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【うつヌケ体験④/5】心のリハビリでいろいろな風景が見えた

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12、感情のつかえをとるレッスンをしてみた


年末の大きな落ち込みを経て、年明けは比較的おだやかな日々が続きました。

家事。読書。親友とのランチ。ウオーキング。
天気の良い日に冬の公園を散歩すると、ホッと安らいで、長い夢から覚めたような心持ちがしました。

でもときどき妙に疲れたり、気持ちが落ち込んだりすることも。体と心の調子のさざ波をやり過ごしながら、日々を過ごしていました。

年も明けて1月、3回目のカウンセリング。
「経過は順調」とされながらも、ここで2つの宿題が出ました。
1つは体を動かしたり、適度な運動を始めること。
もう1つは、ある出来事について、気持ちの整理をつけることでした。

「出来事」とは、職場で発生した、ごくささいなこと。でも初回のカウンセリングから、私がそのことを話しつつも口が重かったのを、下園先生は見逃していませんでした。
出来事の詳細はあえて書きませんが、話そうとすると、たちまちブラックホールに入ったように、何も感じなくなって、説明する言葉がなくなる。そんな感じでした。

「そのことを思い出そうとすると、急に何も感じなくなるんです」
「つまり、つかえているということでしょう。つかえているというのは、うつの回復の妨げになるんです。次回までに、自分の気持ちを整理してみてください」

気が進まない作業でした。でも、避けては通れないのだな、ともわかります。
「とにかく早く治りたい」
その一心で、勇気を出して取り組むことにしました。

結論からいうと、気持ちの整理は「大成功」。
次のカウンセリングで
「気持ちの整理、よく出来ました! 出来過ぎなくらいですよ」
「本当ですね。すばらしいですよ」
と、下園先生とSさんが手放しでほめてくれる、という結果になりました。
スッキリ!という劇的なものではなかったので、あまりに二人がほめてくれるのが不思議な気さえするほど。

1カ月の間に取り組んだことと、その経過は次の通りです。

①その出来事を思い出す努力をする

②すると、思い出すよりも前に、みぞおちに、何か”かたまり”のようなもの、こわばりを感じる

③思い出すのをあきらめ、そのかたまりに手を当てる。ここで下園先生の著書に紹介されていた「フォーカシング」という手法を見よう見真似でやってみる。

フォーカシングとは、自分が感じている何らかの嫌な思いに、しっかり向き合う技法。みぞおちの”かたまり”に手を当てながら、鉄の塊、かたまりちゃんなど「名前」を考えてみる。名前をつけようとすると、また”かたまり”がねじれて盛り上がるような感じ。手を当てて、溶けるようにイメージしながら、呼吸をゆっくりする。そのうち寝てしまう(出来事に向き合うという作業は、夜、布団に入ったときが一番集中できた)

④③の作業を数回やったのち、やがて「出来事」について、少し具体的に考えられるようになった。「なんでもいいよ、何でも感じていいよ」と自分に言い聞かせる。最初に出てきた気持ちは「悲しい」。その次が「怒り」

⑤数日間、その出来事について思いをめぐらすと、出てくる感情は変わらず「悲しい」と「怒り」。あえて感じたら感じっぱなしにしておく

⑥あるとき、出来事の、これまでと全く違う「別の観点」が出てきた。その観点から出来事に向き合うと、思いがけず「私も悪かった」という思いが発生。同時に「申し訳ない」という気持ちも出てきた

⑦数日すると、その出来事のプラス面が見えてきた。「あの出来事はなかったほうが良かったか?」と自問すると、心の回答は「ノー」。明快だった

⑧2週間が経つころ、急に家族の用事で忙しくなってきた。そのことで頭がいっぱいになって、だんだんその出来事を思い出しても「どうでもよくなってきた」

⑨1カ月が経ち、明日がカウンセリングという日。気づいたら、その出来事を考えても、みぞおちの”かたまり”が現れないことに気付いた(いつから消えていたのだろう?)

