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もうすぐクリスマスですが。

ども。
毎度、院長です。
年末で、というか年中何かと拙者はジタバタしておるのですが、相棒のえぜる亀は冬眠を決め込んだようで、12月に入って寒くなってからはうんともすんとも動かなくなり。
年中ジタバタしておるというのは、拙者の衝動性ゆえであります。
ある程度、やることの優先順位は意識しているつもりなのですが、どうしても好きなことからやりたくなったり、面倒なことを先送りしたり、面倒なことが目の前にあると、それに手をつけるのにものすごく時間がかかり、その間にしなくても良いことをし出したり。
子供の夏休みの宿題を最後の最後まで引きのばしているような、そういう感じ。
こういう困った習性は、ちっとやそっとでは変わるものではない、ということを身にしみて思うだけに、診療の中で似たような傾向のある方に遭遇すると、心底共感してしまいます。
本来であれば、共感した先に治療者としてしゃんと対策を練らないといけないのですが、治療者自身がうまく対策を取れていないというところもあり、なかなか説得力がない状態につき。むむむ。

で、今回もあれこれ議題(?)にすることはあるのですが、また目の前の気になったことをついつい書き留めたくなり。
前回、作家の山本周五郎のことを書きましたが、その後「さぶ」という小説を読んで、これが一段とよかったったいね。(帰省を前にして、西の訛りが戻りつつあり)
エンターテイメント小説の体裁はそのままで、内容的にはなかなかキリスト教信仰の匂いがぷんぷんするのです。
しかし全体として、信仰的な体裁や臭みはなく、大上段に信仰的な訓示を垂れるような姿勢がないだけに、説教臭くなくほっとする感じです。
この本は通勤電車の中で読んでいて、思わず泣けてしまい、鼻水を啜る場面もしばしばにて。
作者自身の信仰の有無などはわかりませぬが、じわ〜んと心に残る情緒的小説でありました。
それに前回も記載した通り、奥野政元という方の解説がまた、ビシッと全体を引き締めております。
これは、多くの方に読まれ、推薦される本なのだなということを、実感いたしました。
要領が悪く何かと不器用だが人のいいさぶ。その親友であり仕事の同僚でもある、器用で男前の栄二に突如ふりかかる冤罪事件を中心に繰り広げられる人情物語。
村上春樹のいうところの「入口と出口」がきちんと用意された、登場人物らが何をどういうふうにくぐり抜けてきたのかが描かれている、良質なエンターテイメント小説だと思います。

その後、小説の古典のような川端康成の「雪国」を読み。
絵画でいうと、象徴派の作品を見ているような感じで読みました。
その後で村上春樹の「風の歌を聴け」など、初期作品に突入。
そういうあれこれ脈絡はないものの作風の違う作家たちの本を斜め読みしていく中で、妙な本に出会いました。
「もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら(神田桂一・菊池良/宝島社)」
例えば村上春樹が書いたとするなら

          1973年のカップ焼きそば

きみがカップ焼きそばを作ろうとしている事実について、僕は何も興味を持っていないし、何かを言う権利もない。エレベーターの階数表示を眺めるように、ただ見ているだけだ。
              *
勝手に液体ソースとかやくを取り出せばいいし、容器にお湯を入れて五分待てばいい。その間、きみが何をしようと自由だ。少なくとも、何もしない時間がそこに存在している。好むと好まざるとに関わらず。
              *
読みかけの本を開いてもいいし、買ったばかりのレコードを聞いてもいい。同居人の退屈な話に耳を傾けたっていい。それも悪くない選択だ。結局のところ、五分間待てばいいのだ。それ以上でも以下でもない。
              *
ただ、一つだけ確実に言えることがある。
              *
完璧な湯切りは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。

村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」の冒頭文をもじりつつ、文体を村上春樹風に狙っている感じが、なんとなくクスッと笑える感じであり。
その他にもかなり笑えるパロディ要素満載なのですが、その中の一つ、ハードボイルド小説家、レイモンド・チャンドラーの文体に似せたものも、実にナンセンス極まりなく。

            ロング・カップ焼きそば

【1】カップ焼きそばとの最初の出会いは、たいていはコンビニかスーパーだ。人は二ドルかそこらのコインを払ってそいつを手に入れる。そして、キッチンの戸棚に仕舞い込み、出番が来るのを待たせる。結局のところ、カップ焼きそばという食べ物はそういう存在なのだ。
【2】ベッドの横で寝ている女が言った。「ねえ。小腹が空いたの。何か良いものはないかしら?」
 こんな場面がきて、ようやくカップ焼きそばの登場となる。往々にして、人生にはそういうポイントがいくつかあるものだ。
【3】カップ焼きそばを作るにはお湯が必要だ。セラミック製のケトルに水を入れ、ガス・コンロに火をつけて、沸騰を待つ。それが終わると、かやくを入れて、お湯を容器に注ぎ、五分待たなければいけない。ちょうど、タバコを一本吸い終わるぐらいの時間だ。
【4】五分が経ち、灰皿に吸い殻を押し付けると、湯切りをする準備に取り掛かった。湯切り用のツメを立て、流し台にゆっくりとお湯を捨てていく。湯気が顔にあたった。
「まだ?」と寝室から女の声がした。待つだけの人間は気楽なものだ。私はウィスキーのボトルに口を付け、最後の作業に取り掛かった。
【5】焼きそばにソースをかけて、箸で混ぜ合わせる。淡い黄色だった麺が茶色く染まっていく。私はそれを持って寝室に行くと、音を立てないようにナイト・テーブルに置いた。女はベッドで目を瞑っている。微かにプアゾンの匂いがした。昨日の記憶がよみがえってくる。
 寝室を出ようとすると、小さな声で「ドアを閉めて」と女が言った。私はそれが聞こえていないかのように、静かにドアを閉めた。

こういう妙な本を読む前に、クリスマスだとか年賀状だとか提出書類作成だとか大掃除だとかだとかだとか、やることはたくさんあるはずなのだが。
それにこんなブログまでかいちまって。
おいおい、時間がないじゃないか。
あああ。
またやっちまった。