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[ その③]「ぼくが出せなかった7通の手紙」~胃がんに罹ったペシェへの手紙~ 2 手術前夜のあなたへ

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             *

2 手術前夜のあなたへ
 
ぼくは、職場の検診センターの昼休み時間を使って、手術を翌日に控えたペシェのところを見舞った。
ずいぶん緊張しているのではないかと心配していたが、おちついた感じで安心した。
「先生、考えてみたら、おれ、丸一日コンピューターにさわらずにすごすのは、何年ぶりのことだろう?」
ニコチンの禁断症状も、環境の目新しさに助けられたのか、思ったより軽く、なんとか禁煙はできているようだった。
ぼくは、すぐ病院を出ようと思っていたのだが、聞きたいことがあるから少し話を聞いてくれといわれて、その病院で食事をとることにした。
ペシェは手術の前日なので食事はなしだった。
ぼくは、ペシェに申し訳ないと思ったが、ペシェは気にしない、気にしないといって、食べているぼくに質問をしてきた。
 
「小松先生。先生が、最初やってくれた、経鼻内視鏡というのはちっとも苦しくなかったんだけど、今の病院でやった胃内視鏡検査は苦しくてね。手術前の検査だから苦しくても、太い径の内視鏡をつかわなければいけないという説明で納得はしたんだけど。
 最近、カプセルを飲むだけというカプセル内視鏡があるって聞いたんだけど、それはまだ実用化されないのかね?」
「カプセル内視鏡は実用化されれば、経鼻内視鏡より苦痛が少ないとおもうけど、現実はまだ課題が山積みで難しいと思うよ。
 ゴム袋といえる胃の内側を観察する際には、空気を送ってゴム袋としての胃を膨らませる必要がある。また、胃液や唾液におおわれ、目隠しされている部分についてはそれらを吸引して胃の内側がよくみえるようにしなければならない。さらには、胃癌の確定診断をするには、胃の内側で観察されたあやしい場所の細胞を一部採取して顕微鏡の検査にださなければならない。
 カプセル内視鏡の目であるカメラのむきを遠隔操作で自由にかえることができたとしても、これらの送気、吸引、生検とよばれる3つのことまでは技術的には今は無理だな。
 大腸についても同様のこと。
 だから、カプセル内視鏡は、内視鏡が口からも肛門からもとどかない小腸の観察にしか現在は使われないんだよ」
「主治医の先生に腹腔鏡の手術をやってみるか?といわれたんだ。一応、よくわからなかったんで断ったけど。小松先生、どう思う?」
「腹腔鏡手術は、皆、新しさに目をうばわれて『低侵襲』、傷の小さい体に負担が少ない手術という説明でおわってしまっているけど、少し話しは複雑なんだ。まず、治療効果は、大きな傷の手術と小さな傷の手術でかわりがない」
「じゃあ、小さい傷のほうがいいじゃあないですか」
「ぼくらにいわせると、治療効果が今までの手術より高いのであれば、一生懸命やってもいい手術、とうことになる」
「治療効果とは関係がないんだ」
「そう。がんに対する外科手術というのは、より高い治療効果を求めて発達してきた。そのために、手術という体へ負担のかかる方法もやむをえないという形でね。だから、この腹腔鏡手術というのは、がん手術というより美容外科の範疇にはいるんだ」
「美容外科ね」
「そう。傷を小さくするというのは美容外科で、この手術はそれ以上でもそれ以下でもない」
「痛みが少ないっていわれたけど」
「それは手術直後の数日間の間の違いでしかない。長期的には一緒だよ。それに、手術直後の傷の痛みは、既に硬膜外麻酔とか、フェンタニールという麻酔薬を使用することで、大きい傷の開腹手術と、腹腔鏡手術でほとんどかわりがない」
「そうなんだ」
「そうはなかなか大きな声で学会ではいえないけどね。変化を認めない変わり者と思われるからね。確かに、外科の進歩は、もうほとんど止まっていて、こういう腹腔鏡手術を認めないと活性化できないというジレンマもあるんだ」
「新しいことは、必要というわけだ」
「そう。そうしないと、外科産業自体が栄えていかないし、新しい人もはいってこない。
でも腹腔鏡手術は、医療経済からいうと、効率がすごく悪いんだ。要するに、医療費が開腹手術にくらべて相当かかる。だって、糸とはさみと技術さえあればできていた手術を、カメラやら特殊な器械を買い揃えてやるわけだからね。この医療費削減がいわれている時代には逆行している。
それに、手技の習得も時間がかかり、医師不足がいわれている状況ともそぐわない」
「腹腔鏡手術は難しいの」
「そうだね。単なる開腹手術の技術・知識の上に、特殊な技術の習得が必要なんだ。
でも、その『難しさ』に、腹腔鏡手術を好む外科医はひかれるわけだけどね」