⑩カウンセリングの日。①~⑨の経過を話した。「悲しい」「怒り」「申し訳ない」。すべての気持ちはまだ自分のなかにあるけれど、いずれもものすごく小さくなっていた。

私のフォーカシング体験

1カ月の経過は以上でした。

自分ではこの出来事に対して「結論が出た」という感覚はありませんでした。
ただ、いろいろな気持ちが現れては消えていった、それだけです。

むしろ結論が出ないので、カウンセリングで何かアドバイスや指導があるのかな、と思いました。けれども結果は上々。これこそが「気持ちを整理する」ということだったようです。

感情とは波のようなもの。喜びも怒りも悲しみも、発生を止めることはできません。それは自然に盛り上がり、いずれ、おさまります。おさまれば、それは「どうでもよくなる」。そのくらいさりげないことでした。

ただし、この作業をする前、出来事を思い出そうとすると「何も感じなくなる」という現象がありました。これは、ヒトがショックを受けた後に、その衝撃から自分を守るための脳の仕組み。これもまた、自然の摂理だそうです。

「思っているより、ヒトの体はかしこいんだなあ。私にもちゃんと機能したんだ」と、感心することしきりでした。

ちなみに、なぜ人はうつになってしまうのか。その理由の一つについて、

「感情の過多によるエネルギーの消耗」
と、下園先生は各著書で紹介しています。

ごくかいつまんでいうと、過酷な環境のなかで、食べ物を確保できなければ死ぬしかなかった原始人。不安や恐怖、怒りを含め、「感情」は命を守る大切な仕組みでした。

不安が、将来を予測して備えさせます。恐怖があるから、ただちに敵から全力で逃げて、怒ることで自分より強くて大きいかもしれない敵に向かっていけました。

簡単に食べ物を確保できる現代になっても、私たちは、その原始人のDNAのまま生きているのです。
当然、感情は過多になる。だから振り回されてしまう。そんな理論です。

「悲しい」と「怒り」、その感情もまた、弱くなった私を本能的に守ろうとした”仕組み”でした。

無視しないで、このエネルギーと上手に向き合い、ケアすること。今後うつにならないためには、避けてとおれないレッスンとなりそうです。

【補足】
今振り返ると、この時期、この方法を自己流で試して上手くいったのは、「ビギナーズラック」に近かったかもしれません。その後体調が悪かったり、気持ちの問題を早く解決したかったりするときに、無理に取り組んでも上手くいかないこともありました(そんなときは直ちに辞めました)。
フォーカシングだけでなく、感情をケアするというスキルは「感情ケアプログラム」でトレーニングすることが可能です。ご興味のある方は、下園壮太先生の書籍やオンライン講座を調べてみてくださいね。

それにしても、このレッスンはうまく行きすぎました。私を苦しませていた「出来事」がなんだったのか、信じられないことに、2024年現在思い出せないでいるのです。ハテ、なんだったかしら…。

13、「真面目すぎると、うつになる」?


うつ状態の渦中にあるとき、実際に言われて苦しい言葉がありました。

「あなたが真面目すぎたから」
「もっと気軽にやればいいのに」

性格が真面目すぎるとうつになる? 
ハイ、たしかに、私も、以前はそう思っていました。同時に「うつなんて、(いい加減な性格の)自分には関係ない」とも…。

今、経験者として、もしそう言われた場合の回答は、次の通りです。

「生まれつきの性格が真面目すぎるから、うつ状態になるのではないと思う。ただし、うつ状態になった後は、どんな人もいつのまにか、いわゆる“真面目すぎる人”になる気はします」

何度か書いていますが、うつ状態の大きな原因の一つは、心と体の「疲労」。
重要なのは、その時点で疲れていないか、本当に休めているかどうか、本人の、本当のエネルギー状態(蓄積疲労)はどうなのか、なのです。

もちろん、疲労をためこみやすいライフスタイルの背景には、その人が持つキャラクターもある程度は関係するとは思います。

ですが少なくとも、苦しんでいるときに、生まれつきの性格や気質のことを問われても、何の解決策…というか励ましにもなりません。本人の捉え方によっては「性格を変えよう」「生まれ変わろう」という話になってしまいそうです。

うつ状態にある方への接し方で、悩まれている方も多いと思います。前述の2つの言葉も、私の苦しい気持ちを少しでもラクにしてあげたい、という思いから発せられたものなのでしょう。

少し例えが悪いかもしれませんが、うつ状態の渦中にある人は「溺れてしまった人」と考えてください。
普通、今溺れている人に向かって、「あなたの泳ぎ方がまずい」「もっと気楽に泳いで」とは言わないですよね。
まずやるべきことは、その人に手を伸ばし、ただちに岸に引き上げること。
溺れてしまった原因や泳ぎ方の問題は、冷えた体を温め、ショックから立ち直ったあと、本人が話したくなったときで十分です。

