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BB ⑦ ~クレマチスの丘~

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クレマチスの丘 

 ついに、ナオトのフラッシュでつくったゲーム「学者犬」は完成した。コンテストに応募すると、ナオトの作品は見事最終選考に残った。 
 そして、ナオトは、コンビニのバイトをやめて、元の学生生活を再開した。
 大学は卒業することにした。卒業後は、今の専攻とは関係ないが、コンピューターの世界で生きていこうと心に決めていた。学ばなければならないことはまだまだ沢山ある。また、その世界は、20代までが勝負で、30代になると新しい若い才能にとてもかなわなくなる厳しい世界だという話も聞いていた。しかし、その20代をかけてみようと思った。世の中から賞賛をあびる、野球選手やミュージシャンの世界のような華やかさはないマイノリティな世界だとしても、そこが自分の戦いの場だ。
 とりあえず、最初のナオトの作品はそれなりの評価をうけたのだ。
 そして、大きな成功ではなかったが、その前に作った「カーソルマスコットソフト」。
 その存在は、ナオトにとって小さな自信になっていたのだった。そして、「学者犬」はその存在、ナオトの自信の象徴であり、力の源でもあった。

 ある日、ナオトとその恋人のあいちゃんは、デートで三島市にある「クレマチスの丘」へ出かけた。
 ふたりは、いわゆるSNSで知り合った。それは「フラッシュ」というソフトをつかってゲームをつくる自称「フラッシュ職人」達の集まりだった。ふたりは、出会うことで、「フラッシュ」にかまけてリアル人生に失敗しリアル友達を失うという「フラッシュ廃人」になる危険を乗り越えることができた。
 そして、「フラッシュ」そのものがなくなる、という事態も、二人を接近させたきっかけになったかもしれない。

 それは、ふたりの初デートであった。
 クレマチスの丘といっても、季節はまだ初春でクレマチスの花は多くなく、みやげ物屋の店先に鉢植えのものが置かれているだけだった。
 あいちゃんは、ナオトに教えてくれた。
「日本でテッセンとかカザグルマと昔からいわれているのもクレマチスよ。冬につるが残っているものや、根っこだけで冬をすごし春になって土の上にまたつるがでてくるもの。小さな白い花が沢山咲くものや、釣鐘型の花が咲くもの、それが一重だったり、八重だったり。いろいろよ。鑑賞用に人工交配がさかんにされて、現在では1000種をこえたものがあって、それをクレマチスとひとまとまりにいうみたい。種類の多さだけだったら、まるで人間並みね」
 二人は、そこのレストランで、有機野菜のスープとカレーを食べたあと、カブトムシとハチの銅像が入り口で迎える、ある美術館にはいった。
 ナオトがこのベルナール・ビュフェ美術館にいこうと思ったのは、偶然ではなかった。
 例の学者犬について、ナオトはあらためて調べてみると、それがベルナール・ビュフェがサーカスに出演している犬として描いたものであることがわかったからである。
 そして、ベルナール・ビュフェと、学者犬が探しているという昔の飼い主、BBとの頭文字の一致。
 BBの正体はビュッフェに違いない。
 そう仮説をたてていたナオトは、いつかその美術館に行こうと思っていたのだった。

  館内にはいってすぐ、ベルナール・ビュフェの年譜があった。 

ベルナール・ビュフェは1928年7月10日、パリに生まれました。10歳の頃、画家になろうと決心しますが、その直後、第二次世界大戦が勃発。ビュフェが16歳の時、パリは連合軍によってナチス・ドイツからようやく解放されますが、その年、彼は唯一の理解者であった母を脳腫瘍で失います。戦争と孤独と貧窮の中で画家を目指したビュフェ。20歳で批評家賞という権威のある賞を受賞し、一躍有名人になりました。(中略)

「私は絵を描くことしか知らない」「絵の中に自分自身が埋没してもよい」と語っていたビュフェ。
 1999年10月4日、自宅で、ビニール袋を頭からかぶり、首の回りをガムテープでしっかり押さえて自殺しました。この頃にはパーキンソン病で手が自在に動かず、思うように絵を描けなくなっていたビュフェ。絵が描けなくなった彼の選択でした。当時、ビュフェの伴侶であるアナベルは、家中のナイフやロープを隠していたと言います。彼女は、こう語っています。「描くことが彼のすべてだった。私は、彼の作品のすべてを愛しています。41年間の愛情と友情は決して消えることはありません。それは、彼の遺した作品と思い出が証明しています」

