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survivor 生きのこった子ども(桜庭一樹で創る 応募作)

2019年1月にシミルボンで募集されていた「桜庭一樹 2次創作コンテスト」応募原稿です。
普段なら落選作品はそのまま破棄しているのですが、思うところあり公開しました。

『砂糖菓子の弾丸は打ち抜けない』より、「survivor 生きのこった子ども」

「お兄ちゃんはしっかりしてるから」
電話口の母の声に、心がえぐれる音が重なる。
「私もそろそろ身体がしんどくてね。あの子、バイトもしたことないじゃない。……お兄ちゃんのこと頼りにしてるのよ、なんだかんだ言っても家族じゃない」
冗談じゃねえよ、勝手に共倒れになってろよ。
そう思いもするが、口にそうとすると嘘のように言葉にならない。
「うん、母さんも、身体に気をつけてよ」
「たまには帰ってきなさいよ、あの子も本当はお兄ちゃんに会いたがってるから」
「わかってるよ、忙しくてさ、ごめん。また電話するから」
電話を切ったあとに残るのはいつも、ずっしりとした吐き気にも似た不快感だ。
「……おかしいだろ、普通に考えて」
誰も聞いていないところでだったら、本音が話せるんだよな。

弟が、いわゆるひきこもりになって20年近くがたつ。
最初のきっかけは、学校での対人トラブルだったらしい。中学時代の子どもっていうのは、好きとか嫌いとか、いじめたとかいじめられたとかで、教室内のパワーゲームにあけくれる生き物だ。たぶん、弟が最初に巻き込まれたのも、そういうたぐいのよくあるトラブルだ。
学校に行きたがらなくなった弟を、母親はたいそう心配した。もともと勉強熱心な人だったから、様々な本を読み、高名な先生だかが開催する高額なセミナーに通いつめた。
そこで母が学んだのは、「子どもの心に寄り添う」ことだったようだ。いろいろ言ってはいたが、要するに、子どものすべてを無条件に全肯定し、子供の気持ちを決して否定せず、赤ん坊にするように我が子を守り慈しめという教えだったようだ。
不登校は……あの頃は登校拒否って言ったな。あれは、幼少期の愛情不足が思春期になって顕在化した、母親が原因の現代病なのだそうだ。
セミナーから帰ってきた母が、核家族の闇がどうの、現代のゆがみがどうのと話していたが、俺の耳に残ったのは「あの子は小さい頃にテレビばかり見せていたから。もっと抱っこして、目を合わせて会話してあげればこんなことにはならなかったんだと思うわ。これからあの子を育てなおすつもりだから、お兄ちゃん、よろしくね」という言葉だけだった。
俺だって同じように育てられた。俺にも、学校に行きたくない日があった。教室で行われる魔女裁判に生け贄として捧げられることがあった。ヒステリックな教師に目の敵にされることも、威圧的な教師に殴られることもあった。
そんな俺は何なんだ。あいつが愛情不足であんなになってるなら、愛情不足のリカバリ要員にされる俺は何だっていうんだ。
しかし、そのときすでに高校生だった俺は、そんな思いを口に出すことができなかった。母にとって俺は「しっかりしているお兄ちゃん」、弟は「守り、慈しむべき赤ちゃん」になったのだ。

弟を「赤ちゃん」として扱いはじめた母は、一見したところ苦しんでいるようだった。そりゃあ、いい年の息子が家から一歩も出ずにメソメソしているのだ。世間体も悪いし将来も心配だろう。しかし、それ以上に、どこか楽しそうにも見えたのだ。
一時期、風呂にも入れない有様になった弟を、母親はそれこそ赤ん坊のようにかいがいしく世話した。髪も髭も伸び放題で、身体から異臭が漂う成人間近の男の服を脱がし、シャワーを浴びせて新しい服を着せてやる。その光景は、俺の目にはおぞましいものにしか見えなかった。
俺は自力で奨学金を獲得し、一人で大学受験を済ませた。進路について、両親に相談したことは一度もない。
俺が大学で教員免許をとったころ、弟はインターネットにのめりこんでいた。世界とつながる環境を手に入れた弟は、似たような境遇の連中と回線を通して知り合い、親交を深めていたようだ。
『この病は現代が生んだもので、自分は被害者なのだ。被害者の心は繊細で傷つきやすく、被害者の優しさは、無神経な健常者にはわからないものなのだ』
だいたい、そのように言われたことを覚えている。弟にとって「無神経な健常者」である俺は、どんな言葉にも傷つかないという設定になっていたようだった。それが弟との、最後の会話だったように思う。
赴任される学校が決まり、いよいよ家を出ることにした俺に、母は戸惑っていた。さすがの母でも、ポンコツの次男とまるで家のことに興味のない夫との3人暮らしはキツいと思ったのかもしれない。しかし、息子が「学校の先生」だとか「公務員」だとかのブランドを持つことは魅力的だったらしく、最終的に「お兄ちゃんはやっぱりしっかりしてる」というコメントをいただき、めでたく一人暮らしと相成った。

