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社会建築家としてのスクラムマスター

0. YESの言葉から始めよう!

本記事では、ピーター・ブロックのYESの言葉から始めよう!という書籍から、

  • コミットメントを取り戻すために

  • 社会建築家とはなにか
    で重要な部分を抜粋し、自分にとって意味のある、価値のある仕事をするには何が必要なのか、そのために社会建築家というアーキタイプはなぜ必要なのか、社会建築家とスクラムマスターの共通点を探究しようと思います。

この本は、タイトルがもったいないというか。基本的には組織論を語っています。目の前の利益だけではなく、自分たちの大切なもののために仕事をする、そんな組織を目指そう、そのためには、ひとりひとりが理想主義を取り戻し、役割として社会建築家が必要だ語られています。

1.コミットメントを取り戻すために

やはり私はいまだにコミットメントという言葉がしっくりこないのです。日本語で良い言葉がないからなのか。本書は、コミットメントとアカウンタビリティにも示唆に富む考察を用意してくれています。

真のコミットメント(献身)とは、何の見返りも約束してくれない大義に対して、「イエス」と言うこと。どうすれば自分のめざすところに行けるのか、その方法を知るすべさえないときに「イエス」と言うこと。『「イエス」と言う』ことは、参加すること、すなわち自分の経験の観客ではなくプレーヤーになることに価値を置く姿勢である。

コミットメントは、目標の実現に向かって力を尽くす姿勢のこと(=献身)

自分の価値観からくる選択に従って行動すれば、代償が伴うもの。どんな代償を払う用意があるかを自分自身に問うことは、失敗したらそのツケが回ってくるのを覚悟するということ。これはアカウンタビリティの一側面である。

行動の自由を選択したら、責任を引き受けなければならない。それは他人や組織に対して『ノー』と言い、意味のあることに対して『イエス』と言う責任である。誰かからアカウンタビリティを『負わされる』のではなく、自分自身がアカウンタビリティを選び取ることを要求される。

価値観に従って、自分が良いと思う世界を築けば良い。

真のコミットメントとは、見返りに何が約束されるかに関わりなく、自分が選び取るもの。

理想主義を取り戻す。理想主義とは、『自分の欲求を実利性の限界を超えたところまで追求していこう』という意志のこと。欲求を捨てるということは、自分の一部を失うこと。欲求はこころの問題である。心が求めること。『欲求』という言葉が商取引の世界でひどく場違いなのはこのためである。心の問題は、取引の対象にすべきものではない。心は説明したり、論じたり、欲したりするものである。エコノミストというものは、心の問題には関心を持たない。なぜなら心の問題は予測したり、取引したりできないから。欲求を軽視することは、つまり、エコノミストによって定義された世界とは別の世界が存在するという信念を失くしてしまうこと。

ただ単にこの仕事がやりたいという思いが大事。モチベーションを掻き立てるものはバーター(交換・取引)以外にもある。人間には、自分を突き動かす欲求というものがある。とはいえ、物質的な見返りのためではなく、ただ単にこの仕事をやりたいという思いから仕事を選ぶ人は大勢いる。これがいわゆる『芸術家の生き方』である。これは教師の生き方であり、多くの公務員の生き方でもあり、宗教の道を選んだ人々の生き方でもある。

意味のあることに従って行動するということは、組織や文化のはずれで生きているという感覚を持ち続けること。そのために、主流に飲み込まれないように注意しなければならない。つまり世界を変えるために、現代の文化に毒されず自分の目でしっかり物事を見ていこうと決意する必要がある。現代を支配する文化は、私たちが自分で選択することをけっして喜ばない。これが『市民』として行動することの代償であり、この代償は安くない。市民として行動することは、職場での生活や私生活を個人のアカウンタビリティの実験とみなすことであり、現代の文化に逆らって進むことなのである。

