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私たちの心に棲む「山姥」とは③ 運命を司る女神としての山姥

今年初の久々のnoteです。相変わらずの亀のあゆみですが、今年もマイペースで書いていこうと思いますのでどうぞよろしくお願いします。

さて、山姥シリーズの3回目。2回までは下記をご覧いただけると幸いです。
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このnoteは、山口素子著「山姥、山を降りる~現代に棲まう昔話~」からカウンセリングルームの勉強会で取り上げた内容を、なるべくわかりやすく文章化して、その大切なエッセンスをお伝えしようという試みです。私なりに消化したものなので、不十分であったり、著者の意図とずれてしまっている可能性もありますので、ご興味を持たれましたら、是非、原著をお読み頂きたいと思っています。

今日は、「山姥の仲人」というちょっとおもしろいお話を紹介します。

これは、運命の女神としての「山姥」のお話です。
昔話には、よく糸紡ぎや機織りが出てきます。日本のお話のみならず、外国のお話にもよく登場しますね。実は山姥も糸紡ぎや機織りと深い関係があるといいます。柳田圀男によれば、山姥はもともとは水の底で機を織る神とひとつであったとのこと。そういえば、このシリーズ①では「山姥の糸紡ぎ」のお話をご紹介しました。

糸紡ぎや機織りは女性性と深い関わりがあると言われています。さらに蜘蛛も女性性や母性の象徴とされています。蜘蛛は糸を吐き、巣をこしらえ、その巣でたくさんの子を宿し、一方で精巧に張り巡らした糸で獲物を捕らえ貪り食うという習性が、肯定的側面と否定的側面を併せ持つ太母のイメージと重なるわけです。②でご紹介した「飯食わぬ女房」も実は蜘蛛だったとも言われています。
このように糸紡ぎ、機織り、蜘蛛は、大いなる女性元型の象徴であり、死と再生を司る運命の女神と結びつけられてきたことが、さまざまな神話や物語からわかります。「山姥の仲人」のお話には直接的に糸紡ぎや機織りは出てきませんが、このお話はまさに運命の女神としての山姥像が描かれています。

さて前置きが長くなりましたが、まずはお話をご紹介しましょう。

「山姥の仲人」
あるところに年老いた母とその息子がおった。息子は嫁がほしいけれど、なにせ貧乏なもんで嫁の来てがなかった。そうしたら、ある大嵐の晩のこと、どっかの婆さまが戸を開けてソロンと入ってきて「今夜は大荒れなもんで、ちっと火にあたらしてくれ」という。親子は心よく婆様を囲炉裏端に招き入れた、いろいろな話をするなかで、「おう、ここんちは嫁がいねえか」「おらどこは貧乏だもんで、嫁の来てがねえ」「そうか、ほうしたら、おらがいい嫁を世話してやる」というて、婆さまはどこかに行ってしまった。

しばらくしたある夜のこと、家の前で大きな音がして、なにかが落ちたようだった。男が外に飛んでいってみると、きれいなお籠が落ちていた。そして、そのお籠のなかにきれいな着物を着た、いとしげな娘が死んだようになっていた。
母と息子はたまげて、家に入れて火にあたらしたところ、娘は気が付いた。「お前はどうしたんだ?」「おらは大阪のこうの池の娘で、嫁ぐ途中で、なんかにさらわれて、こだな山のなかにおろされた」と娘は言う。母と息子はその娘を大事に扱っておいた。そうするとある晩、いつかの婆さまがひょっこり現れて、娘に「お前はおらが仲人して、ここんちの嫁にしたんだ。ここんちを逃げようものなら、おらは鬼婆だすけ、お前を食うてしまうぞ」というて、いなくなってしまった。

娘はそこんちの嫁になって暮らした。大阪のこうの池では、娘がさらわれたと大騒ぎで、そこらじゅうさがしていたら、越後の山の村の貧乏な家にいることがわかって、番頭がとんで来た。「お嬢様、迎いにきたすけ、はよ大阪に帰ろう」と番頭は言う。すると娘は「いやだ、おらはここのだんなさんが一番いい。ほかへはいかん」といってどうしても家に帰るとは言わなかった。そこで、番頭が大阪に戻って親たちに告げると「それなら、家も米蔵も衣装蔵も建ててやろ。越後で暮らすがいい」と言った。ほうして娘は男と安楽に暮らしたと。
関敬吾「日本昔話大成」から
*上記を参考にお話の意味がわかりやすいよう部分的に手を加えてあります

