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トランジスタラジオな通学路

そのむかし私は写真家になりたかったんだ。あのころは、今いる場所から世界中につながってる気がしてた。大人になったら何にでもなれてどこへでも行ける気がしてた。

毎朝乗った新京成は、旧日本陸軍鉄道連隊が演習用に敷設した軌道敷で急曲線が多数あるのを民間に転用したんだって。当時乗ってた車両はつり革のバンド部分が長く、カーブのたびガシャガシャ音を立ててたの覚えてる。その音を聞くとあと30分もすれば退屈な教室にいるんだなって、憂鬱な気分になった。

最寄り駅は2つあって北習志野からはスクールバスが出ていたけど、1、2回しか乗ったことがない。それより習志野駅から20分ちょっとかけて歩くルートを選んでいたな。ありささんとスクールバスの話をしながら歩いたよ。「あれって満員に詰め込んで荷物を輸送するみたいじゃないですか」。そうそう、そんな感じ。だからきっと、あの頃こっちの道を選んだんだ。

そういえば途中にある公園でちょうど桜が咲いていて。あの頃も春にはこういうふうに咲いていたんだろうけど、
「ここで桜見た記憶ないんだよね」
「別の桜を見てたんじゃないですか」
確かに。隣の学校の女子ね。笑

校庭がだだっ広くて東京の両国にある兄弟校の日大一高が体育祭のときわざわざこっちまで来てやってたよ。

あれ? 途中、谷みたいになってたとこがフラットになって土のグランドが芝生になってら。いいなあ。笑 そういえば男子校だったのに時代が平成に変わってから共学になったんだよな。いいなあ。笑

隣に日大習志野があるんだけど私の時代から共学で、そっちも受験したんだよ。

悪い予感がしたんだよ。日習の試験の日、昼におふくろが持たせてくれた弁当を開けたらごはんの上に紅生姜で「合格」って書いてあったんだけど「合」の字が横一本抜けてたんだよ。……落っこちたよ。

千葉日は単願で受けたんだよね。合格発表の日、雪が積もって。65番だっけな。番号書いてあったの。嬉しかったなあ。あとは高校生活送って芸術学部入って、写真家を目指せばいいんだ、みたいな。自分で自分のレールを敷いたような気になってたなあ。

そんなレールがコース変更しちゃう分岐点になったのがここ。

もっとほかに、溺れるものができてしまったんだ。

溺れて、溺れて、すべてがずれていった。

うちの家庭もどんどんおかしくなって行った。君は君で後悔したことがたくさんあるかもしれない。ちょっとしたことで人生とか運命とかって簡単にずれてく。

あの地点に戻ってやり直すことは不可能だし、ひとつひとつの選択の集積で今ができてるんだから後悔しない方法ってただ一つしかない。今を受け容れることなんだよね。あらゆる過去より、今が一番強いのだから。

楽しかったね。ほかのことなんてどうでもいいくらい、楽しかった。やっぱり君と出会えて良かったんだ。これで良かったんだ。

君は今どうしてる?
私は今、生きてるよ。

写ってくれる人 鎌田ありさ/Arisa Kamata

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