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雑誌に代わるメディアについての考察

編集者が面白い。ここ最近、ずっと言ってる。

だけどよくよく見ていくと、面白いって思う編集者が雑誌の編集者ではなく、書籍の編集者だ。

書籍の編集者は、統括している人にチェックされたりはすると思うんだけど、基本的に1冊の責任者。一方雑誌は編集長がいて、編集者がいて、チームで1冊を作る。

そして雑誌は編集長のものであると同時に、昔からの歴史もある。

ポップティーン、セブンティーン、ファインボーイズ、VIVI、キャンキャンetc、各雑誌の編集長の顔が浮かぶというより、どちらかというと雑誌のカラー=読者の顔が浮かぶことのほうが多い。

だから雑誌の場合、例えばギャル文化が廃れたらつられるようにギャル雑誌も休刊していくし、原宿文化が衰退したら原宿系雑誌も衰退していく。その逆も然り。

だけどここ数年、雑誌は休刊ラッシュの時代。文化が衰退してるというより、雑誌自体が構造上の問題で衰退していってる。そして雑誌の衰退につられて、文化自体が衰退していっている(ように見える)。

つまり今の雑誌の衰退は文化の衰退から来てるものじゃなく、本屋さんで有料の雑誌というものにお金を払うという構造が衰退しているだけであって、雑誌的なメディアが必要とされていないわけではないってこと。

だからこそ、雑誌に変わる雑誌的なメディアを新しく作る必要があるし、それは求められているんじゃないかなって思ってます。

上記にも書いたように、雑誌的メディアの条件として編集長の顔が浮かぶよりも、読者の顔が浮かぶものがそれだと個人的には思ってる。

eggといえば金髪でギャルメイクでっていう読者の顔。キャンキャンならキレイめで清潔感がある女子大生という読者の顔。

雑誌が構造上衰退したというのの原因として、やはり紙メディアだからっていうのはあると思う。正確にいうと、紙メディアが中心だったからだと思う。

だから雑誌的な新しいメディアのキーワードは、紙メディアが中心にあるものではないものを考えてます。

もう少しで発表できるように下準備をずっとしています。

ちなみにSNSには無限の可能性を感じるし、僕はSNSによって生活が成り立っているんだけど、元雑誌編集者としてSNSだけだと雑誌に代わるメディアにはならないと思ってます。

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