受け継いだ環境や文化を変えていかなければならない。大人になるということは、世界をありのままに見るということ。と同時に、世界は実は自分がそれをどう見るかによって決まるのだということを知ること。世界は私の前に事実として現れるが、そこからどんな結論を引き出すかは、私が決めることである。

子どもの理想主義を持ち続け、市民として行動するということはどういうことか。
①自分の意図や夢を表現し続ける。
②自分の目と直感を信頼する。
③客体ではなく主体になる。
④親密さを追求する。
⑤行動主義を選択する。
⑥自分たちが行うすべてのことに自分たちの価値観が具現化されることを目指す。

自分以外の誰かが問題なのではない。上司や同僚が私に対してどんな態度を取るにせよ、その原因を作っているのは『私』である。このことを理解して、彼らをコントロールしようとするのをやめれば、意味のあることに従って行動する道に踏み出すことができる。他人が変わるとしたら、それは私たちがそう願ったからではなく、私たち自身の変化を見て彼らも変わったということ。たてるべき問いは、『全体の幸福のために今、何が必要か?』そして『私たちは何を共に生み出したいのか?』である。もう自分の外に希望を求めることはやめよう。

見返りは期待せず、組織全体のために行動することが重要。狭い範囲ではない。組織全体の面倒を見るのはトップ・マネジメントの仕事だというのは、狭い利益だけを追求する考え方である。見返りを期待せず、軽蔑されることを覚悟して、これを実行する。コミットメントの問題が自明のことではなくなったのは、組織にとっても同じである。この組織は誰のために存在しているのかを、自らが決定しなくてはいけなくなっている。『エコノミスト』は株主のためだと言うだろうが、その考えはバカバカしい限りである。私たちは、意味のあることを追求したいと思うなら、『ここ』、つまり自分の居場所をより広く定義していく必要がある。組織の目的や組織が大切にする価値をいったい誰が決めるのか?自分たちにとって最も意味のあることは何かという判断を、なぜ簡単に他人(リーダー)の手に委ねるのか。自分の自由や行動する能力を表現していこうとする考え方は、自分を取り巻く世界がどうあるべきかは自分自身が決める、ということなのだ。

コミットメントは、自分自身が理想主義を貫き、自ら選択することから生まれる。

2.社会建築家とはなにか?

文化とは、私たちに世界の中でどう振る舞うべきかを伝える一式のメッセージである。文化は私たちに圧力をかけて自分のプログラムに従わせようとする。そしてそのプログラムは、私たちが徹底的に『道具主義的』になることを要求する。道具主義的とは、私たちの生活、とりわけ仕事の中の効率(エンジニア的なもの)やバーターや取引の手腕(アナリスト的なもの)などを重視する側面を捉えたもの。道具主義的な文化の中では、私たちは取引を行うだけでなく、自分自身を取引の対象にするように求められる。つまり文化は『人間とはこうあるべきだ』というメッセージによって私たちをその世界に適応させ、その支配下に引き入れていく。道具主義は、生命というものを親密なものとしてではなく、役に立つものとして見るということ。したがって道具主義的な世界では、理想主義はマイナス要因とみなされる。親密さはわがままとされ、深さを探求する時間はほとんどない。用心していないと、効率、効果、見返りといったビジネス界の価値が、私たちのアイデンティティの中核を占めるようになる。

自分の行為をコストと効率で判断してはいないか。私たちが世界を道具主義的に捉え自分の行為をコストと効率で判断するようになると、『何が重要か』という問いは、『何が速くて効率的か』という問いに敗れ去る。

変えたいと思わない限り、世界はデフォルトのまま。
欲求や理想主義は、経済にとって危険なものと恐れられている。
人間らしさや欲求を犠牲にして、進歩を買っている。

4つのアーキタイプ(元型)を分析する

元型とは、祖先から受け継いできた考え方。人格や行動に関する私たちの考え方に多大な影響を与えた心理学者、カール・ユングは、『集合的無意識』という概念を生み出した。人間の行動の仕方は、個人の人格や個人および家族の歴史に影響されるだけでなく、文化が持つ共通のイメージにも大きく影響される。人間の行動の仕方を究極のところで決定づけるものとして、彼が最も重視していたのが、アーキタイプ(元型)である。ピーター・ブロックが取り上げる元型は、以下の4つである。

