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その前向きな言葉が、誰かを傷つけることがある。

やさしいって、むずい。

「山中さんはやさしいですね」なんてたまーに言われる。そんなことないっす! と思う。僕はやさしさってなんなのか、32年生きてきていまだによくわからないのだ。

たとえば。

人生に悩んでいたり、なにか病気にかかっていたりする人がいると、「元気だして!」「この経験には意味があるよ!」なんてつい言ってしまったりする。

でも、バラに棘があるみたいに、みかんの汁が目に入ると痛いみたいに、前向きな言葉は人を傷つけることがある。


20歳のときに指定難病「潰瘍性大腸炎」を発症し、以降13年間の闘病生活を送ってきた頭木弘樹さんは、『食べることと出すこと』のなかでこんなふうに書いていた。

前向きな言葉を読むほど、気持ちはさらに沈んでいった。
カフカのような、後ろ向きな言葉を読むほうが、ずっと心にしみて、支えとなった。
(引用:頭木弘樹 著『食べることと出すこと』医学書院,44頁)


ほんとうに絶望した状態にあるひとにとっては、前向きな言葉より後ろ向きな言葉のほうが支えになることがあるのだ。

僕も、20代前半に就職できずニート状態にあったとき、「元気出して!」なんて言われても、「うっせぇわ! なんもわからんくせに!」となっていたかもしれない。いや、なっていただろうな。

絶望しているときに前向きな言葉を投げかけられても、「この人はわかっていないのだな」という孤独をつよめてしまうのである。

当時の僕は、たとえば、こんな言葉に癒された。


「何もかも下らん。まるっきりの糞だ。ひからびた糞だ。純粋に吐き気がする」
僕は五反田君の真似をして声に出してそう言ってみた。全然期待はしていなかったのだが、実際に声に出して言ってみると、不思議なことにそれで少し気分が良くなった。
(村上春樹 著『ダンスダンスダンス』講談社文庫,207頁)


今でも、たまにどうしようもなくむしゃくしゃしたとき、「何もかも下らん。まるっきりの糞だ。ひからびた糞だ。純粋に吐き気がする」と唱える。マントラみたいに。すると、ちょっとスッキリする。


かといって、前向きな言葉に勇気づけられる人もいるからむずかしい。

けっきょくのところ、相手が求める言葉を100%察してなげかけることなんて不可能なわけで。僕たちはそんな攻略本のないゲームを日々おこなってるみたいなものだ。

だから、「こう言ったらもしかしたら傷つくかもしれない」というためらいを持っておきたい。相手を傷つけてしまったときのために、マキロンを常に持っておくように。

心にためらいを。ポケットにマキロンを。


あれ、マキロンの宣伝みたいになってしまったけど、なんの話だっけ?



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