エレファント・マン


この劇の最大の皮肉は、普通になろうとすればするほど身体が悪化していくこと。そもそも普通を目指している時点で絶対に普通にはなり得ない。フレデリックは「自分たちのような普通になることに、なんの不都合があろうか」と疑わなかったけど、社会に「正常」に馴染んでいくことが「醜悪」を増すことになる。それは夢の中でメリックとフレデリックの立場が逆転するシーンでも感じた。フレデリックが「与えることは奪うこと」だと言っていたのはそういう意味だったんじゃないかな。それをメリックの身体の衰弱で表していたんだと思う。科学と宗教が混在した時代に、メリックは天国を信じていて、自分の運命を憎んでいなかったはず。でも、自分たちが写しであると知って「両手を使って作ってくれればよかったのに」と少し嘆いたのは、彼の変化?本心はわからなかった。

「慈悲がこんなにも残酷なら、じゃあ正義のためにはどんなことをするんです?」というメリックの言葉が、フレデリックが自分は偽善者なんじゃないかと悩むきっかけだったのかもしれない。ゴム理事長がウィルをクビにしたことは良いことだった(慈悲)と言われた時の言葉。私は、慈悲が残酷なら自分のためである正義はもっと酷いと思う。フレデリックがメリックにしたことは自分のためで、偽善で、自分の幸福を他人の不幸に写していたから。フレデリックも、慰問に来た上流階級の人々も、見せ物小屋の客と同じ。でもケンダルさんは少し違ったかも。普通と逸脱で物事を眼差すフレデリックとは違って、もう少しグラデーションで見ていて、メリックに会う直前の2人の噛み合わない掛け合いがそれを対比してた。だから、メリックはケンダルさんに惹かれたんじゃないかな。たくさん理由はあると思うけど。ケンダルさんを遠ざけられた時のメリックの悲しみはどこから来るのか、本質的に捉えるのは難しかった。

映画を見た時はピュアな人物だと思ったけど、劇中のメリックは結構太々しいところがあったりマイペースなところがあったかも。皮肉も言うし。でもそれも純粋さによるもの。ケンダルさんとのやりとりも微笑ましかったな。髪を整えたり、エスコートしたり。2人が出会った時「ああ言おう、こう言おうと計画していたのに、全部忘れてしまった。」「実はこう言おうって計画していたんです。ああ言おう、こう言おうと計画していたのに、全部忘れてしまったって言おうって。」って言うメリックがすごく可愛かった。ロミオとジュリエットについて語るシーンでは「ロミオが自殺したのは彼女を愛してないからだ。脈はみた?ちゃんと確認した?いや、自殺した」とか「僕がロミオなら二人で逃げたのに。」とか、愛と皮肉に溢れたメリックらしい台詞も沢山あった。「僕の頭がこんなに大きいのは夢がつまり過ぎてるからだと思うんです。」これは、メリックの身体が、彼の感性を抱えきれていないことを的確に表した台詞だった。

沢山"友達"ができたメリックに、ロスがまた金儲けを提案しに来るシーン。「満足しなよ!」とメリックが今までで一番声を荒げる場面は、凄く印象的だった。ロスとメリックの立場が逆転したことも含めて「これが世の中なんだよ」ということなのかも。

泥から立ち上がって天に昇る形象である大聖堂の模型(模型の模型)をつくるメリックは楽しそうだった。完成したらどうなるんだろうという寂しさの予感を漂わせていて、劇のポイントになってた。最後に完成した模型を見て「終わった」と一言、それからベッドで眠る前に「まぐれあたり」と呟いて天国に行くメリック。その流れが、なんとも言えない空白のような静かなシーンで、メリックの息遣いだけが響く、あの寂しさの予感だけを切り取ったみたいな空気が流れてた気がする。



そして、そのメリックを演じている小瀧くんは本当に凄いと思った。ヴィクトリア時代の英国に生まれたエレファントマン、想像の範疇を超えたバックグラウンドを持つ人物を描いたこの舞台は、観客が感情移入して観ることを期待してなくて、実際俯瞰して観れたし泣かなかった(メリック以外、一人複数役があることもその効果の一つだと思うけど)。声色も豊かで、ボロボロ泣いて、一つ一つの動作に感情があって、表情が作れなくても彼の気持ちがビシビシ伝わってきた。特殊メイク一切なしでどうやって演じるのかなって思ってたけど、すごく納得。というか、圧倒された。心も身体も辛いはずなのにサラッとこなして、厳しい森監督にも褒めちぎられて、凄いとしか言えない!
5年前のオスカーも今回のメリックも、自分とかけ離れた人物を演じられるのは、小瀧くんの才能と努力と役に対する愛情の賜物だと思う。この作品に、劇中の言葉を借りるなら「運命の気まぐれ」で出会えて、本当によかった。

この舞台は奥行きが凄まじく深い。理解するのが本当に難しくて、自分の教養と想像力のなさが悔しかった。科学と宗教のせめぎ合い、善と悪の区別、真実と偽り、わからないことが多すぎた。

実在したジョン・メリックが、どういう気持ちでどんな人生を送ったのか、家を得て本当に「歪んだ過去、偽りの現在、ゼロの未来」に耐えていたのかは分からない。だけど、時代をこえて語られ、人々が彼に想いを馳せて考える。それこそに意味があるんだと思う。

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