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#4 面倒くさい腐女子の話

ここのところ腐の繋がりでもなければ一生知り合うこともなさそうな人と友達になれることが増えていて本当に楽しいです。
学生、主婦、サラリーマン、漫画家、声優、薬剤師、飲食店店員、小学校教師、大学事務員、図書館司書、古物商、エステティシャン、ブライダルデザイナーなどなど。バリエーションの豊かさにもわりと慣れてきたつもりだったのですが、先日は弁護士を発見して久々にちょっと驚きました。腐女子って弁護士とかやるんだ

今回は、私の抱えるこだわりと腐女子のめんどくささの話。キモくなったらごめんなさい。

様式美だけでもイヤなの

何度も繰り返している通り、BLの面白さは、コンテクストの高さと様式美にあります。
様式美にのっとって、現実と虚構の間を行ったり来たりするのが楽しいんです。

でも、様式美を安易に、表層的になぞっただけじゃ陳腐に感じちゃってイヤなんです。(たぶん、私だけじゃないと思う)

「ようはイケメン2人がイチャイチャしてれば女は喜ぶんだろ?」程度の考えでつくられた、なんちゃってBLコンテンツには、正直ちょっと腹立たしく思うことさえあります。

型ありきの娯楽は「型の先にあるもの」が見られている

様式美のある娯楽の醍醐味は、徹底して「型」をなぞった表現の端々から漏れ出るものにあります。いわゆる、神は細部に宿るというやつ。

ハイコンテクストな娯楽は外野から見ると、パッと見の突飛さや型の厳しさばかりが目についてしまうもの。しかし、型が厳密であればあるほど、そのなかで表現されるものが際立っていくのです。

私はこれを、表現を型で微分すると呼んでいます。たぶん私しか呼んでいませんがニュアンスは伝わると信じてる。伝われ。

「型」のある娯楽の醍醐味は、表現を「型」で微分したときに残る部分にあります。
そして、「型の先」にあるものを汲み取るには、ある程度の習熟や人間的な成熟を要するものです。
これはたぶん、すべての娯楽の行き着く先は能とオペラという話と同じなんだと思います。

表現を型で微分することそのものの思考的な楽しさ、微分値を汲み取って共感する快感はクセになります。これは腐女子に限らず、「大人向け」と言われることの多い娯楽にハマる人に共通するんじゃないかな。

刺激は減衰する

一瞬の眩しさのあと、「目が慣れる」ように。
パッと見て感じる刺激は、接しているうちに慣れるものです。

ミュージカルってなんで急に歌ったり踊ったりするの?喋り方も大仰で全く理解できない…
みたいな話って、ミュージカル好きには全然大した問題じゃないんですよね。それと同じ。

BLもそれです。男と男がハァドッコイショしてる様はとてもビビッドなものですが、その刺激的な「型」には比較的すぐ慣れてしまいます。私がクセになっているのは、刺激的な様式美に慣れた先にある、リスペクトフルな快感のほうなんです。

型で微分したときに残るものは何だ?

それで、BL作品を前回紹介した「BLの様式美」という型で微分したときに残るものが何か、という話で、

それが「愛」だったり「萌え」だったり、あるいは「ただただエロを書きたい欲求」だったりすると、とても心地よいのです。
それが「こんなもんだろ感」や「これで売れるんだろ感」、やっつけ感から漏れる「腐女子への蔑視、ディスリスペクト」だったりすると、バカにしないでくれる?とすら思うわけですね。

BLはすでに、分化と成熟が進んだ娯楽です。ナメてかかると新大阪駅で読売ジャイアンツ応援フェアやるで~~~!!!みたいな状態になってしまいます。

BLコンテンツが雨後の筍になっている昨今ですが、マーケターの皆様におかれましてはお気をつけください。とお伝えいたします。(何かを思い出した)

ラノベ界隈と似てると思う

これは「なろう」系などのライトノベルジャンルでも同じことが起きている、と(門外漢ながら)思っています。
ライトノベルってあのタイトルと独特の語り口調、あるいはお約束設定によって、どうしてもバカにされやすいようなのですが、じゃあバカにしてる人間がラノベジャンルで売れる作品を生み出せるかといえば、絶対できないでしょう。型を無視した娯楽は陳腐で幼稚なものになりがちです。

