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#9 腐女子の多様性を紹介するぜ

BLという娯楽が一般的に知られるようになり、よく見かけるようになったのが、「BLの魅力って一体!?」的な…もっと言えば「なぜ腐女子は男同士の恋愛に興奮するのか」というお話です。
どういうわけか、BL趣味に関しては「何故」がつきまとうのですよね。

どうして「どうして?」になるのか

BLに限って「なぜか、なぜなら…」と問いたがるのは、何故でしょう。
コンビニのエロ本が気になる男子中学生をつかまえて

「なぜキミはこのつるぺた娘に目を引かれたのだね?母親に抑圧されていて母性的なシンボルのない女性に惹かれるから?実は同性愛者で女性的な身体のラインに嫌悪感があるから?過去に女子にいじめられていて、その復讐として弱者である幼女を虐げたいという願望があるからかい?」
「キミは巨乳の百合モノが好きなようだね、しかも汁っ気の多い表紙だねえ。もしかして女装願望があるのかい?キミのセクシャリティを聞かせてくれないか?なぜキミはこの表紙に目を引かれたんだい?」

などと問い詰めたら泣くでしょう。そんな鬼の所業はやめてあげてほしい。

どうして「どうして?」が通用しないのか

男子中学生に「どうして」と詰め寄らない理由って、ただただ「可哀想だから」ですが、じゃあどうして可哀想かと言えば、「理由は多種多様で、本人にも理解できない部分が多い。したがって言語化する負荷は大きく、言語化したところで共感を得られるとは限らない。本人のデリケートな性嗜好を晒すメリットは限りなく低いから」だと思います。

このスタンス、基本的には腐女子も同じです。

でもこれは解説コラム。私は男子中学生ではないので腐女子の「どうして」を解説してみようかと思います。ただしBLは多様性の娯楽。あくまで「Amatiの場合」として見てね。

腐女子の脳内…私の場合

前提としてAmatiは

・シスジェンダー(肉体の性と精神の性が一致している)
・ヘテロセクシュアル(恋愛対象は異性)
・女性性に属するがゆえの社会的抑圧の被害には、人並み程度に遭っている
・30代既婚子持ち

です。どこにでもいるオタクです。

BLカプも男女カプも百合カプも、等しく萌えます。

カップリングを楽しむうえで、キャラクターの性別はあまり重要ではありません。

ちょっと前で言えば『ちびまる子ちゃん』の花まるブームには、恥ずかしながらかなりキュンキュンさせてもらいました。花輪くんという「王子様」と、まるちゃんという「何の変哲もない女の子」のラブロマンスは、正統派少女漫画そのものです。

原作の毒っ気が抜け、いまやすっかり「ほっこり可愛い国民的アニメ」になった「まるちゃん」。アニメのキャラクターが定着したからこその盛り上がりだったように思います。

ブロマンス男女カプでは、『スター・ウォーズ』の「レイロ(reylo)」が世界的に人気です(レイが左なのがわかりみ深いね~)。同枠で推したいのが、特撮怪獣映画かと思ったらびっくりのブロマンスBLだった『キングコング 髑髏島の巨神』。
グンペイ・マーロウの二人が髑髏島でサバイバル生活するだけのスピンオフ映画を世界の腐女子が待ってます。

大人気クソアニメ『ポプテピピック』、アニメは最終話で驚愕の百合SFとして完結しましたが(マジでびっくりした、とくに蒼井翔太)、原作は日常百合。ピピ美がポプ子のことを可愛くて仕方ないと思ってる感じが、すっごく良いです。

そのうえで、BLカプにより興奮します。

…と、楽しむぶんには性の区別がないのですが、そのうえで、男女カプよりも男どうしのブロマンス、あるいはラブロマンスに「うっ。。。うおぁ…アァァーーー尊い…しこい…抜ける…」と反応するわけです
これはもうレセプターの量が違うとしか言いようがありません。

「ハリボーグミとぬれ煎餅と繊維が残るタイプのナタデココが好きだけど一番好きなのはぬれ煎餅」

っていうのと同じで、百合も男女カプも好きだけどBLが一番好きなんです。

BLの世界に「自分」はいません。

私は推しが同棲する部屋の天井になりたい腐女子。二人の世界に「自分」が入る必要はありません。
この感覚、BLや腐女子がいまいち分からないという男性に、なかなか通じないんですよね。だから「腐女子は現実の性行為が怖い」みたいな事を言う人が出て来るのかもしれません。
男性向けの娯楽には必ず「自分」がいるものなんでしょうか?

