見出し画像

熱々コーヒーをすぐに飲める人は人生うまくいってそう。

早朝5時から活動していて疲れているが、21時半から始まる映画までの時間潰しでマクドナルドにやってきた。映画が安く見れる曜日なので、多少の眠気は耐えねばならぬ。そこでプレミアムローストコーヒー(ホット)を注文することにした。”378”と引き換えにコーヒーを手にして、何とかマックパリピ勢があまり生息していない地域の席を確保することに成功した。

雑誌を広げながらコーヒーを一口。

……とはいかなかった。いざ飲もうとすると、この熱さの液体を果たしてこのまま口に注いで良いものか、そんなことばかりが頭によぎり、なかなか最初の一口に進めない。

某ダチョウ倶楽部の伝統芸のように、自分は脳に「絶対に押すなよ!いいな!」なんて超絶わかりやすいフリを投げかけているのだが、脳(というより神経?)は優秀なのか肝心の一押しをしてくれない。日本のお笑いを勉強してほしいものだ。

幼少の頃に遊んだシーソーを思い出した。あのシーソーがどちらかに完全に傾いていない状態のごとく、コーヒーを自分の口元あとほんのわずかの位置に待機させたりさせなかったりする、一瞬の隙も見せられない戦いがかれこれ5分は続いた。

それに伴って、これまで生きてきた20年ちょっとの人生で、自分は勇気が出ず最初の一歩を踏み出すことが遅れる場面が多々あったことを思い出した。

途中式も答えも完璧に合ってる問題を黒板の前に出て解くのに手を上げれななくて他の人に先を越されてしまったこと、就活におけるグループディスカッションにて、後に企業側から発表される模範解答に近い考えを思いついていたのにもかかわらず、発言しなかったために議論があらぬ方向に行ってしまったことだったり。

数えればキリがないだろう。これらの問題に共通しているのは、たった一つもし間違えていたらどうしようという「恐怖」だろう。誰かにこめかみに拳銃を突き付けられていないのに、銃で撃たれたらどうしよう、そう考えているのと同じぐらいばかげている。

これから社会に出て働くというのに、今のままではいけない。まずは手軽に最初の一歩を踏み出してみよう。

てなわけで大分コーヒーも冷えただろうと、ついにシーソーを完全に傾けることにした。だが勢い余って除夜の鐘を突くぐらいのスピードでもってコーヒーを口に投入してしまった。喉が焼けるような痛みに襲われながら、すました顔で再び雑誌に顔を向ける。(誰も見ていないぞ自分!)

時刻は21時を回った。いったい自分はいつになったら、最初の一歩を踏み出すことができるのだろうか、映画の上映スタート時には忘れているような考え事をしながらマックを後にした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?