下園先生はこんなことも話してくれました。
「よく、うつになった人は、治った後もまたなりやすいのか?という質問を受けます。答えはイエスであってノーです。それは交通事故に遭った人が、また交通事故に遭いますか?という質問と同じなんです。道路をわたるときによく見ないタイプとか、多少そういう傾向はあるかもしれないけれど、基本的に交通事故に遭う確率はみんな同じ。うつ状態も同じなんです」

職場で一緒だったある人から、こんな質問を受けました。
「第二のあなたを、今後職場から出さないためにはどうするべきなの?」

私の答えは2つです。

1つ目は、元気なうちに休みを組み込むことの徹底。そして、休みはハシャギ系だけではなく、静かなダラダラ系、癒やし系の過ごし方を心がけること。楽しいハシャギ系は疲労することを前提に、スケジュールに組み入れること。

2つ目は、うつっぽくなったり、すでにうつ状態になってしまった時に、淡々と「告知」する第3者の存在がいること。

イメージはインフルエンザ(今ならコロナも)に罹患したときです。熱っぽくてだるいとき検査をしたら陽性。医者は、本人が抱えている事情や仕事にお構いなしに、「検査結果は陽性。出勤停止です」と告知します。たとえ締め切りが迫っていようと、またとない仕事のチャンスがあろうと、陽性である限りは直ちに自宅療養。本人も周囲もあきらめることができます。

私はたまたま早期休養がかないましたが、うつ状態の深刻化を防ぐには、早めの処置が何よりも重要。この2つだけでもかなう環境ならば、深刻化をかなり避けられる気がします。

【補足】
「あなたが真面目すぎたから」「もっと気軽にやればいいのに」という言葉は、当時の私にとって辛く感じたものでしたが、言葉そのものがダメなわけはありません。

身近にうつ状態の方がいたら、経験のない方はどのように話したらいいか、不用意に傷つけないか、緊張するかもしれません。

でも基本的には、その方の味方でいること、決して見捨てないこと、その方の辛さに寄り添うことを、言葉・態度・雰囲気で伝え続けてあげられたら、それが何よりもの励ましになります。身近に悩んでいる人がいたら、どうか恐れず支えてあげてください。

14、「話す」は「放す」


かなり調子が良くなってきた2月。
ほんの少しずつ、これまで会っていなかった人たちとランチをしたり、夜に短時間、ちょっとした用事に出かけたりなども再開できるようになりました。

ですが、ここでまた新たな局面に出会うことに。ふとした瞬間に、ものすごく緊張してしまうのです。

例えば、久しぶりに会った友人に、退社の経緯を話し始めたとき。
街の雑踏に足を踏み入れたとき。
ふと手がかすかに震えたり、冷や汗をかくほど緊張してしまうのです。
「なんか私、大丈夫だろうか。この程度で緊張するなんて…」
せっかく治りつつあるのに、これまた自信をなくしてしまう場面でした。

2月。4回目のカウンセリングで、私はこの緊張について聞いてみました。

すると、下園先生は、次のように教えてくれました。
「それだけ、うつ状態というのは、本人にとって”怖かった記憶”なんですよ。だから緊張するんです。でも大丈夫です。2つ対処法があって、一つはそのうち慣れる。もう一つは、話したり、文章に書いたりすることです。そうすることで、怖かった記憶を放すことができるんですよ」

「話す」は「放す」。

昔、原始人は、水のありかや獲物のいる場所などの情報を、仲間に伝えたり壁画にしたりしていました。それは次の世代にも伝えて、種族として生きのびるため。「恐怖の記憶も、後世に“伝えること”で、種族の知恵になるんですよ」

ふと、オーストラリアのウルルを訪ねたときに見た、アボリジニの壁画がありありと思い出されました。「そうか。私も、この怖かった記憶を、少しでも早く手放そう」。私が経験を他の人に包み隠さず話したり、ここで書いたりしているのは、実はこんな理由もあるのです。

また、この話を聞いたあとは、ふっと緊張してしまったときに「それだけ”怖かった記憶”だったからね。大丈夫、大丈夫」と、アボリジニの壁画のイメージとともに、自分を安心させるようにしていました。

