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競争や、数字に追われる世界がしんどかったから、福祉の現場の仕事を選んだ。


奈良もとても暑くなっていて、蝉の声が朝からすごい。休日はなるべく日中外に出ないようにしていて、こないだの休みの日は午前中近所の図書館で本を読んで過ごしたり、午後も借りた本を家で読んだり、1日中ひたすら室内で本を読んでいた。精神保健福祉士の通信の学校の課題レポートがあるのになかなか進まない・・・。

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午前中、図書館を出た時の空が夏らしくてなんだかよくて、夕方ごろ、天気が良かったから平城宮跡までサイクリングに行くと、日の入り前の空も思った通り、とても綺麗だった。空ばかり見ている。

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最近は元京大総長の山極さんの本や、精神科医の熊代さんの本を読んだりしていてそれもとてもおもしろいのだけど、前回もnoteに書いた大原扁理さんの「年収90万円でハッピーライフ」を再読しているとやっぱりおもしろくて、自身が受けた結構壮絶ないじめ体験とかも赤裸々に語っていていろいろとすごい本だ。

そのなかでも大原さんが仕事を選択して自分に合った働き方を見つけていく過程を振り返った箇所がおもしろくて、自分もそういう感じだったなと思いだしたので、自分の経験談を少し書いてみようと思う。

人間、年をとりますと、自分の適性がなんとなくでもわかるようになってくるんです。
隠居生活に突入したばかりの頃、1年くらいかけて仕事をだんだん整理していきました。忙しすぎるバイトは辞めて、さあどうしようかというときに、経験も資質もないのに介護の仕事を選んだ。今振り返ると、自分が「競争」とか「売上ノルマ」とかにむいてないのを無意識に感じていたんだと思う。
人間、やりたいことはわかんなくても、やりたくないことだけは意外と迷わないんですよね。目の前にある選択肢から、どれをやりたいかではなく、やりたくないものからどんどん消去していきます。残ったものから、「これならまあガマンできるかな」というものを選ぶんです。(「年収90万円でハッピーライフ」p40‐41)


大学4回生の頃、それまで目指していたカウンセラーの仕事を諦めて、一から卒業後の仕事を考えるときに、どんなタイプの仕事が向いてるか、自分の性格から考えるのを手伝ってくれるような本を大学の図書館で読んでいた。読みながら、営業ノルマとか、数字を競うような仕事はしんどいな、と思ったのを覚えている。「そういう人は公務員向き!」とかって書かれていたな、確か。大学時代地方公務員の宿直の仕事してたら、公務員も結構しんどそうで、鬱病でやめていく人が多かった気がするけど。

自分は子どもの頃から国立大学に合格するまで、人と数字を競うことをたくさんやってきて、それはそれで刺激的で楽しくもあったけれど、プレッシャーも強く感じていたし、競争しないといけない環境にずっと身を置くのはしんどかった。それに、同じ大学の友人と比べたら自分はプレゼンにしたって事務処理にしたって、それほど能力が高い方じゃないなってことも自覚していたから、エリートが集まるような職場で自分がバリバリ活躍できるイメージも全く持てなかった。

ぼくの場合は、元々人と現場でかかわる仕事がしたかったのもあって、生活保護ケースワーカーの仕事とか、福祉の現場の仕事に就きたいと思っていた。

あとは、大学時代何度か東京に行って人の多さに酔って頭が痛くなったことがあったから、東京は自分には向いていないと思って、関西、できれば(人の多い)大阪以外で仕事を探し、最終的に落ち着いたのが、奈良で障害のある人とかかわる仕事だった。


人とかかわる仕事は本業にしてみて、とても大変なことがわかった(人と長時間過ごすのが最初きつくて、自分がHSPかもしれないと思うようになった)けれど、数年たてばどうにか慣れてきて、4年ほどたった今は楽しく働けている。


障害者支援の現場は、競争社会の真逆のようなコミュニティだ。数字で人を評価するようなことが本当にないし、そもそもどんなかかわりが利用者さんにとってプラスになるか決まってるものでもないから、評価することじたい難しい。もちろん、あまりに逸脱した行為は注意されたりもするけれど。

利用者だけでなく職員も得手不得手がたくさんあって、補いあいながらどうにか利用者さんたちを支えようとしたり、逆に利用者さんに職員が救われるような場面もたくさんあって、助け合いの文化がとても暖かい。

競争がないと質が低下するのでは?みたいなことを、競争社会に生きている人は感じるかもだけど、現場に職員どうしの競争がなくても、目の前の利用者さんのことを考えて皆とても頑張ってるし、むしろ「頑張りすぎやから、息を抜けるタイミングを見つけてうまく休んだほうがいいよ」って新人職員さんたちに声をかけることの方が多い。

どんな仕事をしようか考えていた大学時代の僕は、福祉の現場の仕事を選ぶことで、競争から逃げたのかもしれないし、やりたくないことから逃げたのかもしれない。だけど、やりたくないことから逃げた先にも、自分を必要としてくれる場所(就職先)はあるし、自分に合った環境に身を置く方が、自分だけでなく周りの人にとってもストレスがなくていいんじゃないかと思う。

やりたくないことから逃げたその新しい環境のなかで、やりたいことが見つかっていくってこともあるから、無理しなくて大丈夫だよって、誰に向かって言ってるのかはよくわからないけど、

まあ、しんどくなったら適当に逃げて、力抜いてのんびりやろうよって話です。笑


たまには遠くを眺めてぼーっとしようね。