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良いお母さんからの脱皮!?

私が小学生の頃、母は参観日にお洒落をして来てくれた。
家では大変な介護をしていたけど、参観日はいつも一番に来てくれてた。
80歳の今でも着道楽の母だが、服を買う口実が参観日だったと思う(笑)
ニコニコと笑顔の母に、友達は「お母さん可愛くてオシャレだね」と言ってくれた。
ちょっとだけ鼻が高かった。

それが刷り込みにあるのかもしれない。
子育て時代の私の座右の銘は、「良いお母さんに見られたい」であった。

綺麗で、センスが良くて、楽しくて、学校の役員もスマートにこなして、かといって控えめで出しゃばらず、、、

はーん、そんなん無理やん。
無理だからこそ、私は良いお母さんに見られたかったのかもしれない。


良いお母さんは役員をする。


近頃の役員事情には明るくないが、娘達が小学生の頃は、クラス役員を“子ども1人につき最低1回”しなければならなかった。

学校の役員は、やってみれば意外と楽しく、勉強にもなるし、運が良ければ友達もできる。
でも、メンバーが選べない。やる気の無い人とコンビになったりしたら最悪なのだ。
なかなかに厳しい賭けなのだ。

私の性格上、ズルはしたくない、やらねばならないことは楽しく進んでやりたい。

長女が小学校2年になる時、私はクラス役員に立候補した。
新学期すぐ、クラス懇親会という名の役員決めの針のむしろの集まりがあった。
数種類の役員があって一応話し合いで決まる。
広報とか保健とか校外とかはなんとか、でも、一番大変なクラス代表役員が決まらなかった。
ずっと決まらないまま沈黙が続くなら今年は…と半分は心に決めてきた。

決まらないなら、役員になって「良いお母さん」をやってやるか。

もうくじ引きかジャンケンか、、、となった時、私は手を上げたのだった。
「くじ引きで当たるくらいなら、進んでやりたいので、立候補します。やるからにはクラスのために頑張りたいので、どなたか手を上げて一緒にやっていただけませんか?」

一人の方が「じゃあ私が」と手を上げてくださった。


この時、「良いお母さんに見られたい」私が「良いお母さん」、もとい「役員好きの良いお母さん」になった、、、。

立候補したというウワサはあっという間に広がった。
色んな人から「立候補したんだって?」と。
、、、いやいや、そんなんじゃないんよ。くじ引きはイヤでしょ。役員やるのもイヤだけど、イヤイヤやるのはもっと嫌なんよ。

私は心のきれいな善意の人ではない。
ただ、やるべき事はやって、ごまかすのが嫌いなだけ。
それに、来年は次女の役員、再来年は子ども会の役員。再々来年からは中学受験に並走したいから役員やりたくない。
だから今年やるのだ。
自分都合で、役員のかけ持ちにならないように考えてした計画的立候補なのだ。

計画的犯行、もとい、計画的立候補はやはり良い効果があった。
有難い事に皆さん協力的なクラスで、一年間やり終えた時には沢山のママ友が出来た。

以後、クラス役員(次女)、子ども会役員、マンション管理組合の理事長、娘の習い事の役員、中学の役員(長女、次女)、高校の役員(長女、次女)、長女の吹奏楽部の役員を歴任した。

長らく、「役員をしてくれる良いお母さん」人生だった。
だけど、長い間「良いお母さん」という猫を被っていると、少しだけ良い人間になったと思う。
少しお人好しの、人のために頑張れる、良い人達に囲まれた私の役員人生。
娘達の学校生活をサポートする、楽しく、忙しい役員人生。

今振り返ると、良いお母さんになれてたかな。

むろん、誤解無きよう。
私は役員が好きではない。
ただ、役割を果たしておきたいだけ。


娘達が大学生になり、私の役員人生もようやく終わった。
役員用のキレイめの服を断捨離した。
やっとただの「良いお母さん」が目指せた。

娘達が社会人になった。
入学卒業用のスーツを断捨離した。
ジーンズばっかり穿いている「ふつうの良いお母さん」になった。


去年、次女が結婚した。
花嫁さんの「感じの良いお母さん」役は上手く出来たかどうかは定かでないが。
これでやっと「良いお母さんに見られたい」願望が終わった。
これからは〇〇ちゃんのお母さんではなく、自分だ。

「自分」軸で生きていこう!


しかし、最近、孫のお迎えに保育園に行く事がある。
可愛らしい保育園の先生に、「Hちゃん(孫)のおばあちゃん」と呼ばれるのだ。

こりゃ、イカン!
孫のために、小洒落たステキなおばあちゃんに見られたい!!

あ、また座右の銘が新しくなっちゃった。
「良いおばあちゃんに見られたい」

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