【学校でつらかったところ】
娘コマコが学校に行かなくなったのは小1の1月。半年が経ちました。
1,娘にとって学校でつらかったこと
お友だち関係。
お友達が他の子の陰口を言ってるのを聞くのもつらい。
「先生が誰かを褒めると褒められない人の気持ちを考えてしまう。自分のことを褒められても嬉しいより他の子にいろいろ言われたりしてきつい」
困ったことがあっても先生が忙しそうだったり大変そうだから言えない。
国語の時間、算数の時間と時間割が決められているのも自分には合わない。
(自分の学びたいことを学びたい)
聴覚過敏(音のストレス、大きい声、怒る声)
2,行きたくないの気持ちが強くなったきっかけ
娘も自分なりに意地悪してくる子以外の子たちと仲良くしようとがんばって声をかけたり、できる限りの行動をしていましたが
自分がせっかく頑張って声をかけて遊べた子も、次の日はその子と遊べないように(娘を独りぼっちにさせようと)されたりするうちに
だんだん自分でがんばる勇気が出なくなり、学校で独りぼっちで過ごすことが増え、毎日「行きたくない」と言うようになりました。
つらい日が続いたので学校を休んで、「学校は行きたくなるまで行かない」ことにしました。
3,学校に行かなくなってから学校生活を振り返ってみて
学校に行ってた間はお友達関係の悩みがほとんどでした。
先生に困ったことを話せない?と提案しても本人は「できない」と。
お母さんから先生に知らせるのもやめてほしいと言われてました。
だんだん私も
「相手は自分がしていることを自分がされないと気づけないかも。言われたことそのまんま同じ事言ってみたら?」
「学校で怒ったり、泣いたりしてもいいんだよ」
と言ったりしてました。
今思い返すとHSC気質は人のことも自分のことのように感じる共感力が強いので、人を傷つけたら自分ももっと落ち込む。自分が先生に話すことで意地悪した子が先生に怒られるのもイヤだと言ってました。
集団になるとたくさんの人の気持ちなど自分の感じる情報量が多くて疲れてしまったんだと思います。学校から帰るといつも疲れていた(体というより心が)
人間関係以外にも学校の時間割、音など環境も周りが想像する以上にストレスが大きかった。
コマコを意地悪したくなる子の気持ちを想像してみたこともあります。
同い年の中で大人びている。
勉強や絵が得意。
意地悪してもやり返さない泣かない騒がない。
コマコも自分で「自分がやり返したらまた相手がやり返してずっと続くのがわかってるから自分で止めてた」と言ってました。
「自分と相手が違うことはどちらかが否定されることではない」
自分にないものを持っている人を見て芽生える気持ちは複雑なものです。自分の潜在意識までつながった何かがうずくことがある。
でも理由があったら「自分が嫌いな相手を不快にしていいわけじゃない」
「みんなで仲良くしましょう」より
「好きな人も嫌いな人もいていいんです。でも嫌いだからとその人を傷つけるようなこと言ったりしたりしちゃだめだよ」って教育の方が現実的じゃないかなと思ってます。
4,子どもにとって大事なこと
保育園も小学校もあまり「楽しい」と言ってる姿を見たことないのに、今通っている不登校対応の教室は毎日「楽しい」って楽しみにしています。娘を見ていて何が違うのだろうと考えたときに
一番は「安心してそこにいられる」ことだと思うんです。
あそこに行ったら自分が傷つくかもしれないとか毎日必ず傷つくとわかっている場所にいることってかなり消耗しますよね。
「安心できる」→「自分らしくいられる」→「人も受け入れられる」→「楽しい」につながってるのかなと娘を毎日見ていて思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?