「治療効果が高い、安全な手術ということは、望むけど、難しい手術が面白いなんていう外科医の趣味にまきこまれるのはいやだよ。ぼくの主治医の先生、腹腔鏡の手術を上手にできるのかしら?」
「手術は、音楽や美術のように小さいころから学ぶことは重要とされてない。実際、みな20歳代後半の医学部卒業後に訓練をはじめるしね。
これは、人間の体を扱うから、というような倫理的な意味あいだけじゃあない。
実は、外科手術は、そのくらい年をとってから訓練をはじめても習得できる程度のそう難しい技術ではないから、そうあわててはじめる必要はないという事実からくるんだ。
確かに、外科医の中でも手術の上手、下手はある。でも、実は手術の上手、下手はそう大きな重要性はないんだ。その理由は、手術の結果は、体の治癒力に多くをおっているからだ。
出血が少しおおかろうが、手術時間な長かろうが(やはり時間とうまさはある程比例する)少し不恰好な手術だろうが、結果は同じ。結局は、患者の体がカバーしてくれるんだ」
「じゃあ、腹腔鏡手術にしなかったといっても、大きな問題はないね」
「そうさ。腹腔鏡手術だろうが、普通の開腹手術だろうが、大きなかわりはない。
ペシェの判断は正しいよ」
 ペシェは大きな息をついた。
「やっぱり、小松先生。さすがに昔外科医だったこともあって、説明がリアルだな。
おれ、明日の手術、先生にやってもらおうかな?」
「それは無理というものだ」
 苦笑しながら、ぼくは、話していくうちに序々に熱くなっていく自分自身がおかしかった。
 やはり、やめたといえ、20年もやっていた仕事はなかなか体の記憶から消せないということか?
「ペシェがいやでなかったら、手術について、マニアックな個人的な感想をいうけど、興味あるかい?」
「ええ、とても」
「そうか。じゃあ言うけど・・・ぼくは、手術の上手、下手というより、手術をする手の『タッチ』が外科医それぞれ違っていて、それを自分が好きかどうか?という風に他人の手術をみていた。
どんなすばらしいといわれている外科医の手術も、自分と生理的に『タッチ』が違うと、うーん、どうだろう?と思ったものだ。
 ぼくが思うに、画家が絵を描くのに絵筆の太さを変えたり紙の上で筆のタッチを変えたりして仕上げていくのと、手術の進行は似ているところがある。
絵筆のかわりの、メスやはさみの『タッチ』がある。
これは、手術の経験をいくら積み重ねても身に付くものでないし、人に教えられるものではない。
 一方、この『タッチ』の違いを手術の上手下手の比較にもちだすのは、間違っている。手
術は、複雑な芸術作品作成とは違う、いたって単純な作業だ。
若い頃から修業のいる、音楽とか美術、あるいは職人の技にくらべ、手術という技術は意
外にハードルが低い。たいていの人が25歳くらいから訓練をはじめて5、6年でその技術を身につけてしまう。
他の技のように『身につかない』ということはまずない。
働いているすべての外科医が器用というわけでもない。
実は手術は器用でなくてもできる技なのだ。実際、そこに求められるのは、完成の美しさではなく安全性だ。
『タッチ』の柔らかさよりも、ポイントをはずさないことが大切なのだ。
比喩としては、毎日の自動車通勤にたとえるほうがより近いかもしれない。
通勤の運転に、上手下手を問うことはナンセンスだ。
注意すべきことは、いつも同じ道を通っていても、毎日まったくそれは同じ道ではないということだ。工事があったり、横から人がとびだしたりしてくる危険はある。もちろん、四季によって車の中からみえる風景は違っている。
手術も、通勤の運転と似ている。同じ胃の手術。同じ解剖。しかし、どの人の胃も二つとして同じものはない。ある意味それだからこそ外科医は同じ手術を繰り返しても飽きないのだけれども。
 手術によって傷ついた生体の痕跡は、表面の傷におおわれて見えることはない。
また、その見えなくなった痕跡にしても、いつまでも手術直後の状態ではない。生体の自己修復作用、言葉をかえれば、創傷治癒の力で、いびつなできあがりも生理的に安定したものへと変化していく。外科手術は、半分以上、生体の治癒能力におんぶしている。
つまり、多小の手術の上手下手は問題にならないのだ。生体のもつ治癒能力がたいていカバーしてくれるからだ。
だから、あえてイメージの悪い言葉を使えば『てぬき』手術というのもある。言葉を変えれば、どこまでやればあとは生体の治癒能力で治っていくか、よく知っている人は、上手に手ぬきの仕方を知っているというわけでもある」
「やっぱり決めた。おれ、明日の手術は小松先生にたのむ」
「悪い、悪い。ちょっと昔を思い出して熱くなりすぎたみたいだ」
「でも、おれ、こういう夢中で話す小松先生の姿、はじめてみたけど、断然すきだけどな」
とペシェはぼくをみつめた。
「どうして、外科医をやめちゃったんだい?」
 ぼくは、どう説明していいかわからなかったが、かろうじて答えた。
 ペシェの質問の答えになっていない、とんちんかんな答えだったかもしれないが。
 
