと後者で、ミステリが書きたいと思ったんです。構成が入り組んでて、割と淡々と進むのに色々なミスリードやトリックが仕掛けられていて、最後に「そうだったのか!」と騙される物語。

そういうのを書いてみようと一度決意したんです。で、最近買ったまさにそっち系の「ミスリード」「どんでん返し」の嵐みたいな小説を読みました。

読んで見て、あれ、こっちが私の書きたい方向だったっけ?と立ち止まってしまいました。それがここ数日のことです。

違う、私は多分、最初目指した「ミステリ風ヒューマンドラマ」が書きたい。ちょっと仕掛けがあったり、そうだったのか、という驚きを含めつつも、主題は人間を描きたい。
そう思った時に、もう一度「小説現代」の講評が蘇りました。

「幻日」はまさにそこに向かった作品で、だからこそあの講評だったのだろうと。「ミステリ」とは読まれていなかった、ヒューマンドラマだからこそ、もっと心情を描くべきだ、という評になったのだろうと思いました。

私が目指す小説は「ミステリ」のくくりになってることも多いので、そうであってもいいのかもしれない、とにかく私は「構成で驚かせたい」よりも「人間を描写したい、それを読んでもらいたい」方が上なのだなと思います。少なくとも今現在は。

そう考えると、小説現代さんの講評はとても的を射ていて、射すぎていて。笑 きっちりその講評をそのまま受け止めて、改善していこうと思いました。自分なりに、中途半端にならないように。

私は「テーマ性」というものをあまり重要じゃないと思っていたんですよね。何を伝えたいのか、そういうものよりも「楽しいと思ってもらいたい」という気持ちだけでよいと思っていたんです。
そこがまさに「見抜かれた」と思ったところでもありました。

そもそも私が好きなミステリは本格より社会派なんですよね、なんかいろんなミステリ公募の講評とか見てると「やっぱり本格派のほうが評価高いのかなー」なんて思ったりして、自分の感覚を見失いかけました。

改めて、小説現代さんの講評、ありがとうございました。

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