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心に傷を持つもの同士がバランスを保っていた話

夫は結婚する前の恋人時代から”理論武装”の人でした。
喧嘩が成立しないほど理詰めで迫ってくるので、
まさに敵にまわしたくない人でした。

一つ覚えているのはお金の使い方です。

夫からお金の使い方を非難される

私の働き始めはフリーターで、
得られる報酬もかぎられていました。
デートに使う額はほとんど私持ちでした。
(彼の実家は頼れなかったので)
奨学金で生活している彼をサポートするのが、
私の使命だと感じていたからです。

新婚時代もお金が無かったので、
堅実に生活しようと努めていました。
でも、引っ越し先で会社に勤め始めると
少しずつ生活が上向き始めたので、
今までずっと欲しいものを我慢してきたんだから、
ちょっとくらい許してもらえるだろうと、
私が好きな雑貨(数千円)を中心に会社帰りに
購入する日が続きました。
そのことが彼に知れてしまって、
私の金銭感覚を修正しようと
ものすごい剣幕で怒ってきたのです。

当時は何が何だか分からないまま責められた事が、
理不尽な思いをしたという記憶のしこりとなって
消化できませんでした。

「何て心の狭い人だろう・・・。
まあ、複雑な家庭で育ったのだから仕方ない。」


と、無理やり理解しようとしていました。
おまけに人見知りは酷いし、
お店の人ともスムーズに話せないので、
在庫を確認してもらうとか、値段の交渉などの対外的な事は、
全て私が担当して夫をリードする生活が続きました。
「何かの記念日にエスコートされて外食をするなんて
夢のような出来事は、私の人生には起こりえないんだ。」
と諦めて生きていました。

周囲との差に傷つく

それでも、周囲の彼氏や夫がいる人達の話を聞くと、
「~に連れて行ってもらった。」とか、
「デートでサプライズしてくれた。」といった
幸せエピソードを耳にするだけで惨めな気持ちになり
胸が締め付けられました。そんな時でも、
「私は、そういう待遇をして貰えるレベルの
女性ではないのだから仕方ないんだ。」
と言い聞かせて、ひたすらに我慢していました。
「してもらえないことを悲観していないで、自分ですればいいんだ。」
と我武者羅に働いた報酬を服や洋服などを購入する為に
費やして、沈んだ心を満たしていました。
でも結局それは代償行為以外の何物でもなくて、
満たされない思いはまた”物欲”となって表出してくるという悪循環でした。

なぜ別れなかったのか

ここまで読まれた方は、
「なぜ、そんな男と縁を切らなかったのか?」
と疑問をお持ちになるでしょう。

私も、自分の事ながら
「うわ、怖い。よく離婚しなかったなぁ。」
と思っています(苦笑)。

夫と話し合いを重ねていくうちに、
私たちの関係が壊れずに
うまくバランスを保てていた要素が分かってきました。


夫の生い立ちが影響を与えていた行動

彼は幼少期に両親から適切に養育されていないので、
自分の育ちを他の人に知られたくない。劣っていると思われたくない。
 (→人と話すことが苦手。外食なんて、もってのほか。)
一緒に居る人が自分と違う考えにならないようにしたい。
 (→私のことを全力で説得しにかかる。)
相手が喜ぶだろうなという想像が働かない。
 (→デートでサプライズが起こるなんて、この世の奇跡。)
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という風に物事をとらえていたことが分かりました。
私が夫と別れなかったのは、
心の傷が影響していない部分の彼がごくたまに顔をのぞかせると、
博識で論理的で、私の事を大切に思っていてくれる人だと
感じていたからです。

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私の生い立ちが影響を与えていた行動

・自分を極限まで滅する事が何より大事だと思っていた。
 
(→叱られても、納得いかなくても、一方的に我慢していた。)
・弱い立場の人を助けてあげれば、自分の価値が上がると思い込んでいた。
 
(→自分が先頭に立って過剰にサポートしていた。)
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お互いのニーズが上手くかみ合って
危ない綱渡りを繰り広げてきたのだという事を改めて実感します。
今なお、夫は自分の心の病と向き合っている最中です。
ものすごく努力していると思います。
おかげで、以前のような事はほとんど無くなりました。
見違えるように穏やかになりました。

ひとつ変わらないのは、人見知りだということ。
これは元々の性格だったのかもしれません。(笑)

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