  歩くにつれ、館内には、版画、リトグラフの作品がずらりとならんでいた。
 地元のボランティアなのだろうか?ある初老の男が、二人に近づいてきて、頼みもしないのに館内の案内役をはじめた。 
「この作品は、いわゆるコピーですな。右クリックでコピーすれば、無限に増殖する、あれと一緒です。まあ、作品の右下隅には、何枚めのコピーかが、正確に記されていますがね・・・でも、本当にすごいのはこれからです」
 案内役の男をふくめて三人は、館内奥にあった、らせん状の階段をまきながら下へ向かって歩いた。おりながら、ナオトはひさしぶりにあの感覚、しばらく遠ざかっていた、ひとり「フラッシュ」でゲームをつくっているときのあの感覚を思い出していた。
 そして、そこにその絵はあった。
 額縁の中には、背景のみが描かれている。
「中に描かれていたものはここから脱走したのです」
 案内人の男がそう説明するのを聞くと、ナオトは、背中にしょっていたリュックの中から、自分のノートパソコンをとりだした。
「やめたほうがいいわ」
「いや、これでいいんだ」
 制止する、あいちゃんの声を無視して、ナオトはパソコンを起動した。
 ナオトの仮説は今や確信にかわったのだった。あとは、行動するのみだ。(ビュフェこそがBBだ)
 パソコンの画面上のカーソル上にはいつものようにカーソルマスコットの「学者犬」があらわれた。
 学者犬はナオトに言った。
「自然から人間がはなれる時間が長くなると、人間が動物の言葉がわからなくなっていくように、インターネットからナオトがはなれる時間が長くなると、ナオトはぼくの言葉がわからなくなる。だからぼくもちょうど絵にもどる時がきたんだ。
 最後に、くりかえしになるがもう一度言おう。
 犬であるぼくらは人生の目標とか意義とかは問わない。
 だから、ここに何があるのか、いったい何をみつけたらいいのかは教えられない。それは君たちが自分でみつけなくちゃいけない。結局のところ、ぼくはただ、ここに君たちを連れてきただけだ」
(彼は今まで彼が口にしていたわりには、BBをおそれてないようだ。むしろBBをみつけだすことができて、彼はとても喜んでいるようだ。最初、怖いBBから逃げ出したかったんだ、と言っていたのは彼独特のてれで、本当は早くこうなりたかったのかもしれない)
 と想像するしかないくらい、無表情で素直に淡々と、学者犬は「自分の場所」にむかっていった。
 インターネットの世界へ前にいた場所、その背景のみ描かれた「絵」の中に。

  学者犬が、自由をみつけたインターネットの世界。
 三十年もたつうちに、最初のころの、その自由さはもう失われてかけていた。
 あまりにも多くの情報が増え、「自由な発信」はその数にうもれてしまった。そして、お金のもつものの言動が優先されるという、一般社会と同じ原理が働きはじめた。お金で、コンテンツ、発信回数、は買うことができるからだ。
「好き放題」がふえたため、かつて、すべての犬に首輪をかけたように、ネット使用に首輪をかける動きもでてきた。
 今や、学者犬がかつて求めた「自由」はそこから消え去ろうとしていた。  もちろん、学者犬は、そんな屁理屈など考えるはずもなかった。なにしろ、 犬である学者犬は、人生の目標とか意義とは問わないのだから。
 そして、彼はBBによって描かれた、元の「絵」の中に戻った。
 美術館にあるひとつの絵。
 その、額縁しかなかった、空白の絵の部分に、「学者犬」の姿が現れた。  彼は再び「永遠」となったのだ。
 空白だったところに学者犬がもどったその絵の、ちょうどまむかいの壁に飾られた絵の中には、既に北京犬がいた。
 二人は、遠く離れたその場所から、お互い黙ってあいさつをかわした。「やあ、ひさしぶり」
「おかえり」

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