  • エンジニア

  • エコノミスト

  • 芸術家

  • 建築家

エンジニア

エンジニアは、現実的な生き方を代表する元型である。エンジニアリング的な変革戦略の本質は、世界をコントロールし、予測し、機械化し、測定すること。エンジニアは工業化時代を孕み、育んで、生み落とした。エンジニアは問題を解決することを使命としている。方法論に深い関心を寄せる。あらゆる問題に論理的な解決策があるものと考える。エンジニアにとって意味のあるものは有用性。物事がどのように機能するかを知りたがっている。『ハウ』という問いを最初に発したのはエンジニアである。エンジニアは、導入、実行、測定、道具、スケジュールといった言葉で自分の考えを語る。エンジニアになるということは道具に恋をするということ。エンジニアにとって、問題とは解決するものであり、具体的なカタチのある、機械的、電子的、もしくは設計上の問題が最高のプレゼントである。彼らの技術は設計図である。エンジニアは具体的なものに価値を置く姿勢の象徴である。エンジニアはリスクを嫌い、リスクをチャンスとは捉えず、危険なものとみなす。
エンジニアは私たち一人ひとりの中にいます。世界についてのひとつの考え方である。エンジニアはだた、そうした価値観に従って行動する際の、特定の行動の仕方を代表している。エンジニアリングは、感覚だの人間関係だのという混沌した世界からの逃げ場にもなる。
エンジニア流マネジメントの核にある考え方は、『測定できないものは実行すべきではない』『測定できないものは存在していないのと同じ』。

エンジニアの流儀。変革をなしとげ、意味のあることを追求していくためにはエンジニアはどのように変革に取り組むのか。
①トップダウンで明確な目標を打ち出す。
②役割と責任を明確に定める
③新たに求められる行動を明確に規定する
④頻繁に評価し、効果的なフィードバックを行う
⑤感情を制御する
⑥社員を会社の資産とみなす。

エンジニアリングの限界。測定できないものは存在しないのと同じと考えるとしたら、愛、感覚、直感、芸術、哲学などはすてなければならないことになる。私たちの中のエンジニアは、私たちの存在全体がまるごとエンジニアだという感覚に、ついとらわれてしまう。
これは元型としてのエンジニアの特質であって、誰か特定のエンジニアのことではない。

エコノミスト

エンジニアの盟友はエコノミストである。理由は、エンジニアの行動の正当性を判断する基準には、安全性、コントロール、予測性だけでなく、費用も含まれるから。エンジニアが変革を導入、測定しようとするのに対し、エコノミストは通貨の交換という方法をとり、交渉によってそれを得ようとする。通貨は金銭や物質の場合もあれば、高く評価する、目をかける、安全を保証するといった無形のものもある。

組織について言うと、エコノミストは、企業の目的は株主に金銭的見返りを与えることのみである、という世界を築く。費用はいくらかかるか、時間はいくらかかるか、われわれにはどんな見返りがあるかが、決定的に重要な問いになる。エコノミストはビジネスを築き、個人から企業や国の経済に至るまで、あらゆるものの財務モデルを設計する社会科学者である。エコノミストのモデル構築の手腕は、エンジニアのモノづくりの能力と同様、私たちに大いに役に立つものだが、問題になるのはエコノミストの人間観である。エコノミストの人間観の本質は、有形の価値の交換こそ人間の動機を説明するものであり、組織の目的を決定するものであるという考えにある。私たちが仕事をしたり、サービスを提供したりするのは、それと引き換えに有形の価値を手に入れるためだという考えである。つまりエコノミストは、人間はみんな売りもの、もしくはレンタル品だと考えている。エコノミストは、意味のあることのために行動したいと思うなら、関係者の利益が何であるかを見抜き、その利益を満たす変革プランを設計すべきだと主張する。人間を動かすものは金銭その他の有形の見返りだと考える。営利組織はあくまでも利益を追求するものだとして投資に対するリターンがはっきり示されないものは、何であれ厳しく吟味する。人間関係も取引や交換という観点から捉える。純然たる慈善活動や善意の行為は疑いの目で見る。

