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経験と省察から学ぶ-倫理観をどう育むか(3)

大学教員の友人から「非認知能力」という本が面白いよと紹介を受けた。

読んでみたところ、最近の関心領域と重なるところが多々あった。7月から書き物に手がつかなくなっていたので、本当にありがたい。

本書は、パーソナリティ心理学の研究者が書いたものだ。非認知能力は開発できると帯にあり、目次には興味深いワードが並ぶ。今回特に注目したのは第一章の「誠実性」だ。

これは、ビッグファイブの一特性でもあり、かつ社内でホットな倫理感とも関連する。

性格心理学については、以前素人なりに書いた。

また、ソーシャルスキルなども教えられると思っているので、今回の話題にも強い興味があった。

誠実性は、教えられるが、子供とは異なり、時間がかかるというのが本章の結論だった。そして、誠実性は年経るごとに高まるということだ。ならば放置が吉にも見えるが、違った観点もありそうだ。

僕は、倫理観は学習できると思っている。ちなみに、写真はパンダのリンリンだ。

エシックストレーニングという手法がある。

ここでいう倫理観と誠実性は必ずしもイコールではないのだろう。思うに、誠実性は資質やパーソナリティであり、変容しにくいが、倫理観は人それぞれなので、ケースメソッドを用いることで学習可能。そう考えるとよさそうだ。

ハーバードビジネスレビューの以下でも、開発可能としている。キーワードは、経験と省察である。

これは、誠実性という資質やパーソナリティは変容できないが、倫理観、すなわち倫理的観点は開発しうるものと理解すると良いのではないかと思った。

倫理観は、人それぞれ。生まれや育ちで異なり、「普通」がない。そんな中で倫理的正しさ、つまり「正義」を論じても平行線をたどるだけだろう。マイケル・サンデルみたいな白熱授業を研修でやってもしかたない。

なにせ、賄賂ですら、先進国が禁止していることで仕事にならない世界もあるのである。ここでの常識はあちらでの非常識くらいに思う方がいいだろう。

自分たちの価値観に沿って、バイアスを極力なくすように、他者の目を借りて視点の拡張を繰り返す。ただ、それだけなのだと思う。

先日、とある会社の方からものすごく軽んじられる対応をされた。おそらく、そんなことをしているとは全く思っていないはずである。しかし、相手方である僕はとても軽んじられていると受け止めた。ここには価値観のズレがあるのだろう。僕にバイアスがあるのか、それとも相手にバイアスがあるのかはわからない。相手を理解しようとせず、ソースのある自分の意に沿わない話に対して、意味不明と投げつけた彼は、当社が来年仕事を請けないことで、視野が拡張されるだろうか。はたまた、意味不明というのは、対話を促す働きかけだったのだろうか。

結局、こうしたことの積み重ねなのである。人ははじめから倫理的行動ができるわけではない。経験は、買ってでもすべしだが、覚悟なく生きていると、経験が蓄積されない。行った行動とそれがもたらす相手の声が震えているなどのフィードバックによって、ときには痛い目をみて、じわじわと倫理的でない行動をすることが利益を損なうことを知るのだ。(事例はフィクションです。)

それが、経験と省察によるエシックストレーニングなのである。なお、パンダにリンリンという名前のパンダがいるかどうかはわかりません。

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ちなみに、正義の教室という本も面白かった。

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