「一般に下手な外科医ほど、他人の手術に文句やけちをつける。全体を見ず、重箱の隅をつつくような『けち』がそのほとんどだということで、それだけ下手とわかる。
しかし、その『けち』が、人にいやな思いをさせているということにその人は気づかない。
 そして、下手な人ほど、どこかで聞きかじった知識をもちだしてきて、いばる傾向がある。
 自分が巨人の肩に乗ったサルという自覚がない。
 有能な人ほど口数が少ないというのは、この世界でもあたっているんだよ」
 
世界はあるがままに見えるのでなく、見えるがままにあるのだ
 
ぼくは、その日午後9時ごろになると、病院で明日の手術を待つペシェのことを、自分の
家で思った。
消燈時間がすぎて、ペシェは睡眠薬を飲んだくらいかもしれない。
なんとか眠れるだろうか?
そして、ぼくはペシェの手術の成功をいのりつつ、彼への手紙を書いた。
この手紙は、今からでは、もう彼の元にはとどかない。
しかし、ぼくは書きたかった。
昔、外科医だったころ、自分の患者に、話そうとして話さなかったことを思い出させてくれたペシェのために。
 
  *
 
明日の手術をひかえ、緊張していますか?
 睡眠薬をもらってもなかなか寝付けない方は少なくありません。
 眠れない夜、本を読むと寝つけるという方もあります。
 この手紙の活字を読んでみてはどうでしょう。
 あるいは、ひとりあれこれ考え、答えのない疑問にとらわれて眠れない方もいるかと思います。
あなたの考えることに対する答えはないかもしれませんが、この手紙のような考えに自分の思考を一致させることで、とらえられていた自分の思考がいっとき中断し、いままでのどうどうめぐりが止まることがあるかもしれません。
 手術前夜にすこしでも眠れるようにするという目的にはそれで十分でしょう。
 
   *
 
 ペシェは独り身だったが、入院の際には身元保証人というのが必要だった。
ぼくが保証人になってもいいとも思ったが、今、ペシェと一緒にバイオベンチャーの会社を共同でおこしている片桐達郎が保証人をかってでた。
これからかかる医療費については、ぼくがペシェからいろいろ聞かれたところだった。
「片桐には迷惑をかけたくない」
というのが、ペシェがもっとも気にしていたところだったが、今回の治療費の見込みが、彼が思っていたよりもずっと少ない金額であることを知って彼はとても喜んだ。
 もしかしたら、胃がんに対するどんな説明よりも、このことこそペシェの気持ちを落ち着かせ、彼の手術をうける前向きな気持ちをひきだしたのかもしれない。
ペシェにあてた手紙を書くとき、もう一度、日本の医療費についても基本的なことをまとめてみたいともぼくは思った。
 そして、この手紙は、ぼくがペシェに出さずに終わった2通目の手紙となった。
 
       *      *       *
 
前略 ペシェこと太田誠二様
 
 『どんなに医学がすすんでも、手術死亡をふくむ合併症がゼロにはならない』
『手術は、目でみて、顕微鏡でしかみえないがん細胞へいどむということで、取り残しが絶対ないとはいえない』
とすれば、術後の合併症がより少なく、再発率もより少ない、名外科医、名病院をさがすというのは自然ななりゆきです。特に、大きな手術になればなるほどそう考えるのはうなずけます。
 