それから約10カ月経ったころ、当時感じていた独特の緊張感、恐怖感はすっかり影をひそめたのに、ふと気づきました。いつから感じなくなったのか、書いたり話したりが、どのくらい効果をもたらしたのかも思い出せなくなり、「そういえばないなあ…」というくらい、ノンキな感じです。

15、うつはターミネーター(泣)


自分でも調子が上がってきたように思えた2月後半。けれども、再び「落ち込み」が襲ってきました。

好調のピークは、前回、2月初旬のカウンセリングでした。この時、話の最後に、
「上手くいくと、あと2回のカウンセリングで終わりますよ」
と下園先生が言ってくれたのです。

私は、大きく大きく胸をなでおろしました。
「もうすぐ治るんだ!」
と、帰り道はスキップをしたくなるような軽やかさ。

次の日からは、エクササイズやヨガを楽しみ、友人とのお茶やランチに精を出し、将来のプランをあれこれ立て始めました。まだ耳のつまりは若干残り、娘の勉強のことでやきもきしたり、口うるさく言ってしまう場面などはありましたが、かなり調子の良い毎日でした。

ところが。
2週間が過ぎたころ、耳に違和感が出て、なんだか体がだるくなってきました。これまでは左耳が詰まりがちだったのですが、右耳にトクトクトク・・・と水が流れるような音がするのです。
「念のため耳鼻科に行っておこうかな」
と軽い気持ちで、いつもの耳鼻科を受診。聴力検査を受けると、なんと、うつ状態発症時と同じレベルまで、低音の聞き取りが落ちていました。

「何かまた疲れているじゃない? 肩こりはある?」
と耳鼻科の先生。
「肩こりですか。あるにはあるけれど、最近はちゃんと運動していますよ」
「運動しすぎってこともあるのよ。心労はあるかしら?」
「心労…。まあ、娘のことで気をもんだことはありましたが…。会社にいたころに比べたら、心労というほどではない気がしますけど」

「季節の変わり目でもあるし、花粉症もあるかも。いずれにしても疲れているのよ。耳の薬と、抗不安剤を3日間分出すので、ゆっくり休んでね」

ガーン。本当に、頭の中で鳴った気がしました。
「また、逆もどりしてしまった!」
家に帰った私は放心状態。がっくりして、何も手がつかなくなりました。

倒したと思ったターミネーターの残骸が、また襲ってくる。あの映画のイメージでした。この2週間調子が良かった分、うつのしつこさに絶望的な気分に。

娘のことは、もっと上手く対応するべきだったか。
運動はともかく、新しくサークルまで立ち上げようとしたのはやりすぎだったか。もっと慎重にすべきだったか。
確かにすごく疲れた日があった。毎日、もっと早く寝ればよかったか…。
いろいろと考えて、後悔の嵐です。

でも、ふと、こうも思いました。
「元気だったころに比べたら、活動量なんてほんの少し。この程度の生活で調子が落ちるなら、いったい私はどうしたらいいの」

希望が再び遠のいてしまいました。

16、この落ち込みは”想定内”だと?!


再び調子がダウンして途方に暮れた私は、下園先生とSさんにメールをしました。
耳の違和感のこと、花粉症ではあること。心労があったかといわればあったけれど、不眠というほどではないこと。最近はヨガや運動をよくやっていて、もしかしたらやりすぎたかもしれないこと。耳鼻科でデパスという抗不安剤を処方されたこと…。切々と近況を訴えました。

返信はすぐ届きました。

下園先生/
大丈夫ですよ。予定の波のひとつです。 しかも小さい波ですんでますよ。デパス3日分なんて元気な人への処方です。気をつけて休んでいれば必ず元に戻ります。 安心してください。

Sさん/
こんにちは。花粉症の症状は確かにいろいろと影響が出ますね。体調も波がありますから、重なると体や気持ちに変化が起きます。次回は、今週の木曜日ですね。またじっくりお話し聴かせて下さい。休めていたらOKですよ。

「うん?これだけ?」
下園先生のメールもSさんのメールも、こちらの深刻さに比べて、文面はさらっとしていて、いつものにこやかな感じ。「想定内なんだ」と安心しつつも、ほんの一筋、腹立たしくもありました。

でも、落ち着いてよくよく考えたら、前回カウンセリングでいわれたのは、「上手くいけば、4月に回復」「上手くいけば、あと2回のカウンセリングで終わり」という言葉。あくまでも“上手くいけば”、が前提だったのです。

