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【無】木曽義高について

毎度有料記事だと気が引けるので、無料でも他では手に入らない情報を発信したいと思います。

ただし、例によってサニワメソッドを使っています。
これを胡散臭いと思う方は、読まれないことをオススメします。

さて、木曽義高は木曽義仲の実の息子です。
実のと付けるのは、武家は様々なところで血統潜入があるからです。
自著『 真相追究 公武政略と武士 』で明かしましたが、木曽義仲は父とされる木曽義賢の実子ではありません。
別から入れられています。
義賢はタカスで、義仲はウバイドです。

「史実」では、義高は父義仲が頼朝軍に敗死したという情報をうけて、鎌倉から逃亡を図り、追捕軍に殺害されたことになっています。
國體ワンワールド史観を学ばれている方は、この時期の義仲の動き含めて全体で眺めてみて、息子の義高のこの殺害はどう考えられるでしょうか。

結論から述べると、義高は偽装死です。
殺されていません。
もともと、頼朝と義仲の戦いは八百長です。
しかし、義仲は不運にも戦死してしまったのです。
上層部同士は八百長と分かっていても、現場は分かっていないので、現場は必死に戦います。
そのため、このようなことも起きてしまいます。

義高は偽装死した後、木曽の山中に戻っているようです。
そして、木曽山中で罌粟を栽培し、アヘンを作っていた國體衆の棟梁になっています。
当時のこの國體衆の棟梁が跡を継ぐ男子がおらず、義高が婿養子に入ったようです。

この後も義高の後裔は木曽山中で罌粟の栽培とアヘン製造を続け、戦国時代に木曽地方を治めた木曽氏にアヘンを供給していたようです。
あと、美濃国にも越境して、岩村辺りにも。

当時は、戦闘時には殺人への抵抗をなくす気分高揚と負傷時の痛み止め、平時には疲労感の軽減のために、アヘンが使われていたようです。

なお、木曽義高のところの場合は、8割が武士に対して卸していて、2割が安楽寺や民間用だったようです。
安楽寺は、高齢者や様々な疾患持ちが世話を受けていて、末期が近くなると安楽死させていました。
その安楽死薬にアヘンも含まれていました。
他にはトリカブトではないようですが、何かの植物の無毒な葉とまた別の植物を混ぜると有毒になるらしく、この3種が主なもので安楽死薬ができていたようです。

タカスは任侠心や主君への忠義から、喜んで身代わりになって死ぬということも往々にしてあるようですが、ウバイドの場合はその血統に國體ファンドが関係しているので、偽装死が多いようです。

ということで、木曽義高について書いてみました。
次は巴御前について書きます。


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