オタクじゃない人はみんなキタサンブラックに自分が乗りたいの?私はハープスターにデムーロを乗せて凱旋門に出したかったよ?(古い)

推しを性愛で語る遊びを(こっそり)しています。

これは、有名人のゴシップを追いかけて喜ぶ下世話なメディアと変わらない遊びです。
芸能人はメディアに出ている姿が商品であって、それ以外の姿を追求するのは原則的には無粋で迷惑な行為です。
とくに性娯楽としての消費は、推しの尊厳を損ねることもあります。因習の村を焼かせたりモブおじさんにアレコレされたり奴隷オークションに出品されたり生理痛に苦しんだりと散々な目に遭わせているので、同好の士以外には見せられません、申し訳なさすぎて。

なので、とある書店の「BL含むアダルト向け書籍を撤廃」というニュースには違和感ありません。性商品のレーティングに「BLか男女モノか」は重要ではないと思っているためです。

地雷もあります

「地雷」つまり苦手な、ダメな設定というやつもあります。

子供が虐待される話、津波が出てくる話、つぶつぶ密集体のある話は、もう完全にダメ。これはBLじゃなくてもダメです。見ていられない。
BLだと受ちゃんの穴を大切にしてあげないお話は可哀想だから苦手です。逆に、合意の上で丁寧に準備してる描写があると、すごーーーく興奮します。そこで垣間見える関係性とかがね、たまんない。

こんな人もいる

ここまでは私の話。これが腐女子のスタンダードだとは思っていません。
自分自身それほど珍しくないタイプの腐女子だと思っているのですが、どんなタイプの腐女子が「珍しい」のかは、正直分かりません。なので、ここからは「こんな人もいる」というパターンを紹介します。

ビアンの女性

レズビアン、つまり女性を恋愛対象とする女性のこと。
この本の著者が、そのタイプです。

BLに親しみ、そこで描かれる「性の多様性」に救われたことが、ビアンとしてのアイデンティティ確立に関わっているのだとか。

キャラになりたい

『BL進化論』のなかで「BLの萌え語りをしている女性たちは、バーチャルの世界でレズビアンセックスをしている」という話があります。
少し近いかな、と思ったのが、「なりきり」腐女子。キャラになりきって遊ぶ人たちです。

ちなみに、「なりきり」は「コスプレ」とは違うものです。一部重複しますが…コスプレは表現、なりきりは再現って感じ?

現実の人間関係に向き合えない女性

「リアルでの恋愛や人間関係の構築が苦手だから架空の恋愛話に没頭する」ということもあるでしょう。このパターンについて少し書かれているのが、これ

性的なことを考えてはいけない、と思っていた作者が「女の出てこない、完全に他人事の世界」として、「男×男」の関係を楽しんでいたのかもしれない、という自己分析をしていました。

女性性が嫌い

BL作品に女キャラが出て来るのが嫌だ、という人もいます。女性性の存在がノイズになるようです。
何が何でもイヤ!という人もいれば、「いるとちょっと萎える」という人もいます。
私も「女アルファ×男オメガ」のオメガバースモノを読むかっていったら…読まないだろうなあ。

トランスジェンダー(FtoM)の「女性」

心と体の性が一致しておらず「男になりたい」とか「自分は男だと思う」と感じている、女性の身体を持つ人(この場合「腐女子」と呼ぶのもちょっとヘンですね)。

たとえば、「自分をゲイの男だと思うとしっくりくる腐女子」であれば、
自分は自分自身のことを男だと思っている。恋愛対象は男性。BLは好きだが、それと自分の恋愛は別物
ということもあります。
性自認の多様性とBLコンテンツって、相性良いのかもしれません。

男性

腐男子。BL好きな男性のこと。BLは「主に女性向けの性娯楽」ですが、別に男性を排斥しているわけではありません。
腐女子の彼氏、腐女子の弟、貴腐人の息子…。色々な場面で、男性も腐女子の娯楽に触れる機会があるはずです。そのときに「まあ、いいんじゃないの?」と思う人もいれば「おお、いいね」と思う人もいるでしょう。
「なにそれキモッ」や「興味ないわ」と思う人もいるでしょう。

ちなみに、腐男子であることと、そのセクシャリティはまったく関係ありません。
連載一回目にも書きましたが、腐男子を装うゲイの男性も、BLを嫌うゲイの男性もいると思います。

コンテンツの力、娯楽の力

やっぱり長くなったーー・・・・・・
ここまで、腐女子文化の多様性について語りました。

BLの世界には、多様で、現実と大きく離れた性のユートピアがあります。
自分のセクシャリティに「しっくりこない」ものを感じている人でも、恋愛や社会生活における性役割に釈然としないものを感じている人でも楽しめる(しかも質の高い)作品が、必ずどこかにあるものです。

質の高いコンテンツは、現実を侵蝕します。
作品の中で描かれたユートピアは、必ず人の心に根付き、価値観のいちパーツになります。

コンテンツの多様性が、価値観の多様性につながる。それが娯楽の力だと思うのです。

BLの生み出すもの

前回の腐女子の予言①よりさらに突飛かもしれないのですが、私は
「BLは旧式のフェミニズムを無効化する」
と思っています。

「フェミ」という単語は、もはや男性からも女性からも若干の警戒心を抱かれるものになってしまいました。女性の権利を「拡張」する活動なのに、どこか窮屈なイメージすら持たれます。

さて、BLは女性が楽しむ性娯楽です。そこで描かれる性のユートピアは、固定化された性の役割から思考を自由にしてくれます。

30年後か、50年後かは分かりません。腐女子が顕在化して、腐男子も増えて…性自認や性娯楽の多様性が認められるようになったとき、旧態的な差別感情や、世の中を「男」と「女」だけに区別するような対立構造は消えていくのではないでしょうか。

私は、

②旧式のフェミニズムと、男女の対立構造の無効化

を、BLコンテンツに期待しています。

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投稿日 2018.03.26
ブックレビューサイトシミルボン(2023年10月に閉鎖)に投稿したレビューの転載です


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