エコノミストの流儀。
①報酬システムを見直す
②成功には競争が不可欠だ
③バーターはモチベーションや行動の重要な土台である
④あらゆる行動に費用便益分析を適用する
⑤なにがなんでも成長をめざす。規模が重要とんされ、大きければ大きいほどよいとされる。

エコノミストのマネジャーは、人的資源に大きな影響を及ぼす。優秀な人材を見つけて確保することは、金銭による取引とみなされ、いくら払うかで決まる問題とされる。人材戦略の核になるのは、契約時ボーナス、報奨制度、勤続ボーナスなど。人間は売り物もしくはレンタル品だとという考えは、悪循環を生む。金銭的な報酬制度を設ければ設けるほど、社員はそれが当たり前だと思うようになる。

エコノミストの視野の狭さ。人間に経済モデルをあてはめる考え方はきわめて深く浸透しているので、私たちの中のエコノミストは、なんら疑問を持つことなく道具主義的な道をたどる。私たちは、人間はみな、おのれの利益という動機から行動するものだと思っている。『組織とはこんなもの』と醒めた目で眺めており、したがって自分自身とも正面から向き合おうとしない。エコノミストの考え方はあながち間違いではないが、未来の可能性を小さく限定した視野の狭いものである。私たちが、これをやりたいという衝動、コミットメント、関心、情熱、そして理想主義や親密さや深さから生まれるあらゆる価値の可能性を信じられないのは、この視野の狭さのためである。

芸術家

芸術家は、直感とニュアンスを大切にする。芸術家は、心の問題に関心を持ち、エンジニアやエコノミストに対してバランスを取る役目を担っている。『芸術家』という言葉は、通常より広い意味で利用する。作家、音楽家、舞踏家、俳優、画家といった、通常の意味の芸術家だけでなく、感覚や直感や『より柔軟な』規律の世界に生きているすべての人々が『芸術家』に含まれる。つまり、社会科学者、哲学者、セラピスト、ソーシャルワーカー、教育家、宗教家など。
芸術家の世界観は、功利性や実利性に無関心であり、そうしたものを軽蔑している。芸術家は、自分が生み出すものの用途や価値に責任を負おうとしない。芸術家は偉大な思想に恋をし、感情を抽象化したものに意味を見出すことができる。芸術家は、測定も予測もできないものに魅力を感じる。芸術家は、秩序を求めようとしないだけでなく、秩序を恐れている。エンジニアが無秩序の中では息苦しくなるのに対し、芸術家は秩序の中にいるとパニックになる。
芸術家の本質は、日常生活の中になにげないものに普遍的な意味と深さを与える能力にある。私たちの目にはありふれたものしか見えないものを、芸術家は新鮮な目で捉える。芸術家は、エンジニアなら不合理だとか荒唐無稽だと思うような感情の世界を肯定し、直感やニュアンスを大切にし、ほんの少しの狂気は誰にでもあることを気づかせてくれる。芸術家は不確実さや矛盾を高尚なものに高め、それらを問題と見るのではなく、人間であるかぎりついてまわるものととらえる。

芸術家の流儀
①芸術家は意外性を愛し、それを創造性と呼ぶ
②芸術家は感情を育み、それを観察の対象にする
③芸術家は永遠のアウトサイダーである。
④芸術家はビジネスを懐疑の目でみる。

