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世界に学ぶ、日本の医療の課題とは?|人成塾(救命救急医・小倉崇以)

ノンフィクション作家・小松成美がゲスト講師を選び、次の時代を生きるためのヒントをありのままの言葉で学ぶ『人成塾(じんせいじゅく)』。今回の対談ゲストは、救命救急医・小倉崇以さんです!

前編はこちらから

父は植物学の博士!?

小松:どうして小倉さんのようなドクターが誕生したか、生い立ちにも関係があると思うんですけど、今お邪魔している宇都宮市で生まれて、お父さんは植物学の博士でいらっしゃるとお聞きしました。

小倉:植物分類学というのやっていて、家にたくさん植物の標本が並んでいてですね。

小松:今、NHKの朝ドラやってますね。牧野富太郎をモデルにした槙野万太郎っていうのを神木隆之介くんが主演しているのがあるんですが、まさに牧野博士と同じことを?

小倉:同じ仕事やってましたね。栃木県に日光っていう世界遺産の一都市があるんですけど、日光には日光連山がありまして放山植物が結構あるんですよね。
そこはいろんな新種が発見されるような国立公園になっているので、そういったところに出向いては標本にして展示したりとか、新しい新種を見つけて自分の名前がついて、学会発表したのを僕が高校生ぐらいの時にやってましたね。

小松:じゃあ朝ドラの牧野博士のように、採集に行ってお芝菜にして、標本にして発表するんですね。

小倉:そうなんですね。家でやってましたね。

小松:植物学者みたいなものに憧れたりはしなかったんですか?

小倉:そうですね。純粋に山に行って。木や花を楽しむっていうのは好きだったんですけど。

小松:一緒に行ったこともあるんですか?

小倉:何回も行きました。手伝ったりもしました。親父は木に登れないから、採ってきてくれって言われて、「分かりました!」って。

小松:小倉先生、双子なんですもんね。

小倉:はい、双子です。

小松:弟さんがいらっしゃるんですよね。では、その男の子2人で。

小倉:はい。2人でよいしょって、子供が登って取ってきて、はいお父ちゃんみたいな感じでやったりとか。

小松:へぇ、それをお芝菜にして。そのお父様の師匠が牧野富太郎の弟子だったんでしょうか。

小倉:おそらくそういう風な話でしたね。

小松:大きな意味では、分類学の父ですからね。

小倉:はい、そこから教授とか何人か生まれて、東北大だとか、旧帝大ですよね。そういったところに多分、文献の研究室ができてという形になって。
うちの親父は東北大なんですけど、東大の小石川にある植物園に何回も行ってましたよ。

小松:へぇ、、、もう今ドラマまさにあそこ!
じゃあ、お父様も熱心にご覧になっていますかね。

小倉:見てると思いますよ。

小松:いつぐらいから、お医者さんっていう職業に?

小倉:私が医者になるのはあんまり想定してなかったんですけど、高校2年生の時にそこら辺のデパートで遊んでて、「おじいちゃん入院しちゃったよ、すぐそこの病院だから」って、見舞いに行ったんですよね。母方の父。心臓を患っていて、心理不全だったと思うんですよ、今から思うと。酸素を鼻から吸ってるような形で。
遊んでいる友達を待たせて、「じいちゃん、どうだい?」と。

ものの15分しか会話してないんですけども、帰る直前に「崇以、崇以」と。
「そろそろ進路の話とか出るんじゃないか、高校2年生だから。」と。
確かに、12月って、高校2年生の冬といったら、もう進路選択の時期なので。

医者を目指そうとしたまさかのきっかけとは・・・?

小松:そうですね、次の受験に向けて。

小倉:そしたら、おじいちゃんが、「医者なんてどうだ?」って言うんですよ。 僕はちょっと医者なんてなれる道ないし、どちらかというと英語も国語もあんまり得意じゃなく、物理とか数学は得意だったんで、いわゆる理系の研究所かなっていうふうに言って。ちょっと友達もいるのでごめんって言って、帰ってきたんですよ。
そしたら、その日に亡くなっちゃって。


小松:えぇ!そんな喋ってたのに?

小倉:そうなんですよ。もう、遺言になっちゃった。これは、真剣に考えようと。一晩考えまして、朝6時に仏様のじいちゃんの前に行って、「医者になります。」と、言いました。

家族みんな、え?!って。

小松:どうしたの?!崇以って?おじいちゃんとの約束がって?

小倉:その話を聞いてたのは、ばあちゃんだけだったんで、「本気でやるんかい?崇以?」と聞かれて、「本気でやる」って言って、そこから1年間、浪人しましたけど。

小松:普通お医者さんて、お父さんがお医者さんとか、一族で病院をやってますとかだったら、お医者さんになる意識って小さな時から持って、そのための勉強とか多分あると思うんですけど。 じゃあ、本当に受験の1年前?

小倉:1年前に、遺言だと思ってた。なんでそんなこと言ったんだろうって、後々ばあちゃんに聞いたんですけど。
栃木県には、自治医科大学っていう大学があります。要は、無医村の小さな村に医者を派遣するっていうことを目的に作った大学なんですけども。
うちのおじいちゃんは、どうも自治医科大学を作るのに主導した人間で。もともと足尾銅山の出なので、足尾に医者がいない、公害もあるっていうところで、戦争行って、ソビエト。捕虜になって帰ってきて、その後大学に行き、栃木県庁に入庁し、そこから、、、

小松:県庁職員なんですね。

小倉:そうです。人生をかけて、自治医科大学を作ったっていう人生だったみたいですね。

小松:だから、自分の子供=お父様は植物の学者になられたから、自分の孫の中で、、、、

小倉:そういう感じじゃないかな。

小松:じゃあ、その時尋ねたのが弟さんだったら、、、

小倉:言われても分からないかもですね、別になってたかもしれないですね。

小松:スイッチしてたかもね。

小倉:スイッチしてたかもしれませんね。

小松:いや~、そのお医者さんになる意識がそれまで明確ではなかった中で、おじいちゃんとの約束と思ってやったら、勉強大変だったんでしょうね。

小倉:一からの本当にスタートですからね。好きな科目は勉強して、あんまり好きじゃない科目は勉強しないっていう、怠けたところもあったもんですね、高校時代は。
国語とか英語とか、そういった今まで理系だからっていうふうに勉強してなかったところを、一からにやり直してると。

小松:大変ですよね。センター試験でしょ?っていうことは、全部やらなきゃいけない。

小倉:全部やらなきゃいけないですね。

小松:私立の理系だったら、英語をやればね。

私立理系を目指していたところから、医学部を目指す

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