型の理解は、ジャンルへの愛なくしては不可能です。型を体得して、その上で作り手の意志を乗せなければなりません。

多数派ではないかもしれないけどね……

ここまでの考えはホント私のこだわりの話で、「違うよ」と思う腐女子もいると思います。本当に、楽しみ方は人それぞれです。

一例として、第一回目で「BLカプに自己投影はしていない」と言いましたが、全てのBLにおいて女子の自己投影が「絶対、全くない」とは言い切れません。
というか、私も自分で書いていて、推しの攻が好きすぎて
「あれ?これ夢になってない…?大丈夫かな…?」
と不安になることがあります。(夢が悪いっていう意味ではなく、夢なら夢、腐なら腐で区別したいのよ…)

第一回目に解説した「夢女子に近いものになるのですね。
「つまり腐女子は攻の男に抱かれたいんだろ?」という認識は誤解です。私は推しカプの部屋の天井になりたいんです(2回め)

このあたり、商業の「腐女子あるある」マンガでも混同されていることが多いです。メディア展開をしていくうちにうちに組織の意志に飲まれてしまうんだろうね……

腐女子とオタク女の区別が怪しい「あるあるモノ」も多いなか、この2作品は繊細な違いをきちんと描き分けられています。

なんたって腐女子本人が描いてるから。
腐女子のつづ井さんは一部無料で読めます。めちゃくちゃおもしろいし腐女子の生態がよく分かるのでぜひ…

「つづ井さん」のとあるエピソードで、つづ井さんが「推しをくっつけるためのあて馬になりたい(意訳)」みたいなことを呟き、友人に「何を思い上がっているのアンタ(意訳)」と言われるシーンがありまして、その時わりと衝撃的に自覚をしたんです。私も自己投影はしていたのかもしれない、と。

そう、私の投影先は、モブおじさん…

モブおじさんが愛おしい

モブとは、物語を進行させるために登場する、便利な名も無きキャラクターのこと。物語を進める役割以外の描写がないのが特徴の、雑な扱いを受けるひとたちの総称です。不治の病で余命短い女の子を刺した通り魔が最近の代表選手かな?
BLや男性向けエロマンガにおいては、「おじさん」の姿で現れることが多いです。

BLでよくあるのは、モブおじさんにひどい目に遭わされていた受ちゃんを攻くんが助けてマジカルヒーリングコック(英語スラングでごまかす)という流れ。

モブおじさんには、書き手の願望とか欲望を乗せやすいのです。推しカプの尊さを引き立てるためにいつでもどこでも便利に使えるため、好きな作品や推しが変わってもモブおじさんとは長い付き合いになってくわけで…
なんか、気がつくとモブおじさんを愛おしく思っているのです。

そんな、モブおじさんが主人公のマンガがあります。BL作品における、モブおじさんの報われなさに想いを馳せるための一冊が、これ。

シンプルな表紙とは裏腹に、めっちゃ普通にちんちん出てるからご注意ください

切ない…しんどい…救いがない…
そうだよね、モブおじさんも一人の人間だったんだ…ごめんね使い捨ての棒みたいに扱って…

いとしきもの

うつくしきもの、瓜にかぎたる稚児の顔。すずめの子の、ねず鳴きするに踊り来る。脂ぎったるモブおじさんの、受ちゃんに懸想ぞする。二十五、六たるメスお兄さんの濡れ場にて腰の踊りたるさま、いとうつくし。

モブおじさんに想いを馳せて賢者モードに入ったら何か変なのが浮かんできたのでメモしました。
古文の先生に助走つけて殴られそうですが、腐女子の「尊い…好き…」って「いとをかし」とめちゃくちゃ感覚が近いと思います。

蛇足ですが、紀貫之みたいなネカマブロガーの作品は男性には喜ばれても女性ウケは悪かったんじゃないかなあ。「コイツ男やん」ってバレてたら楽しいな。

長くなった…せっかく古文が浮かんできたので次は腐女子から見た日本のBL史について語ろうかと思います(お前にできるのか?)

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投稿日 2017.09.21
ブックレビューサイトシミルボン(2023年10月に閉鎖)に投稿したレビューの転載です

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