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素人診断:発達障害

女子が同性集団に馴染めないのは発達障害だ

 これは最近嫌というほど目にする話だ。恐らく僕自身がその言葉によって属性を否定される対象だからだろう。大体生得的女性の性的少数者に対して「あなたは女性なのです。」という意見表明をする際に用いられ、その後にはこう続く。
「あなたはFTMでもXでもなく、ただの発達障害の女性なのです。」
そして、男性社会に迎合しようとする生得的女性に対する嘲笑ないしペナルティとしても用いられる。その時には大抵こう続く。
「あなたとあなたが連んでいる男性の間に真の友情なぞ存在しません。」
「あなたが下に見られているか、異性であるために性的対象として大目に見られているだけなのです。」


 トランスジェンダーに発達障害者が多いというのが本当なのかはわからない。最終的な結論も出ていない・・・らしい。軽く調べたところ平成30年度昭和大学附属鳥山病院公開講座②「発達障害とジェンダー」(横井英樹、霜山祥子、五十嵐美紀)の文字起こしにて横井英樹氏による言及があったので下記に引用しておく。

2015 年に電通ダイバーシティ・ラボが調べたものでは、13 人に1人はそういうものを持っていると。ー中略ーちなみに、13 人に1人、7.6%という数値は、乗車率が 100%の満員電車で 160 人ぐらい なのですが、その中に 12 人ぐらいはそういう感覚を持っている方がいると考えられること になります。結構多いのではないかと思います。発達障害と診断された方の中ではどれぐらいかといいますと、10%ぐらいではないかと思っています。

http://www.showapsy.com/wp-content/uploads/e3900c316e60023ba775b78e54260842.pdf

 確かにそういう傾向はありそうだ。しかし7.6%となると目の前にいる人が発達障害であるかどうかは断定しずらいとも言える。13枚の中からハートのAを引いてねと言われて引ける確率が高いか低いかと言われたら、低いと判断する人が多いだろう。それに2015年という古い統計ではあるので今を反映しているとは言い難い。未診断を考えても4割は行かないような気がする。

 がそんなことは主題でもなんでもなくて、そもそも専門家でもなんでもない人が、一つの属性、発言を以てして発達障害であると断定すること自体が問題であると言うことは認識してほしいところではある。医師の診断であったとしても発達障害の過剰診断や誤診断が問題視されているのであるから、素人がどうこう言える問題ではない。下記に過剰診断及び誤診についてのリンクを貼っておく。


発達障害のスティグマ性

 最近発達障害を相手の意見を封殺する手段として持ち出すようになった気がする。「あなたは発達障害です。」と言えば、自分にとって都合の悪い相手の主張を全て封殺できる気になるのであろう。発達障害者に対する意思表示の不尊重がここに現れているのではないか。発達障害者は未開人か何かかと思われているのではないか。そこまでは思っていなかったとしても、保護対象であり、認知が歪んでいることに無自覚な発達障害者の言うことは矯正してあげなければならないくらいは思っていないと出来ない手段だと個人的には思う。

同性ならば連帯できるという幻想

 フェミニズム界隈を含む人権派SNS支部(僕が勝手にそう呼んでいるだけ)を観測してみると、「同性ー女性ーならば連帯できるのだ」という共通認識が漠然と存在しているように思える。女性は須く差別を受けており、それに気が付けば皆連帯し、心を一つにして男性社会に立ち向かうことが出来るという認識といえばいいのだろうか。余談だが、この辺りが他の人から見たらファシズム化しているように見えるのかもしれない。
 ただ、彼女達が常々主張するように世の中には多種多様な女性がいる。女性規範に迎合したいという女性もいれば、したくないという女性もいる。女性規範に従っている人もいれば従っていない人もいる。画一化されていない存在が併存しているということは、利害関係の衝突も起こりうる。衝突まで行かなくても、その部分には連帯しないという人は必ずいる。利害の不一致というやつだ。従って一丸となって連帯するということはあまり現実的とは言えない。
 「女性ならば連帯できる」というのは一種の幻想である。「多様な女性がいるんです!」と主張しながら、「女性ならば連帯しろーそして怒れー」というのはいさから矛盾しているのはちょっと考えればわかるが、そこをどう処理しているかと言えば、連帯しない女性を目覚めていない女性とすることで批判ないし未熟な女性とし、目覚めて連帯するように催促する。同性ならば連帯できるという幻想というよりは、同じ女ならば連帯しろという圧力である。
 そしてそれは生得的女性であるFTM(X)に対しても向けられる。「お前は女だ。だから性転換なんかせずに戦え。逃げるな。」これが真意なのではないか。性自認概念を用いることが彼女達にとって利敵行為に見えるのだろう。要は、連帯しないのけしからん罪である。「お前も女に生まれたならば、女として男に立ち向かえ」という圧力をかけられているのかもしれない。この圧力は名誉男性にもかけられるし、女性規範に迎合した人にもかけられるし、なんならそこまで細かく気にしてない人にもかけられるのでむしろかけられない人の方が少ない。非フェミニストはみんなかけられるので別に気にすることはない。が、その圧力をかける手段として、当人の意思を尊重しないことの表明として、生得的女性のトランスジェンダーに対しては一応有効そうである発達障害という概念を用いているのだと思う。いずれにせよ個人の尊重という側面、発達障害者に対するスティグマという側面それぞれ異なる面が多面的構造になっており、解読分析は複雑の極みであろう。そんな真面目に研究する意義があるとも思えないが。

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