ぼくが外科の研修医として手術を学びはじめた頃、ベテランの指導してくださった外科医がこんな質問をぼくにしたことがあります。
ぼくと彼とどちらが、手術後の再発率が多いと思うか?
どちらが、合併症の割合が多いと思うか?
いつも指導してもらっている先輩の先生に、『ぼくもあなたもかわりありません』、とは答えられるはずがありません。
そのいじわるな質問はひょっとしたら、俺に追いつくよう頑張れというメッセージかもしれないと思ったりしました。
でも、心の中では、ぼくと彼とで、実際に手術後の再発率や合併症の割合はかわりがないと思っていました。
大きな手術をやるぶん、客観的にいえばむしろ彼の合併症の割合が多いくらいだったと思います。
あれから時がながれ、経験を重ねてきた今、彼の言葉は頑張れというメッセージではなく、もちろん老外科医の嘆きでもない。
それは、施設として、誰が手術をしても手術後の再発率や合併症の割合はかわりがないようにしなければならないという教育や体制の大切さをいったものであった気がします。
2年目の外科医も、20年目の外科医も手術成績がほぼ同じであるべきなのです。
(少数の悪質な例を除いて)外科という看板をかかげ定期的に手術をおこなっている施設はどこでも、このようであるのが理想だし、実際それに近い風になっています。
手術や術後管理は、たとえ主治医がいるにしても、最終的にはひとりでおこなえるものでなくチーム・・・医者、看護婦、技師、体制など総合的な力によるのです。実際、若い外科医がおかしなことをしないよう、手術には経験者が助手につき、合併症の対応についてのアドヴァイスもあります。
だからこそ、若い医者でも外科医として患者の前にだせるわけです。
外科医に名医はいりません。
その人しかできない手術、というのは適切な手術術式といえません。
そういう実験的な手術は、一部の大学病院にまかせておけばよい。
たしかに、同じく10年仕事をしてきた外科医の中に『器用な人』と『不器用な人』はいます。手術時間の長い人、短い人。出血量の多い人、少ない人。仕上がりがきれいな人、少しおおざっぱな人。メスさばきのかっこいい人、いまひとつの人。
しかし、外科医は音楽家や画家とは違います。速かろうが遅かろうが、美しかろうが美しくなかろうが、それは上下の差がつく形容詞ではなくその人の手術の『個性』です。
手術過程は千差万別でよい。
とにかく、できるだけ合併症が少なく、再発が少ない手術ができればそれでよいのです。
チーム全体に力のあるところは、それが均等化されます。
 
あなたの主治医は、何歳くらいの、どんな方ですか?
 
         *
 
 あなたは、主治医から手術の説明を聞かれたことでしょう。
 正直、あらましはわかったが、細かいところはわからない、結局おまかせするしかない、といったところでしょうか?
 お腹の中を見たことのない人が、わずかな説明でよくわかるということは不可能に決まっています。あらましがわかればよい。
お腹の中の手術は外科医の仕事なのですから。
 でも、お腹の外はあなたにもみえるものです。
あなたも、もう少し理解できると思いますし、理解することは大切なことです。
あなたにとっての手術とは、体の中に手術の日にたくさん『管』がはいり、それが序々にぬけていくことといえるかもしれません。
 あなたの場合、手術当日、
(1)腕からの点滴
(2)鼻から胃への管
がはいります。
手術室にはいると
(3)背中から麻酔の管(硬膜外麻酔)
がはいりそれから麻酔で眠ります。それから手術がおこなわれるわけです。
眠りからさめるまでの間に
(4)おしっこの管
(5)場合によっては、鎖骨の下からの点滴(高カロリー輸液)
(6)お腹からの管(ドレーン)
がはいります。
手術中は、気管への管が人工呼吸用に口からはいっていますが、これは、手術がおわり麻酔から覚めると抜かれます。
つまり6本の管が、手術が終わるとあなたの体からでているのが、あなたの目には見えるわけです。
 これらの管は、手術でくずれた体のバランスを一時的に補助するものと考えられます。で
すから、体が回復していくにつれて、これらは次々と体からとぬけていき、全部ぬければ退
院ということになります。
 例えば、(2)は翌日、(1)(4)は数日でぬけます。
手術後数日は熱がでて、痛みがあるのが普通ですが、4、5日たって、痛みがおさまってくれば、(3)もぬけます。
食事は3日目前後ではじまります。
胃と十二指腸のつなぎ目は、糸(最近はホチキスのような金属)でよせてあります(縫合)が、糸と糸(あるいは、ホチキスとホチキス)の間に隙間があります。この隙間は、胃と十二指腸のそれぞれの切り口から『のり』が分泌されてうまります。
隙間が埋まるまで、数日かかるので、食事はそれまで食べないほうがよいのです。
この『のり』の出かたは個人差があります。糖尿病の持病のあるかたや、年をとったり、ステロイドという薬をやむを得ず長期にわたり服用していたりする方などは、この『のり』の出かたが悪い。要するに傷のなおりが悪い方が中にはいるということです。
この『のり』で隙間が十分にうめられず、つなぎ目(縫合部)からのもれが生じることが、縫合不全といわれているものです。
そういう場合は、絶食期間を長くし、隙間が埋まるまで気長に待つという治療法をとります。
再手術で縫合不全の箇所を縫い直すということはまずしません。
なぜなら、再縫合しても、この『のり』の少ない人の組織はやはりくっつかないからです。時間が通常の2倍、3倍かかっても自然に縫合不全部が自分の『のり』でふさがるのを待つという方法が、遠まわりのようで、一番近い方法なのです。
この創傷治癒力がすべての人間で完全な状態でないということが、縫合不全がなくならない理由なのですが、これは、医療行為全体を通じて、危険が皆無ではないという問題にもつながっています。
たとえば手術は工業製品の大量生産と大いに異なっています。
工場では、材料となる鉄板は厚さ、硬さ、熱伝導度、膨張率、磁性、いずれをとっても均質で、同じ金型で同じ強さで同じスピードでうちぬくと高い確率で同じ製品が出来上がります。
一方、手術の対象の患者では、年齢、遺伝子、既往歴、職歴、生活環境いずれをとっても同じ人間はいません。
しかも、人間の体は鉄板よりはるかに複雑です。そして、なにより生命は有限で死は不可避でいつ訪れるか予想できないのです。
手術というのは、同じことをやっているようで、実は毎回違う、究極の「手作り」の作業なのです。
 