意味のあることを追求する芸術家の戦略は、何かを生き生きと描き出して世界に示すことができたら、自分はそれで十分だという考えをベースにしている。芸術家の考えの変化は感情の世界を避けるのではなく、それを理解し、解釈することから生まれる。

芸術家の力。意味のあることを追求する道への入り口が、理想主義と親密さと深さ、そしてそれらがもたらす自由に縁取られているとすれば、この道を進んでいくためには、エンジニアやエコノミストの力に劣らず芸術家の力が必要である。芸術家をなくすと、私たちはじっくり考えたり疑ったり驚いたり発見したりする力を失う。つまり、意味のあることを育むことができなくなる。

建築家

エンジニア=エコノミストの世界と芸術家の世界を統合する人物のイメージが、建築家である。私たちの中の建築家は、物の実用面での特性やその活かし方だけでなく、物の美しさにも気を配る。建築家は、エンジニアのように、物理的な世界を実用的につくり上げることだけに関心を注ぐわけにはいかない。また芸術家のように、感覚、印象といった主観的なものと形だけを大事にするわけにもいかない。建築物では、美と実用性を調和させなくてはならない。

建築家の具体例『クリストファー・アレグザンダー』
建物と居住者の経験とを統合する考え方を実践している人物が、建築家のクリストファー・アレグザンダーである。彼の設計では、自由や人間の経験を生き生きさせるものへの関心が欠かせない要素になっている。彼は建築物に生命を吹き込むための新しい言語、彼はこれを『パターン・ランゲージ』と呼んでいる。を生み出した。
『建物や待ちを構成しているパターンには生きているものもあれば、死んでいるものもある生きているパターンは、我々の内なるフォース(制約)を緩め、われわれを解放してくれるが、死んでいるパターンはわれわれを内なる葛藤に閉じ込める。部屋であれ、建物であれ、町であれ、生きたパターンがたくさんある場所であればあるほど、その場所は全一的存在として、より生き生きとし、より大きな輝きを放ち、無名の質である、あの自ら萌え続ける炎をより明々と燃やすのである (時を超えた建設の道、より)』

クリストファー・アレグザンダーが『無名の質』と呼ぶものは、意味のあることを求める私たちの心の声と同じものである。彼の心の声は『建築家』のそれである。
クリストファー・アレグザンダーがエンジニアとエコノミストと芸術家を統合したすばらしい実例と言えるのは、次のような理由からである。
①彼は設計の最初の段階から、その建物に住む人々の経験に深く配慮する
②彼は生気や元気を与えるという属性を建物の最も重要な属性とみなす
③彼は、建物は建築後も変化し続けるということをよく知っており、けっして不朽の記念碑をつくろうとはしない。
④彼は、空間の用途や寸法だけでなく、空間の質までも記述できる『パターン・ランゲージ』を編み出した。
⑤彼はこのすべてを、部屋、建物、街区、町といった物理的な世界を建設するという文脈の中で行っている。

『パターンにはどれひとつとして孤立したものはない。どのパターンも、他のパターン、それが組み込まれているより大きいパターン、それを取り巻く同じサイズのパターン、その中に組み込まれているより小さなパターンに支えられて初めて存在することができる。これが世界の基本的な見方である。これはすなわち、あなたが何かを建てるとしたら、それだけを単独で建てるわけにはいかず、そのた建物を取り巻くより大きな世界がより調和のとれた、より全一的なものになるよう、その周囲の世界やその中の世界も手直ししなければならないということだ。そうすることによって、その建物が自然の網目の中にぴったりおさまっていくのである』

