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妄想日記②もしも私がおじさまだったら。

ドアを激しく叩く音で目が覚めた。
「はいはいはい」
ネイビーのパジャマの上に毛足の長い茶色のガウンを羽織ってドアに駆け寄る。
「何してんの。10時に来いって言ったのあんたでしょ」
「ごめん。入って」
女は髪をかき上げつつ、黙って部屋に入った。
部屋の中を見回し、カーテンを開けていく。
「眩し!」
思わず目を背ける。
「いいお天気。こんなカーテン使うから寝坊するんだよ」
そう言うなり、女はソファに腰かけた。
ショートパンツから伸びた長い足を組み、俺を見つめる。
目の周りはたっぷりとマスカラが塗られたまつ毛に縁どられていた。
「あんまり似てないね。久美子さんに」
「甥だからね、俺は」
ソファに座ると、昨晩のうちから机の上に用意していたバッグを手元に引き寄せた。
「どうぞ。この時代に必要なものが入ってる。簡単な説明書もつけてるから」
「ありがとう。バッグ、趣味じゃないけど」
女はガサガサと中味をさぐる。
「え、これケータイ?こんなになってんの」
スマホを取り出し、目を丸くする。
「そう。さらにいろいろ使えるようになってる。」
「へえ。さっそく出かけてこようかな」
「どうぞ」
「おじさんは出かけないの?こんなにいいお天気なのに」
「ああ、休職中だからね」
「きゅうしょく?給食のおじさんなの?」
俺は笑いながら首を振った。
「何か困ったら、電話帳の中に入っている俺の番号に電話して」
女の横に移動し、スマホを操作する。
「こうするんだ」
「ボタンが無いと思ったらそういうこと?」
「給食のおじさん、山田聡一郎っていうんだ」
「ああ。君はええと、鈴木」
「鈴木由梨。由梨でいいよ。じゃね」
由梨は立ち上がり、安室奈美恵の歌を口ずさんで軽やかに部屋を出ていった。
「安室ちゃんが引退したって知ったら、ショックだろうなあ」
厚底ヒールの足音がドアの向こうで響き渡っていた。

俺の叔母の趣味は時間旅行。
時折、旅行中に出会った人を連れてこのマンションへ帰ってくる。
いつもなら自分が面倒を見るのだが、もう高齢なので最後の時間旅行を楽しみたいとのことで、知り合いだけを送ってくる。
俺は留守番を頼まれた。
「今、休職中だから暇でしょ」
だって。
大きく伸びをして欠伸をする。
ブランチを食べたら、共用廊下の掃除だ。
結局俺は、休めそうもない。





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