ふいに思い出したのが、先生のもう一つの言葉。
「あと2回くらい、好調と不調の波が来るかな」
「治った」とか「もう大丈夫です」なんてひとことも言われてはいなかったのです。
なんて早トチリの私! 
でも、仕方がない。それだけうつ状態は苦しい。わらのような希望があるなら、それにしがみついてしまう。一刻も早く脱したい私がいるのだから、と自分をなぐさめました。

「とにかくもう一度、ゆっくり休まなくては」

朝家族を見送ったあと、私はふとんに戻りました。すぐ眠りは訪れます。でも、今度は、ストーリーはないけれど気持ちの悪い夢が続けて襲ってきました。
休職した最初のころにもよく「あせる夢」「苦しい夢」を見ていましたが、その時点に戻ってしまったようでした。

17、イヤな夢はまさかの吉兆だった


3月、5回目のカウンセリング。

どよーんとした私と対照的に、下園先生は「昨日はテニスをやっていたんだよ〜」とニコニコ、日焼けした顔で現れました。Sさんも一緒に、この日は「今回の落ち込み」をかなり緻密に、分析してくれました。

まず、うつ状態の回復は調子の「波」であることの再確認。
エネルギーの波が落ちるので、本人としては「うつ状態に逆もどりした」と勘違いしてしまいがち。
でも今回が発症時と明らかに違うのは、体の調子はそれほど落ちていないこと。休みながら、自然に波は上がっていくのです。
…とは、これまでも何度も受けていた説明。ですが、まるで初めて聞いたかのように、私には入ってきました。
「そうはいっても、今度ばかりは非常事態なのではないか。下園先生とSさんの想定を超えたのではないか」
と、疑念でいっぱいだったのです。

さらに、事前に提出したこの1カ月の経緯メモを見ながら細かく分析。すると、この1カ月に、実は3つのことが起きていました。

1つ目は、ランチやメールなどで、前の職場の人と接触した後に感じた、気持ちの”ザワザワ”。
すでに去った世界ですが、私には関係なく、会社は変わりなく活気づいている事実がありました。
「社会は動いているけれど、私は一人、静かな生活をしている。死にゆく人はこんな気持ちなのかな」
とまで考えて、寂しくてたまりませんでした。「仕方のないことだ」と理性では考えられます。それでもふさがれるような想いが胸にありました。

2つ目は、再び不調に陥ったことによる「挫折感」。
この半年、うつ状態になったことですでに自信を失っていました。が、そんな中でも最近はヨガなどをして、だいぶ体力気力も戻ってきたと実感していただけに、余計にガックリくるものがありました。

「うつ状態のハートは、2つのことに敏感なんですよ」
と、メモ用紙に、ハートマークを描く下園先生。
「1つは寂しさ。社会からのとり残され感はそこから来ています。もう1つは今までの苦労、努力、積み上げの否定感。元気なときに比べて、この2つを必要以上に感じてしまうんですね」
調子がいい、と本人は思いつつも、敏感で素直なハートは、これらの刺激をズキズキと受けていたわけです。それも「必要以上に」。

そして、この1カ月の3つ目のポイントは、このころ見ていた、嫌な夢、苦しい夢のこと。
これはなんと、いわば”吉兆”でした。
「この時期の嫌な夢は、うつ状態の当初の夢とはちょっと意味が違うんですよ。いよいよ治り始めている現象なんです。もうすぐうつが治ろうとしている。でも潜在意識が“本当に大丈夫?”“現実に戻るとまたいろんなことがあるよ”とお知らせしてくれているんです」

治り始めている?! 潜在意識がお知らせ?! 
がく然としました。この2週間の落ち込みも、本当に回復に向かっている途上だったわけです。

とはいいつつ、調子が落ちるのは苦しいもの。治る“兆し”が遠ざかり、見えなくなるのが、何よりもこたえます。
下園先生は落ち込んだときのコツとして、1日の作業量を決めること、人と会うときは2倍疲れることを想定して上手に過ごすこと、をアドバイスしてくれました。

こうして、「うまくいけばあと2回で終わる」と言われたうちの1回、5回目のカウンセリングは終了。

大丈夫、私は治る過程にあるのだ…と、言い聞かせながら帰途に着きました。

最終回へ続きます

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