孤独感との優しい付き合い方
休日。
夕方まで予定がなかったので、少し気になっていた本を借りに図書館へ行って本を探していたら、じんわりと孤独感が押し寄せてきた。
本を見つけて席に着いたあとで、リュックから手帳を取り出して開いてみると、かれこれ3週間くらいは仕事以外で直接人と会っていない。
なるほど。もうそんなになるのか。友人と電話やzoomなんかは時々していたから予定はそれなりにあったし、職場がしばらくバタバタしていたのもあって、気づかなかった。
「SNSを手放して、なるべく人と直接会うようにすれば孤独感が減る」なんていう言葉を時々目にする。対面で誰かと会って、心置きなく楽しむことは多くの人にとって大事なことなんだろう。
僕の場合は、福祉の現場の仕事だから、コロナ禍でもリモートにはならず、仕事で直接人と会えているし、楽しい人の多い職場で、雑談だってできている。それでも、仕事以外で誰かと会って、ゆったりと好きなことを話す時間は必要らしい。とはいえ、職業柄、もうしばらくは自粛しないといけない。
寂しさをスマホ越しに東京に住む友人にぼやいたあとで、図書館で借りてきた市川拓司さんの「私小説」という本を読む。「いま、会いにゆきます」などの恋愛小説で知られる市川さんの作品のなかでも「そのときは彼によろしく」が僕は一番好きで、たしか中学生のときに初めて読んで、ゴミや水草を愛する変わった感性を持つ少年たちの関わりや、主人公が営むお洒落なアクアプランツショップでの再会に心を惹かれた。
再会を果たした主人公たちと自分が同じ年になった今、久しぶりに読み返してまた感動に耽ったあとで市川さんのことを調べて、彼が私生活のことを書いた「私小説」という本の存在を知ったのだった。
発達障害(この本のなかで彼は「選択的発達者」と呼んでいる)であることをオープンにしている市川さんの、行動が相当に制限されてしまうほどの敏感な感覚器官や、フェニルケトン尿症の人並みに配慮が必要な食生活、そして、植物を官能的な存在だと捉えるユニークな感受性についての語りを読んでいるうちに、孤独感が妙に和らいでいく。
いつも「平均」から遠いような人の存在に触れると孤独が和らぐのはどうしてだろう。この人は自分よりよっぽど孤独な時間を抱えてきたんじゃないかと思って、安心するからだろうか。
「選択的発達者」が語る彼目線の世界はユニークだけど輪郭がとてもはっきりしていて、日ごろ漠然と世界を捉えている自分の背筋を正してくれる。
孤独感を覚えることなんて、もう何十回、何百回と経験しているはずだ。
自分の家にだけなぜか母親がいないことに気づいた幼少期や、引っ越した地域の学校に馴染めずほとんど一人で過ごした中学時代、パートナーがいないこと、いても、深い部分で分かり合えないことに寂しさを覚えた大学時代だってそうだ。たいてい憂鬱さを引き連れてやってくる孤独感とは、これまで何度も何度も向き合ってきたはずなのに、少し間が空いただけで、対処法を忘れてしまっていて戸惑う。
普段いろんな人間関係に支えられていて、その網の存在をしっかりと感じられているときは思いもしなかったような、生きる意味だとか、自分の存在意義なんかに思いを馳せる。これから先、自分は何を目標に生きていけばいいんだろう。養うべき存在がいない自分に、生きなければいけない理由ってあるんだろうか。
そうやって、孤独を感じながら生きる意味を問い直すことはきっと、悪いことではないのだけれども。
結局のところ、自分は人が好きで、人を求めてしまうし、しんどい人を楽にしたり、笑わせたりしたいんだろうなと思う。生まれて半年で死にかけた自分の残りの人生なんて、言ってしまえば全部余生なんだから、自分がいっとき孤独を感じていることなんか気にしないで、人を楽にすることだけ考えればいい。
そう思いつつ、長い間使われずにいたホームベーカリーに強力粉やバターを入れてパンを作り、ジップロックに調味料と鶏むね肉を入れたのを沸騰したお湯につっこんでチャーシューを作り、洗面所の掃除をし、借りていた漫画を読んでやり過ごす。
夜になってふと、最近好きになって時々読んでいる「こここ」というウェブマガジンを読んでいたら、孤独について書かれた自分にとってタイムリーな記事があって、奥田知志さんが対談のなかでとてもいいことを言ってくれていた。
どうでも良いようなことを誰かと話せる時間、気の置けない人たちのいる場所で適当でいられる時間、そんな時間が、きっと僕らには必要だ。気軽に人と会える日々が戻ってきたら、これまでそうであったように、まるで意味なんかないような、くだらない時間をたくさん過ごそう。
そんなことをつらつらnoteに書いていたら、コーヒー屋の友人から、友人のラジオで今度おすすめの本について話してほしいとラインが来た。
ちょうど良かった。市川さんの「私小説」の話をしよう。
孤独な凡人の人生は、小さな楽しみの連続に支えられている。
たまには遠くを眺めてぼーっとしようね。