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for give ness 許しは最強、について。

先日、久しぶりに会った友人と「許し」の話になりました。

「許し(forgiveness)」はヒーリングをやっている方なら、どこかで必ず「もっとも大きな力」とか「特別にすばらしいエネルギー」として聞いたことがあるんじゃないかな、と思います。


forgiveness  は 解体すると、 for  give  ness  です。

向かう先を示す  for
与える の give
性質や状態を表す接尾語  の ness

与えるための状態
与えようとする状態
forgivenessは、自分のところから何かを差し出す方向にむかっている状態・性質のことなんだなぁと思うのですね。

「許す」という訳がついているんですけど、そして実際に、許して欲しい時や許すときにもこの「forgive」を使うわけですけど、

本質的には、

forgiveness  = 与える状態

なんですよね。



何かを「許せない」とき。
それって、与えられない状態なのでしょう。
矢印は自分に向かっている。

例えば、友人と話題にのぼったきっかけは「キリストはなぜ弟子の裏切りを知っていながら、責めずに受け入れたか、許していたか」でした。

私は、許せないのです。笑
何がって「真実を見られない目、見ようとしない目」が。

ちょっと話が過去に飛びますが、友人の旦那さまが亡くなりお葬式に参列した時のことです。
愛する夫を失った私の友人は、一度も涙を見せず、毅然とした態度で美しくその場にいました。
それを見た一部のひとは「ほら、泣きもしない。お金目当ての結婚だから、万々歳なんじゃない?」と噂していたのです。
実際は、友人は、人前で自分が取り乱したら義理の母親がよりつらいだろうと察し、立派にその場を取り仕切り、あとで、私たち親友だけの場になって号泣していたのです。

私はこういったくだらない噂をするような人間が嫌いでした。
「真実を見ようとしない目、見ることができない目なら、今すぐ捨ててしまえ」と、この出来事を振り返り、当時もブログにも書いています。
振り返ると、「捨ててしまえ」とはこれまた激しいな、と思いますが、今もこの傾向は持っているのですよね。

貴い気持ちから生まれた行いを貶める卑しい心。
また、それを浅はかに受け入れる人々の愚かさ。
どちらも許しがたいわけです。

それは、彼女たちに「理想の人であって欲しい」と、自分のために求めたから。

for take ness (受け取ろうとする状態)ですね。
この言葉は英語にはないです、念のため。^^


もし、彼女たちに与えることを、それ以外の多くの人に与えることを望んでいたら・・・

彼女たちがそのような解釈をしてしまう状況を何とかしようとしたように思います。彼女たちのためにとかではなく、なんというか、こう、自然な感覚で。

許すことが周波数が高いとか、最大のパワーとか、昔はあまりピンときていませんでしたが、完全に自分を差し出す意図であるならば、確かに最強だな、と思います。


さて、私を、どう差し出そうか。



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