ジョハリの窓と缶ビール
父はなんともない人だった。父はいつも夜の9時くらいに帰ってきて、ご飯を食べて、テレビを観て笑って、お風呂では湯船に浸かりながら寝てしまう人だ。ぐぉぉ〜っとお風呂場から父のいびきが聞こえる。たまにテレビで湯船で寝落ちしてしまってそのまま溺死することもあるなんてことも言っていたからいつもほんの少しだけ、心配している。
父はお風呂から出たらパジャマに着替えて缶ビールを飲む。スーパーで一番安いやつを段ボールにはいったやつで買ってくる。それを母も飲む。母は夕飯前から夕飯後23時くらいまではリビングと台所を行ったり来たりする。台所で換気扇をかけてタバコをふかす。その時にどんなことを考えているのか分からない。母はビールを飲みながら、テレビでバラエティを見ているとゲラゲラ下品に笑う。ニュース番組になるとセクハラ訴訟の特集がやっていて、それに対して「触らせてやればええんやて、減るもんでもない」などとありきたりな持論を述べる。我が家では声が大きいのは母の方だ。父はそれに対して共感しているんだかそうじゃないんだか曖昧な声を出して、一応、レスポンスを返すだけだ。
我が家はそんな風景をずっと繰り返してきた。
ほんとうに時折、父が帰らないのは会社の泊まりがけの研修とかの時だけだった。そんな時、母は少しいつもとムードが違う。ぼくに将来のことを聞いてきたり、あるいは家庭の昔話をふいにし始める。いつも晩酌の相手をしている父がいないからだろうか、そういう時はぼくが晩酌の相手になる。もっとも、未成年のぼくは飲まないけれど(1回だけ勧められて飲んだことがあるが、まだ美味しさは分からなかった)。
「あんた、おばあちゃんのこと覚えとる?」
「少しな、うっすら程度」
「お父さん、母子家庭だったでしょ、それ知ったのは付き合い始めてからだったのよ」
「そうなんや」
「お父さん、デートの後はね、食パンを買って帰るのよ、あの人」
「食パンね」
「そう、しかも毎回、だから、ある時「なんで?」って聞いたの、そしたらなんて答えたと思う?」
「おつかい、とか?」
「腹が減るからって」
「ほぉ」
「それで初めてお父さんのお家に遊びに行った時にわかったんだけど、おばあちゃん、ほとんどお父さんの面倒見てなかったの、居間のテーブルのうえにりんごがポンって置かれてるだけだったの」
「りんご・・・」
「そう、おばあちゃん麻雀好きだったでしょ?もうしょっちゅうお友達と麻雀やってたからお家にいなかったんだって」
「そうだったんだ」
「それでも、女手一つで育ててもらった恩があるからって、言われた通りに工業高校にいって、そのまま就職して、生活の面倒みてたの」
「健気だねぇ」
「おばあちゃん、最後認知症でほとんどお父さんのこと忘れちゃってたけど、毎日オセロの相手してたの、ボケにきくからって」
思えばそんなような記憶があるような気がしてきた。おばあちゃんが亡くなったのはぼくが小1年生くらいだったから、かろうじて覚えているけど、たしかに父はおばあちゃんとオセロで遊んでたな。それで、おばあちゃんにハンデで4つの角を譲ったうえで対戦して、さすがに負けていたけど、ずいぶん楽しそうに負けていたような気がする。その頃、すでに中学3年生だった兄(のぶや)は鬱陶しそうにその様子を見てイライラしていた。その恐怖心のおかげなのか、なんだかその時の光景のことをよく覚えている。
「もう落ち着いたけど、のぶやが一時大変だった時あったでしょう?」
「あぁ、お父さんと胸ぐら掴み合った時とかあったね」
「そう、毎日朝まで帰ってこんわ、学校からは「のぶやくんがクラスの子を殴りました」とか「のぶやくんがガラスを割りました」とかしょっちゅう掛かってきて、お母さんたちも毎日ヘトヘトだったのね」
「だろうね、心中お察しするよ」
「そんな時にお父さんがなんて言ったと思う?」
「んー、さぁ?」
「「俺はな、のぶやのことが羨ましい、あいつみたいに自由にしてみたかった」って」
ぼくは父のことを何も分かっていなかった。父は本当はどんなことをしたかったのだろう、どれだけのことを諦めてきたのだろう、そしてその度にどんな気持ちになったのだろう。
父は時々すごく酔っ払って帰ってくる時がある。大抵は会社の飲み会だと言っていた。ぼくは自分の部屋というものがなかったのでいつもリビングで学校の宿題などを済ませていた。そんな時、その勉強するぼくを見て父は楽しそうに話しかけてきた。
「みつき、出る杭は打たれるけどな、出過ぎた杭は打たれないんだ」
「そうなんだ」
「そう、出る杭はな、打たれるんだ、でも、出過ぎたら、打たれないんだ」
「うんうん」
「そのためには、自分を知るってのが大切で、それがな、ジョハリの窓っていうらしんだ」
「じょはり・・・?」
「こう窓って四つの四角があるだろ、左上が「自分も知ってて他人も知ってる自分」で、その隣が「自分は知ってるけど他人は知らない自分」、左下が「自分は知らないけど他人は知ってる自分」で、右下は「自分も他人も知らない自分」なんだ」
「ほうほう・・・」
「この「自分も他人も知らない自分」ってのを小さくしていくのが大事で、そのためには他人に自分のことを話したり、教えてもらったりすると、だんだん「自分も知ってて他人も知ってる自分」が大きくなって行くだろ?」
うん、そうだね、父さん。ぼくは、その話とても面白いと思ったよ。
この時に限らずに父さんはいつも新しく発見したことや、学んだことを楽しそうにぼくに教えてくれたね。父さんのその楽しさはきっと、これまで与えてこられなかったことから来ているのかな。何もしていないのに、学びの方から自分の方にやってくるっていうのが嬉しかったのかな。
母はビールを大体2缶飲んだらリビングでそのまま寝てしまう。ぼくがリビングで寝ているとけたたましく起こしてくるくせに、自分のことはいつも棚に上げてはこのざまだ。好きなだけ飲んで、好きなだけ話して、好きな時に寝落ちする。なんで今日は父さんの話をしてくれたのか結局よくわからなかったけど、こういう日もいいもんだね。
そろそろ眠ろうか。明日も朝勉だ。
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