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「本と食と私」今月のテーマ:道具―お茶碗でコーヒーを

ライターの田中佳祐さんと双子のライオン堂書店の店主・竹田信弥さん2人による連載「本と食と私」。毎回テーマを決め、そのテーマに沿ったエッセイを、それぞれに書いていただく企画です。今月のテーマは、「道具」です。前回の竹田さんのテキストとあわせて、お楽しみください。

お茶碗でコーヒーを


文:田中 佳祐

 フランス文学者の安藤元雄が『フランス詩の散歩道』という本を書いている。フランスの詩人たちの作品を原文と共に紹介した一冊である。
 私はこれを遠方に引っ越してしまった友人から貰った。本を開いて最初に出会うのは、ジャック・プレヴェールの作品だ。

あのひとは コーヒーを
茶碗についだ
あのひとは ミルクを
コーヒー茶碗についだ
あのひとは 砂糖を
ミルクコーヒーに入れた
小さなさじで
あのひとはかきまわした
あのひとはミルクコーヒーを飲んだ
それから茶碗を置いた
あたしに口もきかずに
あのひとは 煙草に
火をつけた
――ジャック・プレヴェール「朝の食事」より

『フランス詩の散歩道』 安藤元雄著 白水社 1986年(新版)

 安藤は詩の解説で、こんな作品の楽しみ方を提案する。

一篇のフランスの詩がなぜ美しいのかを解説するのでなしに(中略)一篇の美しい詩が私たちにどんなものを見せてくれるかという角度で、ざっくばらんなおしゃべりをしてみましょう。

『フランス詩の散歩道』 安藤元雄著 白水社 1986年(新版)

 私にはこの詩を味わう前に気になることがあった。それは安藤が翻訳した「茶碗」という言葉だ。現代の言葉遣いでいえばコーヒーカップのことを指しているのだろうけれど、2023年に生活している私の感覚では「茶碗」と聞くと寿司屋で出てきそうな湯呑をイメージしてしまった。
 もしかしたら、カフェオレボウルのようなオシャレ食器のことを指しているのかもしれない。カフェオレボウルであれば原文に”bol”という単語が使われているはずだ。
 しかし、フランス語ではこのように始まる。

Il a mis le café
Dans la tasse
Il a mis le lait
Dans la tasse de café

 ”tasse”とカップを表す単語が書いてあるので、やはりコーヒーカップのことだ。コーヒーカップに間違いないのだろうが、一度誤解してしまったイメージはなかなか頭から離れない。日本茶を飲むときに使う筒状の茶碗に、コーヒーとミルクと砂糖を入れて飲んでいる風景を想像してしまって、どこか可笑しい。
 しかし、この想像を茶化すことができるほど、私は食器にこだわりがあるわけではないことに気がついた。ちょっと良いケーキを買ってきたときだって、「ヤマザキ春のパン祭り」でもらった皿に盛り付けてしまうし、高級なウイスキーを飲むときもゆるキャラの描いてあるマグカップに注いだりする。私にとって食器選びは、材質を確認する作業でしかない。ガラスか陶器か、はたまた金属かプラスチックか、それだけを見ている。
 
 それなのに、ジャック・プレヴェールの詩に出てくるカップがどんな形でどんな色なのかが気になって仕方なくなっている。現実世界の食器よりも、創作の中の食器の方がむしろ細部まで想像が及ぶ。
 食器に特別な思い入れの無い私にとって「朝の食事」という詩は、茶碗あるいは”tasse”にスポットライトが当てられた作品だった。
 引っ越していった友人はきっと、異なる景色を見ていたのだろうが。


著者プロフィール:
田中 佳祐(たなか・ けいすけ)

東京生まれ。ライター。ボードゲームプロデューサー。NPO職員。たくさんの本を読むために、2013年から書店等で読書会を企画。編集に文芸誌『しししし』(双子のライオン堂)、著書に『街灯りとしての本屋』(雷鳥社)がある。出版社「クオン」のWEBページにて、竹田信弥と共に「韓国文学の読書トーク」を連載。好きな作家は、ミゲル・デ・セルバンテス。好きなボードゲームは、アグリコラ。

竹田 信弥(たけだ・しんや)
東京生まれ。双子のライオン堂の店主。文芸誌『しししし』編集長。NPO法人ハッピーブックプロジェクト代表理事。著書に『めんどくさい本屋』(本の種出版)、共著に『これからの本屋』(書肆汽水域)、『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』(朝日出版社)、『街灯りとしての本屋』(雷鳥社)など。最新刊は、田中さんとの共著『読書会の教室――本がつなげる新たな出会い 参加・開催・運営の方法』(晶文社)。FM渋谷のラジオ「渋谷で読書会」MC。好きな作家は、J.D.サリンジャー。

『読書会の教室――本がつなげる新たな出会い 参加・開催・運営の方法』
(竹田信弥、田中佳祐 共著 晶文社 2021年)

双子のライオン堂
2003年にインターネット書店として誕生。『ほんとの出合い』『100年残る本と本屋』をモットーに2013年4月、東京都文京区白山にて実店舗をオープン。2015年10月に現在の住所、東京都港区赤坂に移転。小説家をはじめ多彩な専門家による選書や出版業、ラジオ番組の配信など、さまざまな試みを続けている。

店舗住所 〒107-0052 東京都港区赤坂6-5-21
営業時間 水・木・金・土:15:00~20:00 /日・不定期
webサイト https://liondo.jp/
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