話しをもとにもどしましょう。
こういった心配がなくなると(6)のお腹の管はぬけ、食事が十分とれるようになると(5)の栄養点滴もぬけます。
 それから退院になるわけですが、退院するというのは傷がとりあえず癒えたということがゴールです。
ですから、新しい小さくなった胃の『リハビリ』は退院後、約1年かけて通院しながらやっていくことになります。
また、皮膚の縫い合わせた傷がやわらかくなるのにも数ヶ月かかります。
 食事は、手術前の半分量が食べられれば合格で、逆にそれ以上食べるのは小さくなった胃に負担をかけるので禁物です。
術後数ヶ月までに、体重が5キロ前後おちるのが普通です。1年くらいすると、体重の減少はとまり、食事のとり方にもなれ、体も楽になってきます。
 
 こういうことは、『クリニカルパス』と専門家の間でよばれるようになり、積極的に患者さんに術前術後に伝えていこうとする動きがあります。
 これは、おそらく一生に一度くらいしか経験することのない手術に対する不安をやわらげてくれることでしょう。
 
 また、病院によっては、手術にかかるおおよその費用もパスにのせているところもあります。
現実的に医療費がどのくらいかかるのか、という不安もまた患者さんの不安の一部を実際しめているのでこれは有用なことです。
 しかしながら、最近は、入院時に治療におおよそどのくらいのお金をかかるかを、患者さんに教える病院もでてきていますが、まだ多くはありません。
インターネットで、公開している病院もわずかながらありますので探してみてください。
 
 たとえば、胃がん治療に関係する、治療費の概算をしめせば、
 
幽門側胃切除術(入院から手術、退院まで):80万円(手術料は40万円)
胃全摘術(入院から手術、退院まで):100万円 (手術料は50万円)
 
今回の治療とは少し関係はありませんが、参考までに他の治療費の例をあげますと、
 
抗がん剤TSー1を外来で継続的に内服(1ヶ月):15万円
抗がん剤Taxolを外来で継続的に注射(1ヶ月):20万円
抗がん剤Taxolを入院で継続的に注射(1ヶ月):20万円
入院1日:8000~10000円(食費1日780円)
CT1回:12000円
胃カメラ1回:15000円
入院して、点滴し、鎮痛剤モルヒネ投与(1ヶ月):50万円
緩和ケア病棟入所(1ヶ月):治療内容にかかわらず110万円        
              
 日本は、100%近くの人が医療保険にはいっているという、世界でも例のないめぐまれた国ですから、これらの実際のかかったお金の2~3割のみ支払うだけです。
 つまり、実際にかかったお金の7~8割は国から返却されます。
 
