見出し画像

こころのかくれんぼ 4       【18歳の決意】

子供を持つことについて

この世には、様々な病気や障害と呼ばれるものがある。
その特性が出生前診断で見つかった時、96%の人が堕胎を選択するという。

私は高校3年生の春休みに大学病院に入院し、精密検査の結果レックリングハウゼンの診断を受けた。

30年前は今ほど簡単に情報にアクセスすることも出来ず、病気に関する知識は診断してくれた当時の主治医に尋ねるか、図書館に通って調べるしかなかった。出来る限りの事は、調べてみた。
知るのが怖い。でも知らなくては。
自分の身体にこれから何が起きるのか。どうなっていくのか。
知るほどに安心からは遠ざかっていくのに、調べずにはいられなかった。


「この病は遺伝性のものであり、50%の確立で子供へと受け渡されていく」
その事実を知った私は、ひとつの決断をした。

子供は作らない。
子供は産まない。

自分自身がこの病を持ちながらも出逢う人に恵まれ、私と言う個人を受け入れてもらいながら生きてこられた事は、奇跡のように幸福だと思っている。
病があってこそ「全ての事が当たり前では無いのだ」と感謝して暮らすことも、強要や強制からではなく芯から生まれた意識だとも思えている。
自分自身や他者や暮らしに目を向け、その都度向き合いながら、沢山の気付きを受け取らせて頂けた人生を有難く思う気持ちは、ずっと変わらない。


でも、だからと言って自分の子も同じような感覚で生きていけるだろう、その子なりの幸せな人生を送れるだろうという私側の理由で、1/2の高確立で病を子に受け継がせることは出来なかった。
それは前述したように、症状の出現程度があまりにも個々で異なるからだ。
病を持ったひとりの人間の人生が、始まるのだ。

数十年間、毎月私の子宮は子供を授かれるように準備を整えてくれていた。
生理が来るたびに、出血するたびに、申し訳ない気持ちに苛まれてきた。
「せっかく妊娠の用意をしてくれているのに、ごめんね」と。
せっかく、産める身体を頂いているのに。
出産イコール女性性では無いよ・・・と言い聞かせながらも、母親にならない決断をした自分自身をずっと心の底では否定し続けてきた。

何よりも、一緒になってくれた夫への罪悪感も強かった。
普通の家庭がつくれなくてごめんね、と何度も思っていた。
私じゃなかったら、彼はお父さんとして生活する人生を歩めたのに。
私がお母さんになれないのと同じく、彼はお父さんにはなれないのだから。
「2人で生きていこう」と言ってくれたけれど、やはり辛かった。

ディンクスという言葉が1988年に内閣府から発表されけれど、この頃は結婚したら子供を作るのがまだまだ「ふつう」の時代だった。

DINKs(ディンクス)とは、
共働きで子供を意識的に作らない、持たない夫婦、またその生活観のことを指す。英語の "Double Income No Kids" または "Dual Income No Kids"
(倍の/ふたつの収入、子供なし)の頭文字等を並べたものである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/DINKs

「子供はまだ?」
「お子さんは何人?」
「お子さんはおいくつ?」
「まだ若いんだから、がんばって」
「こどもがいないと、さみしいでしょ」

職場や研修先で、相手に「既婚者です」と告げたその後に、これらの言葉が投げかけられる。病や障害と言うものに縁遠い人々にとって、子供は「いて当たり前」なのだという社会の認識を身に染みて感じていた。
悪意はないというのも、重々承知の上で。

子供を作らないことは、自己の存在を根底から否定することにも繋がるようで、時々足元が揺らぐような感覚がする。
いや、決してそうではない。自分で決めた人生なのだからと思いながらも、心の隅ではずっと揺れ続けているのが現実だ。


時々自分に問いかける。
「生まれ変わったら、また同じ身体になりたい?」と。

私は首を横に振る。

「私はふつうの身体になってみたい」
それが紛れもない、嘘偽りのない、私の真実の心の声だ。


「同じ病の子を産まない」という意思そのものが選別意識であり、自らが社会的差別を生み出しているのではないか・病や障害を持つ人は不幸であるという思想を持っているのではないか、・・・と批判をされたとしても、それは仕方ないと思っている。

願わくば、どうか健やかに生まれてきて欲しい。
そう願うことも、ひとつの真実ではないだろうか。

何が本当に正しいかなんて、私には分からない。
だから、考え続けていきたい。
私の身体と心を全て活かしながら。
それが、私の決めた生き方なのだから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?