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電話のあと、午前1時に


絵を描くことを生業としている友人と電話をしていた。
友人にとって絵を描くことはただの仕事ではなく、生きがいのようだった。

友人は、絵以外にあまり興味がない。
全てが「広く浅く」ではなく「超狭く超深く」。
仕事も趣味も人間関係も、ひとつに全体重を預けているように見えてそれがとても危うかった。


どんな話の流れだったか忘れたが、私は友人に「もしもあなたが絵が描けなくなっても、それでも色んなものに少しずつ依存しながら生きていくんだよ」と言った。
すると友人は「…絵が描けなくても生きてていいのか。絵が描けなくなったら自分の人生終わりだと思ってたから」と言った。

その瞬間、「そんな訳あるか。もし明日事故にあって腕がなくなろうが、目が見えなくなろうが、あなたは生きるんだよ。絵が描けないあなたも笑って生きていいんだよ!」とキレる勢いでまくしたててしまった。


いや、俺、誰だよ。
お客様。落ち着いてください。


そこで思った。

なんで私は、怒ったんだろう。



これまでの人生で出会った人たちを思い出す。


自分の技術や努力やセンスを評価された人は、そこに自分の価値を見出す。

ストイックな人や、依存の分配が苦手な人ほど、退路を断ってひとつのことに異常な力を注ぐ。
それは才能だと思う。
それでこそ生まれるものや見える景色があると思う。


だけど「自分の技術」と「自分」を同化するのは違う。


誰かが言っていた。
自立とは誰の力も借りずに立つことではなく、色々な依存先を持つことだと。
私が思う依存先とは、「安心する」「生きてて楽しい」「生きてていいんだ」と思えるものだ。
人、場所、動物、音楽、漫画、行動、何でもいい。


依存先(生きがい)の主軸を、太い柱だとする。
その1本だけで自分の全てを支えずに、周りにたくさんの小さな柱を建てるのだ。
例え主軸が折れても周りが支えているから倒壊はしないし、回復(修復)が早い。

孤独や悲しみを主な動力にして生きる人もいる。その状況で自分を良く評価されると、孤独や悲しみを大切にしてしまう。
大切にしなくても、実は人はみんな孤独だ。だからこそ、色んなものにわざと支えてもらうのがいいのだ。
ストイックな孤独よりも、色んなものに支えられた状態で生まれる技術や努力やセンスこそが、人間の腕の見せ所だと思う。
支えられて生まれたものは、一生物だ。





本を読んでいて思う。
不遇な環境にいる人が書く文章には、力がある。
不幸、悲しみ、怒り、切なさが生み出す唯一無二の魅力がある。

しかしその魅力には特徴がある。
「魅力は大きいが一過性である」ことと、「新たな不幸や悲しみを呼び寄せる」ことだ。


悲しみを糧にした孤独な文章は、幸せになりたくて、なれなくて、もがく人にとって大きな大きな力になる。
時にそれは、命を助けたりする。


でも、幸せを求めて進む次のステージには持っていけない。
ある一点を絶大に支えてくれるからこそ、自分が真摯に今と未来を生きていくのなら、いつか卒業の時を迎える。

友人に会いにいく日、信号待ちで撮った景色。
夕焼けがとてもきれいだった



「不幸であること」は、時に安心する。
幸せで満たされている状態は怖い。幸せなんていつなくなるかわからないし、幸せな時は悲しんでいる人の気持ちがわからなくなってしまう。


そして「幸せ」は妬まれる。
出る杭は打たれ、幸せは妬まれ、私はビビる。


不幸の共感から卒業せず不幸に浸っていると、現実の不幸よりも自分の中の「思い込み不幸」が大きく育つ。
それはオーラとなって表情や言動から周りに伝わる。
自分の人生の小さな選択も不幸な方を選ぶようになる。
そして不幸仲間を強い引力で引きつける。

怖いのは、これをほぼ無意識でやってしまうことだ。
望んでいないはずなのに、いつの間にか習慣になって不幸を呼んでしまうのだ。

おいでませ、不幸。
でもそれができるのなら きっと、逆もできるのだ。




私は長年「優しい」と評価されることを生きがいにして生きてきた。
それだけが生きがいだった。
つまり「人に優しくできない」自分は存在してはいけない世界線だった。
それにずいぶん苦しんだ。


冒頭で友人に怒った時、おそらく私は過去の自分に怒っていたのだと思う。
自分に言ってあげたかったのだ。


夜中の1時、私は布団の中でBUMP OF CHICKENの『66号線』と椎名林檎さんの『ありあまる富』を歌っていた。


どんな人間も存在していい。
存在してはいけないと自分や人を責める夜がなくなるといい。
これからも、何度も、そう自分に言う。

価値は、命についているそうだ。
過去にあった命に、今ある命に、未来の命についているそうだ。

自分と人の存在を手放しで「そうあるものだ」と思えたら、どんな未来が待っていても大丈夫。
そこでまた、あなたと私は笑っている。

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