さらに、実際は、「高額療養費制度」という、これも、世界に類のない制度(*)があり、保険をつかって、月に8万円以上(**)の医療費支払いが生じた場合、それ以上は、国がはらってくれます。
 
(*)この制度が、日本の寿命が世界一であることと、関係していることはまちがいありません。
日本では、ほとんどの人が、病院で必要な治療がうけられる制度になっているのです。
治療費が高いから、病院へいかないというケースがあっても、そう不思議でない他国とは一線を画しています。
 
 (**)所得額の多い人は、月に15万円。少ない人は、月に4万円。と収入に応じて負担額はかわります。
 
 例えば、幽門側胃切除術をうけて、その月3週間入院して、80万円かかったとしたら、
国民保険や社会保険によってその3割にあたる、24万円のみ支払えばよい。
しかし、この24万円という金額は、この8万円という基準を超えているので、このうちさらに16万円は国が負担するのです。
結局、実際、個人が支払うお金は8万円でよいのです。
 
    あるいは、緩和ケア病棟に1ヶ月いる場合、月に110万円かかる(*)が、保険上は33万円のみ支払い。実際は、高額療養制度で、月8万円のみの負担、となります。
 
    (*)ただし、一般病棟で同じ治療をすれば、だいたい月30~50万円かかります。緩和ケア病棟でかかる差額60~80万円は、サービス料ということになります。それだけの価値があるかは、どう評価するかは難しいことですが。
 
簡単な、紹介ですが、これだけでも、みなさんにとって、病院にかかったときの、
医療費の目安になるのではないでしょうか?調べれば、心筋梗塞、脳梗塞などで入院した際のおおよその治療費もわかります。
    特に、「高額療養費制度」のことをお知りになると、ずいぶん、安心される方が多いようです。
 さらに、もう一歩、意地悪な言い方をすれば、すべての民間医療保険会社はこの事実をまったく契約者に伝えていません。このことを大量な時間の様々なコマーシャルの中で、国民にもっと知らせて啓蒙すべきなのにまったく伝えないのはいかがなものでしょう?
 極端な言い方をすれば、もし3カ月も入院しなければいけないような病気にかかれば生存は難しいので、高額療養制度で支払わねばならない月8万円x3カ月分=24万円の蓄えがあれば、病気になっても医療費としては金銭的に間にあいます(生活費は別ですが)。
 どう考えても民間医療保険会社は「とりすぎ」です。入院しないと給付金がでない商品などは論外でないでしょうか?
 
           *
 
 もう就寝時間もだいぶすぎ、睡眠薬も効いてきたころでしょうか?
 眠い方はこのまま本を閉じ、お眠りください。
 
 手術は、痛みなしに済むことはできません。痛み止め(筋肉注射や硬膜外麻酔)で、痛みを緩和することはできますが、痛みをゼロにすることはできません。
 痛みは自分でひきうけるしかありません。
他人にはかわってもらえません。
TVのニュースで他人の痛みをみるのとは違います。
あるいは、『もう一人の自分』に痛みをひきうけてもらうわけにもいきません。
そこにあるのは、のがれられない裸の自分自身の証明ともいえます。
おおげさな言い方をすれば、痛みを前に真の孤独があらわれます。
これは、大衆の中の孤独とか、家庭内や職場での孤独とはまるで異なる孤独です。
問題となることから逃れることの不可能な孤独です。
他者が介在する余地のない孤独です。
自分が自分自身でないような感覚とは無縁な、自分が自分自身と分かつことが不可能だという体験です。
悩み、不満、妄想、欲望、あるいは強い意志あるいは無気力や無関心など、すべてはこの痛みの前に消え去ってしまいます。
 何日かたって痛みが和らぎ、余裕がでてくると、自分自身の、さまざまな分身たち(分身といっても、いずれも本物のあなた自身ですが)が、また復活し騒ぎ始めます。
 
痛みについて少しおおげさな書き方をしたかもしれません。
要するに、その痛みは耐えきれないものではありません。
十分耐えられ、手術後、一晩寝るごとに、どんどん和らいでいきます。
 パラドキシカルな言い方をすれば、耐えられない痛みはありません。
もし、耐えられる閾値を越えるような激しい痛みに人間がさらされると、その人間は意識を失うとか、ボケるとかして、痛みを感じないような状態になるのです。
 痛みがあるうちは、回復可能な、耐えられる痛みですから心配はいりません。
耐えられない痛みも・・・こういった理由で、心配はいりません。
 
 それでは、ごゆっくりお休みなさい。
 
                  

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