社会建築家というイメージが行動のヒントになる

社会建築家の仕事は、必要な改革を起こしていくこと。意味のあることを追求するために必要なことをやっていくのは、個人としての私たち一人ひとりの責任である。しかし私たちは、個々人でそれをやっていくと同時に、それを社会にも拡大していかなければならない。個人としての可能性を、集団としての可能性に広げていく必要がある。この集団としての側面を捉えるのには、『社会建築家』というイメージを思い浮かべると良い。クリストファー・アレグザンダーの建築についての理念を、組織、すなわち社会システムの設計や構築に持ち込むのだ。社会建築家は、芸術家のように美的感覚や自分の価値観、あるいは直感的な状況把握に基づいて行動する能力を持ち、同時にエコノミストやエンジニアのように状況の物理的・具体的側面に基づいて行動する能力も備えている。『建築家』という肩書に『社会』がプラスされることで、建築家の完成がされに鋭いものになる。つまり、社会建築家はガラスや鉄骨ではなく、人々が力を合わせて自分たちにとって居心地の良い組織を築くにはどうすればよいかに関心を持つことになる。
社会建築家の仕事は、市場にも、その中で働く人々にも役に立つ組織を設計し、築き上げること。建築家が物理的な空間を設計するのに対し、社会建築家は社会的な空間を設計する。
社会建築は思いやり(社会)と仕組み(建築)が交差する分野であり、その意味であらゆる人が取り組むべきものである。
社会建築家の役割は、組織のメンバーが自分たちにとって意味のあることを追求していきながら、組織の目標を達成できる組織を築くことだと言える。組織のメンバーの個人的な価値観にそった手段を用いながら、必要な変革を起こしていくことが、社会建築家の仕事である。
社会建築家の行動の基準は、以下の3つである。
①理想主義が元気づけられるか?
②親密さが可能になるか?
③深さを追求する余地とその需要はあるか?
社会建築家になるということは、行動主義を選ぶことである。つまり、考え方は過激で、行動は慎重で思いやりがなくてはいけないのである。

社会建築家は、意味のあることのために行動する空間をつくるのが役目である。社会建築という仕事は、リーダーだけが担うべきものではなく、組織や地域社会の1人1人のメンバーが市民と担っていくべき仕事でもある。つまり私たち全員の仕事である。
私たちにとって意味のある価値は、生きているという実感を与えてくれるすべての価値であることを忘れてはならない。

愛、自由、思いやり、至高の存在に対する信仰、高潔、平等、協働、公正、調和、創造性、次世代への配慮

社会建築家の仕事は組織の目的や戦略に文脈を与え、他の人々を彼らが心に抱いている価値にそった方法で参加させることである。リーダーの仕事はそうした価値を定義することだと考えがちだが、それが必要になるのは、価値の対立が生じたときだけである。十分に深いところまで掘り下げ、世界にはみずからの意図を実現する能力があると信じる理想主義を持ち続けていれば、私たちが心に抱く価値は、対立するどころか互いに支え合う。
社会建築家の仕事は、人々が自分にとって大切なことのために行動する空間をつくることである。

最も重要な課題は、正しい問いを見つけることである。社会建築家の能力はすべて私たちの身近にある。コンサルタントやファシリテータ、社会変革が学習の専門家が持っている。これらの能力がひとりひとりのものになったとき、とりわけ、経営者のものになったとき、それは私たち自身が意味のあることを追求する手段にもなれば、他の人々がそうするのを応援する手段にもなる。

社会建築家の役割に欠かせない能力は以下である。
①人を集める能力
社会建築家は、会議の場所を設計・整備し、会議の趣旨に気を配り、交流や対話が活発に行われる構成を考え、出席者が気楽に疑いを口にできるように配慮し、ニーズではなく能力に焦点を当てる。これらのことが、親密さや自由や深さを支持する変革を実現するためのツールになる。
社会建築の基本理念は、『人々の集い方こそ、そのシステムがどのように機能するかを決定するカギになる』である。