赴任先の中学校では、俺の家庭がとくに特別な環境ではないということをすぐ身をもって知ることになった。学年に数人は、登校できなかった時期のある生徒がいる。精神的な虐待が疑われる家庭も少なくない。片親の家庭など、珍しくもない。そんななかで、子どもたちは生きていた。
授業に採点に事務作業、進路相談、学校行事、部活動。職業人としてこなすべき仕事は膨大にある。子供の未来は無限だが俺の時間は有限で、それぞれの家庭の事情に首をつっこむ余裕はなかった。
それでも俺は、頑張っていたほうだと思う。可能なかぎり生徒たちと交流を持ち、「空気が読めない、少しうざい先生」程度の存在として彼らに認められていた。くだらない軽口につきあうことでたまった仕事は、家に持ち帰って片付けた。
忙しさにかまければ、実家に帰れない理由もできた。毎月の手取りは24万円ほど、年収は各種手当てコミで400万円ちょっと、どんなに残業しても500万円には至らないくらいだ。割に合うとは思っていないが、一人で生きていくには十分だ。母親は「たまには帰ってきたら、少し休んだら」と連絡してきたが、帰省したところで休める家ではないことは分かりきっていた。

俺のような家庭で育つ子供は減らさなければいけない。俺のような子供を増やしてはいけないと思っていた。
だから、あの有名人が地元であるこの田舎にUターンしてきて、その娘が俺の担当になったときも、あの娘……海野藻屑を、俺は救い出すのだと心に決めていたのだ。

海野が「とくに注意するべき生徒」であることは、はじめから分かっていた。転校元の学校から非公式に情報の提供があったし、転校初日から見られた虚言--とくに思春期にありがちな--夢を見たがる様子が、度を過ぎている。13歳の非力な子供がつまらない嘘をつき続ける理由など、それほど多くもない。海野が、「いわゆるふつうの、温かい家庭」で育っていないことは、すぐにわかった。
そして、海野には存在感があった。有名人である父親ゆずりの秀でた容姿、訛りのないイントネーション、都会で育ったことを思わせる、洗練された振る舞い。それらすべてが、パワーゲームにあけくれる子供たちの、何かしらを逆撫でした。
海野の父親、雅愛も地元の注目を集めていた。こんな片田舎にかつての有名人が住むということじたいが一種のスキャンダルになり、海野親子の動向は、ほぼ衆人環視のものとなっていた。

だから、海野が虐待に遭っているらしいということも、かなり早い段階で大人たちには共有されていたのだ。引っ越して間もないというのに、情報はいくらでも手に入った。

海野家の近くを散歩している老人が破壊音と悲鳴を聞いた。
買い物帰りの主婦が「お父さん、大好き、大好き」と泣き叫ぶ声を聞いた。
犬の散歩をしている高校生が、庭の水道で震えながら水浴びをしている裸の少女を見た。
そして、後天的な外傷による、身体障害。
それなのに……完全にクロだというのに、海野は父親を庇うのだ。

被虐待児が加害者を庇うというのは、本当によく聞く話だ。何度話を聞いても、まったく会話が成り立たない。俺が言っていることが、よく分かっていないのだ。助けを求める言葉を奪われ、「助けて」の一言が言えずに、子どもは親に囚われる。
一度は、児童相談所の職員も面談に行った。父親がいないタイミングを狙って、場合によってはその場での強制執行も視野に入れて。しかし、海野は「ぼくとお父さんの家に入らないで」と、かたくなに職員を拒んだ。海野は父親に愛されていると信じている。信じるために嘘で世界を構築し、自分で作り上げた世界を侵すものは決して許さない。