山姥が、嫁ぐ途中の娘をさらって、全然関係のない貧乏な男の嫁にする、なんとも理不尽なお話。けれど、山姥を運命を操る神として捉えると、また別な見え方がするものです。昔も今も変わらずに人生のなかでは思いもよらないことが突然起こり、こうなるはずであったという自分なりに描いていた未来が大きく変わってしまうことは、実際にありますよね。

私たちはそれを「運命のいたずら」とか「運命を狂わせられた」とか言います。「山姥の仲人」のお話はまさにその青天の霹靂のような運命に人はどう向き合うのかということを問うていると言えるかもしれません。

このお話をふたつの観点から見ていくことにします。まずは老母と暮らす貧しい息子の観点から。

この息子は母とふたり暮らし、寒い夜突然訪ねてきた婆さまを火にあたらせて3人で話をする様子からは、穏やかで親和的な雰囲気が感じられます。どんな人の心のなかにも母親元型というものがありますが、この息子の自我は心のなかの母なるものと良好な関係を持っていることが窺われます。

ちなみに「飯食わぬ女房」の亭主はそうではありませんでした。女性、母なるものに対して否定的なコンプレックスを内包しており、それが恐ろしい山姥と化して襲われる羽目になったことは前回②に書きました。
このお話では、貧しくて嫁の来てがないというこの息子に、山姥は嫁を授けます。母親元型と肯定的な繋がりがあるとき、山姥は否定的な側面ではなく、肯定的な側面を表します。
そして、突然天から降ってきたように授けられた娘に、おそらく戸惑いながらも、起こったことを受け入れ、親子はこの娘を大切に扱い、嫁にします。飯食わぬ女房を持った男と違って、「飯食わなくて、よく働く女房が欲しい」なんて都合のいい欲求は一切持ち合わせていません。つまり合理性に捕らわれた自我ではなく、もっと深い内なる自然(自己)との繋がりを持った大らかな自我の持ち主といえるでしょう。

さて、山姥にさらわれた娘についてはどうなのでしょうか。

娘は大阪の商人の娘。裕福な男の元に嫁ぐところでした。時代の風習や考え方に沿って、自分の意志というよりも親から勧められた縁談を素直に受け入れたのではないでしょうか。そこへ、突然、山姥の気紛れで強引な横やりが入り、娘の人生は大きく変わっていくことになります。

逃げ出したりしようものなら殺すと脅されたこともあるでしょうが、娘はじたばたせず、その運命を受け入れます。そしてその男と母親と山奥で慎ましく暮らします。やがて大阪から番頭が救出にくるのですが、「いやだ、おらここのだんなさんが一番いい、ほかへはいかん」ときっぱりと自分の意志を示し、帰ることを拒否したのでした。

親や世間の考える価値観に従って生きていた娘ですが、運命の女神である山姥と出会い、その運命と向き合っていく中で、今度は自らの意志で自分の道を選び取っていくのです。

「運命」は、誰にでもただ起こるものであり、非合理なものです。科学の発達により今まで不可能と思われていたことが可能になりつつある現代では、自由な意志が尊重され、合理性が重んじられ、人の力であらゆることが変えていけるのだという尊大な考えも生まれやすくなっています。
それは自分の望まないものを遠ざけ、望んだとおりにだけ生きたいという私たち人間の自我の捕らわれなのだと思います。もちろん、自由な意志が尊重される社会であることは素晴らしいことであり、科学的な合理性の恩恵にあずかることも多いわけですが、一方で、私たちが(私たちの自我が)望んでいないことや、意志とは関係なく起きてしまうことも、受け止めて生きていかなくてはならない存在でもあるということは忘れてはならないことでもあるのです。昨今の地震などの自然災害、感染症のパンデミックなどの現象は、そのことを私たちに教えてくれているのかもしれません。

個性化、自己実現という言葉は、意識的な意志や意図に基づき、やりたいことをやり、自分らしく生きていくことと思われがちですが、ユングの言う個性化はそうではありません。ごく普通の人として生きる私たちが偶発的に起こる運命に遭遇するなかで、我が身に起こったことをどのように受け止め、自分の人生を展開していくか、そこにそれぞれの個性が育まれ、唯一無二のユニークさを持った人生を創り上げていくことをさしています。 

「山姥の仲人」は、避けがたい運命と結びついて、それを受け入れながらもたくましく、健気に自分らしく生きていこうとする私たちひとりひとりのお話なのかもしれませんね。

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