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10代の置き勉、20代の忘れ物、30代の落し物。

noteをご覧の皆さん  こんばんは。
どういうわけか このわたしのnoteに
出会ってくださった皆様へ ようこそ
初めまして。

また 大変ご無沙汰しておりましたが
私自身久しぶりのnoteです。

さて 何から話し始めましょうかと
思いをめぐらせておりましたが
特にテーマも決めず ゆるりと語り始める
スタイルが好きな私です。


今年に入ってもう5ヶ月が過ぎ去り
明後日からは6月。あっというまのような
時間の流れの中で、ふと何かを忘れているような
そうでも無いような気持ちになる事があります。
皆さんは いかがでしょうか。

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私自身 子供時代はよく忘れ物をしていました。
体育のある日に運動服を忘れてしまったり
置き勉したはずの教科書が家の机に留守番
していたりと 何度背筋が凍ったことか…と

今でも その頃のトラウマからか夢に出てきて。
体育の授業を受けたくなくて保健室に逃げ込み
休みたい  という悪夢を今だに見るのです。

忘れたくなくて 置き勉したのに
そうすることで頭に「勉強」が
入っていかない。

忘れないことを努力すべきなのに なぜか
忘れる前提で動いてしまっていたり 。

おかしな子でしたね…今思うと。

20代に入り社会人になれば
体育の授業というのはなくなって

さぁ 悪夢とはこれでおさらばね、と
夢心地な時間はそう 長くは続かなくて

仕事着のブラウスを忘れた
筆記用具を忘れた 電卓 マウス 大事な書類…

学生時代よりももっとキモが冷えました。

…私の忘れ物の話は ここまでとして。

過去の自分を振り返ると
もっとこうしてれば良かったとか
もっとなにかできたんじゃないかとか

自分自身を責め立てるような感情が湧きます

けれど それら全てを抱えて その延長線に
今の私がいて  忘れものとはキモの冷えるもの
だという認識をしている。それが

過去の私からのメッセージで ギフト
教訓という名の 贈り物…

いま、忘れたくないものがあるなら
もしくは  今見えてないものがあるなら
さらには 分かってるはずなのに目を
背けてしてしまった事柄があるなら

「今」まさに それと向き合え    と

いつか未来の私が「忘れ物」「落し物」と
思わなくても済むように。


私の「今」は   「あっという間」に
過去の記憶になるのだからと

一分一秒も惜しいと
30代の落し物を 拾い上げながら進めと

20代の忘れ物、30代の落し物、
そして 10代に置き勉していった  私の

私にとっての 大切だった「もの」達を
記憶を 紐解いて 照らしていこう
光を当てていこう と思います。



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