そんな海野がどうやら仲良くしてるのは、同じクラスの山田なぎさだった。山田自身も「よくある複雑な家庭事情」のなかで暮らしている。なにか通じ合うものがあるのかと思っていたのだが。
……まさか、あんなことになるなんて。

あの日、俺は進路相談のあと山田の家に向かった。山田は帰ってきていなかった。そりゃあ、気まずいだろう。海野とどこかで時間をつぶしているのかもしれないと思いながら、母親と核心に至らない世間話をしていると、山田が転がり込むようにして家に入ってきたのだ。

「藻屑が、おとうさんに殺されちゃったよ!」

まさか、という思いと、もしや、という思いが半分ずつ。現実派の山田もとうとう「海野節」に巻き込まれたかという考えもあった。俺が取り乱してはいけないと思いながらも、本当に、もっと迅速に児童相談所と連携しなくては、と。海野が大きな怪我をしているようであれば、今度こそ強制的に保護できるよう進めなければと心に決めていた。

……しかし、その時点で海野はもう……。

早朝、連絡の電話に起こされ、現実を受け止めきれないままに警察署に赴くと、山田とその兄がいた。
警察署での山田の兄は、ガリガリに痩せていて可愛らしいくらいに頼りなく、オロオロと震えながら、それでも妹の肩を抱いて、山田を守ろうという意思を見せていた。
「あ、あの、先生でした、よね、なぎさの」口を開けば、言葉とともにボロボロと涙がこぼれる。「あの、なぎさと、僕、山で。なぎさが、海野さんが、友人の、危ないと言うので、僕は、家から、あの、」オエッ、オエッ、とえづきながら話す。お前のせいで妹の将来が潰されるんだぞと叱責するつもりでいた、その怒りが、なんとなく薄らいでいくのを感じた。

事情聴取のためにまる一日拘束され(きっと後日また呼び出されるのだろう)、くたくたになって解放されると、採点の終わっていない答案用紙と、半分以上が未記入の進路相談シートが散らばる我が家が待っていた。
ふいに、400万円ちょっとの年収で俺は何をそんなに必死になっているのだろうという思いがこみあげてきた。これっぽっちの収入で、高級官僚やらの不正のたびにいっしょくたに公務員叩きされて、子どもからはナメられ、守りたいと思った子どもは死んでしまった……親に殺されてしまった。その責の一端は俺にもある。これから俺や学校は、世間からのバッシングに晒されるのだろう。
俺、何やってんだろう。もう辞めちゃおうかな。辞めて……何するんだろう?
そんなことを思っていると、携帯が震えた。母親からだった。

「ねえ、海野雅愛のニュース見た?子どもが可哀想ねえ」
母親は、息子の働く学校名も把握していない様子でのんきに言い出した。
「どうして自分の子どもをそんなふうにできちゃうのか、私には分からないわ」俺もわかんねえよ。
「虐待なんて、親がおかしいに決まってるのよ」俺もそう思うよ。
「ああいう親にも同じようにして、殺しちゃえばいいのに」自分はまるで無関係だと思ってるのかよ?

子どもを支配するな!子どもの足は自分で歩くためのものだ!子どもの心は未来にときめくためのものだ!足を折って、家にしばりつけるな!心をえぐって、自分を注ぎ込むな!どうして、どうしてそんなふうにしちまえるんだよ!!

そう叫びたいのに声は喉に絡まり、口から出るのは「うん、ああ、うん」とかいう間抜けな相づちだ。
「お兄ちゃんはしっかりしてるから心配してないけど」俺はもう大人だから、
「たまには帰ってきなさいよ、あの子も本当はお兄ちゃんに会いたがってるから」えぐられた傷に、母親が充填されることはない。
「わかってるよ、忙しくてさ、ごめん。また電話するから」
電話を切ったあとに残るのはいつも、ずっしりとした吐き気にも似た不快感だ。
「……おかしいだろ、普通に考えて」
誰も聞いていないところでだったら、本音が話せるんだよな。

呟く俺の目の前に、毎月24万円を受け取るための仕事が広がっていた。


投稿日 2019.06.30
ブックレビューサイトシミルボン(2023年10月に閉鎖)に投稿したレビューの転載です

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