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歳三と過ごした時間。そして前へ

12月13日少しひんやりとした晴れた日に
今年の6月に我が家に来た保護猫の歳三はこの世を去った。
自分の気持ちを整理したくてここに綴ってみる。


12月13日の午前10時過ぎ
旦那さんから「歳三が死んだ」と連絡を受けた。

朝、元気に私たちを見送った歳三がどうして?
きっと猫違いだと思い信じられなかったが、
旦那さんの落胆した声で察しがついた。

仕事を昼からお休みし、
子供達を保育園に迎えに行って帰った。

子供達には、
車の中で「歳三が死んだかもしれない。」と伝えると、
一番歳三と遊んでいた娘の頬には涙がつたって落ちた。

信じられなかったのだろう。
家に着くと
「歳三探してくる。」と
庭や近所の家を探しまわっていた。

きっとふたりで一緒に遊んだ場所なのだろう。

残酷にも、「デコポン」と書かれた青い段ボールの中に
歳三は眠っていた。

体や顔は綺麗だったけれど
苦しそうな顔で、口から少し血を流し
いくら撫でてもピクリとも動かない。

涙が止まらない。
娘はオンオンと息が詰まるほど泣き、
息子は、私の傍でじっと歳三を見つめていた。

家が見える場所に歳三は眠ったが、
私たちはなんとも言えない虚無感があった。

いつもお腹が空くと、裏口でニャーニャーと泣き、
戸を開けるとすぐに我が家と思い入ってくる。
人の気配がある場所にすぐに来ては、甘えてきて、
ご飯をあげれば、最後までたっぷり食べてくれた。

歳三がいなくなり、泣き声も気配もない我が家はどこか寂しく
力の入らない日々が続いています。

歳三が亡くなった原因ははっきりわかりません。
何か食べてはいけないものを食べたのか
車に飛ばされたのか。。。

我が家は外で飼うと決めていました。
それは、自由に好きな場所を走り回って欲しかったから。

自分が行きたい場所へ行って
興味があるものを好きなだけ追いかけて欲しかったから。

家の中ではなく、もっと自由に思うままに。

それにはリスクがあることも分かっていたが、
実際その現実を受け止めるのに時間がかかりそうだ。

歳三がなくなって1週間。
死は悲しいが、
そこから感じることも多い。

歳三が残してくれたものを3つ話そうと思います。


1 自由と危険のバランスの取り方

私たちは歳三の自由な道を選んだ。
外で自由に駆け回る人生を送って欲しかった。

好きなものを追いかけ
好きなところに行き、
好きなことをして生きて欲しかった。

好きなことをするということは、
行動を制限することができないので
私たちが目の届かないところも多くなる。

危険を自分で察知して、対応する力が必要となる。

少し早すぎたのかもしれない。
もう少し、テリトリーを小さくすることも大切だったのかもしれない。

自由と危険のバランスを取ることが大切。

人間も同じで
幼い子供をいきなり自由にさせる前に、
危険を教えることが必要。
親が教え、
子供自身が感じることで
危険を感じる力が高まる。

大人も、
いきなりチャレンジする前に
下準備や
イメージすることが大切。

2 生と死は同じ

生きることと死ぬことは似ているかもしれない。
生と死は正反対のようで
似たもの同士だ。

生きているようで死んでいて
死んでいるようで生きている。

生きると死ぬの境界線などないような気がした。
ただ目に見えなくなっただけなのだと思う。

もういないのに、
なぜか歳三が家に入ってくる気がするし、
お腹が空いているような気もする。

いるような気がする。
気配を感じる。

生きると死ぬって同じなのかもしれない。

3 この瞬間を丁寧に生きる

今この瞬間。
旦那さんと子供達と居れること。

朝目覚めて
隣に寝息を立てて寝ている家族がいること。
一緒に怒って泣いて笑える家族いること。 

当たり前ではないのだと思った。

ついついいつもいるから
当たり前になって
雑に対応してしまったり、
心無い返事をしてしまったり。

今のこの瞬間を時間を
当たり前と思わず
一つ一つ丁寧に
生きていきたい。

その瞬間瞬間を丁寧に生きれば
きっと後から後悔することはないだろう。

やれること
できること
ちゃんとその時の精一杯ですることが
大切だと心の底から思う出来事だった。

旦那さんは歳三が亡くなる前
家を出る時に
陽の当たる縁側で
歳三を抱き、
歳三とゆったりとした時間を過ごした。

「家を出る前、ゆっくり抱っこできてよかった。」
と旦那さんの言葉に今までの自分を恥じた。

ついつい、朝忙しくて、
イライラしながら出勤したり、
家族に優しい言葉をかけることなく出勤したことがある。

あの時、優しくしていたら
あの時、怒ったままじゃなかったら
そんな後悔をしたくないと強く思った。

スティーブ・ジョブズが
「もし今日が人生最後の日だとしたら、
私は今日やろうとしたことを本当にやりたいだろうか」
と毎日鏡で自分を見ながら問いかけていたそうだ。

私も、今日が最後ならこんな態度をとったのか。
こんなことを言ったのか。
その度に考えていたいと思う。

そして、間違った行動を取っていたなら、
すぐに謝ろう。
それが私に今できることだと思う。


犬や猫を飼うことが今までなかった私には
犬や猫が家族同然なんて言う気持ちが
全然わからなかったが、
今なら心の底からその気持ちがわかる。

歳三と過ごした時間が
今後の私の生きる糧となり
前へ前へ進む力になるといいな。

ありがとう。歳三。


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