  • 誰が参加するかを重視する

  • 会議を行う部屋の物理的空間に気を配る

  • 参加者同士のふれあいが多い活動を盛り込む

  • 全員が発言できるように時間をとる。

  • 能力と強さに照準を絞る

②問いを決定する能力
社会建築家は、議論の文脈を決定し、さらに、議論を始めるために正しい問いを決定しなければならない。問いを選ぶことは、議論の枠組みを決めること。
そもそも自分たちはなぜここにいるのかを議論する。
私たちはあまりにも狭く限定された問いに時間を費やしている。社会建築家は問いを広げ続ける。それこそが人々を参加させ、理想主義や深さの余地を創り出すものだからだ。

③学習のための新しい会話をはじめる能力
④参加と同意の戦略を固守する能力
私たちが心の中に、芸術家とエンジニアを統合するイメージを持ち続けるならば、未来は押し付けられたものではなく、選び取ったものになる。コミットメントやアカウンタビリティは強制されるものではなく、呼び起こされなくてはならない。そしてそれは対話を通じてなされる。

⑤住人の選択を支援する戦略を立てる能力
社会建築家の仕事は、そこに住む人々自身が設計に参加できるようにすることである。これは最初だけではなく、追加や削除等、更新時にも同じことがいえる。社会システムを構築するために必要な設計要素は以下のようなものがある。

  • このシステムの使命は何で、誰がそれを決めるのか。また、私たちは、本当は誰のために活動すべきなのか。

  • 私たちはリーダーの仕事をどのように決定しいくのか。また誰がそれを決めるのか。

  • どんな手段が私たちにとって意味があるのか。私たちは集団としてそうした手段を選択してその数を5つに絞ることができるか。

  • どんな学習やトレーニングが必要で、誰がそれを決めるのか。階層間の隔たりを乗り越えるために、異なる階層の人々が共に学習することができるか。

  • 正当かつ透明で、しかも公正な報酬の要素は何か。また、誰がそれを決めるのか。

  • 私たちはどうやって変化を導入していくのか。また誰がこの選択を行うのか。

  • 私たちは市場や奉仕すべき相手とのつながりをどうやって維持していくのか。また、誰もがそれに関与していくにはどうすればよいか。

  • 人間の動機について私たちはどのような見方をしているか。また誰もが実践しようとしてい る価値とどのようにつながっているのか。
    どの要素にも「誰が決めるのか」が含まれていることに留意する。私たちが自分の 価値観に基づいて態度を明らかにするのは、「誰が決めるのか」「誰が参加するのか」という問いに答えるときである。

社会建築家は、エンジニアやエコノミストにとって代わるものではなく、彼らの能力を高めるものである。


3.社会建築家としてのスクラムマスター

さて、ここまで社会建築家とはどのような役割なのか見てきたかと思います。私はこの定義を読んだときに、「スクラムマスターじゃないか。」と考えてしまいました。スクラムマスターは、組織の変革者であり、まさに場そのものをつくり、人々が本音で語り合える環境を用意します。スクラムという働き方を変える手段を利用して、スクラムマスターは組織の課題が自ずとあらわになるようにします。もちろん、あるときはリーダーとして、チームをリードするときもあれば、チームや組織に課題に気づきてもらう必要もあるでしょう。スクラムマスターは勇気ある代弁者です。組織やチームの鏡であり、ただの鏡ではなく、口がついている鏡です。「王様は裸だ」と言うことが求められる役割でもあります。

理想主義、親密さ、深さ、どれも今でもビジネスの世界で謳われていない言葉です。これらはどちらかというと、コーチングの領域と関係が深い。皆それぞれが大切にしているものを大切にできる、それが是とされる組織、職場をより多く増やしていければ、これらの言葉はより浸透するのではないかと思います。

本書は、Tobias Mayer(CST)のCSP-SM研修を受ける前の課題図書の一つとして挙げられている本です。2002年出版ですが、その考え方は色褪せないどころか、今の時代でもまだまだ未来を見ている本だと言えるでしょう。

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