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怒り、飛ばせるか?

ちょっとした些細な事で怒りが爆発し、それが時に暴力にまで発展して、警察沙汰となることが世の中には時々あります。怒りを向けられた方は精神的に傷つくだけでなく、人命に関わるような取り返しの付かない結末になることすらあり、その後の人生に暗雲をもたらします。

今まで色々なエアマンに接してきましたが、洋の東西を問わず、残念ながら操縦士資格を取得した方にも、アンガーマネージメントが出来ない人がおられました。航空機に搭乗している際に怒りを抑えられない人は、当然航空機もコントロールできなくなる訳で、ある面精神的にインキャパシテーションに陥るわけです。

怒りが抑えられないエアマンは、操縦が粗雑となります。地上の滑走、離陸時の機首上げ、巡行中の旋回、着陸と接地など、慎重な操作が求められる動作全てが粗雑となります。経験豊富なエアマンであれば、初対面のクルーであっても、操縦が下手なので粗雑なのか、気分的に操縦が乱暴になっているのか、直ぐに判断できるものです。

怒りが収まらないエアマンで問題となる次の点のは、crew coordination(操縦士間の円滑な業務のやり取り)が取れなくなることです。操縦室内で2名以上のエアマンが協力して運航業務を進めているのに、その一人でも怒り狂ってしまったら、その人が担当する作業が疎かになるばかりでなく、同僚が協働して行う業務もうまく出来なくなります。

そういう状態のエアマンには、怒りを抑える手立てを直ぐ取らないと、最悪墜落事故にすらつながりかねません。航空業界は長らく徒弟制度もしくは軍隊序列のような上下関係が厳格に存在し、機長が結果的に間違っていても、上司である機長に反論することは認められませんでした。それが原因で起こった墜落事故も知られており、その打開策としてCRM(Crew Resource Management)の概念が導入されたのです。

とは言っても、今日でも怒りを露わにした機長に物申すのは中々出来ないことで、年功序列を重視するアジア諸国では尚更です。よいキャプテンになるために、より良いコ・パイになることは重要です。怒りで粗雑になったり、失念したりしている機長の操縦に対して、ストレートに誤りを指摘するのではなく、相手の気分を刺激せずに危険を回避するような言動を取らねばなりません。例えば誘導路を滑走中に速度が速いと思ったら、「機長、10kt速度超過です!」と指摘するよりも、「機長、25ktをちょっと超えてきました。」と状況を伝えるだけで、怒りのボルテージを上げることなく、問題点が直ぐに伝わります。そう言うクレバーさがある若手が伸びるのです。

それにしても人間には、なぜ怒りが沸くのでしょうか?色々な局面がありますが、航空機乗務中にエアマンが怒り出すシナリオは、次の4つが殆どだと感じます。
最も一般的なのは、自分が予想していた動作が乱されたり、不意打ちで覆されたりした時です。さっきまでRwy 22アプローチであったので、そのつもりでブリーフィングをしていたところ、ATCより突然Rwy 16Lへ滑走路変更となって着陸準備手順がやり直しになったりします。そのような事態を全く予想していないと、驚きが怒りに変容してしまうエアマンがいます。こういう場面では、アプローチ管制に早めにランウェイ変更の可能性を確認しておくだけで、変更となっても気持ち的に随分楽なものです。
他に先を越されて憤慨するエアマンも、次に多く散見します。特に混雑した空港で、誘導路にずらーっと出発機が列をなす状態や、夜間の着陸時刻に門限があり、それに間に合うよう急いで飛んでいる時などは、定時運航を守る焦りが怒りに変換してしまうのです。こういう時は、「ゆっくり落ち着いて行きましょう」とイライラに共感している言葉を予め挟んでおくのです。
それにしても、日本の空港の門限には1分でも遅れるとダメと言われて、本当に閉口させられます。かつてスイス・チューリッヒ空港では、騒音規制の門限のため到着滑走路が変更となり、クロスエア機が不慣れなアプローチをして墜落した事故がありました。安全運航第一を尊重するのであれば、空港当局と地元住民の間で、数分の遅刻は猶予するような取り決めがあるといいのですが。
怒りについての3つ目の引き金は、プライドを傷つけられることです。誰でも自尊心を傷つけられることは辛いことです。パイロットは専門職であるとの意識が強く、プライドが高いエアマンが多いものです。プライドを傷つけた相手がパイロットでない場合は、「そういうお前はパイロットではないだろう!」という論法で自らの傷付けられたプライドを防御しようとします。他方相手がパイロットで、かつ自分よりも格上の場合は、このような怒りの回避は図れません。この場合、内なる怒りとなって、マグマのように心の奥底に溜まっていきます。遂には、これが突然大爆発することがあります。一番恐ろしいのは自暴自棄になるエアマンで、自らの非を悟ると時に航空機ごと墜落させて、道連れ自殺を図る者すらいます。お互いがレスペクトしている言動の上に、忠告や訂正を図る心遣いが必要です。
4つ目のシナリオは、単純に疲れや空腹から発する怒りです。これは謂わば、遊び疲れてお腹が空いた赤ちゃんが泣きわめくのと同じで、本能的な問題かも知れません。疲れや空腹からくる怒りは誰にでも生じ得る問題です。大きく時差を超えたり、昼夜逆転するような過重フライトを重ねていると、人間は誰でも疲れが怒りに変換していくのものです。お母さんがグロッキーな子供に「早く寝なさい!」と叱るように、グロッキーなエアマンには「沢山食べてから、充分寝て休みなさい!」というべきなのですが、過酷な労務環境からそれが果たせない事が多々あり、それが理由で事故を起こすことがあるのです。こればかりは操縦士が機械でないので、休養以外に対処の仕様もありません。
特に夜間あちこちを飛び回る貨物便の乗務員などは、単純に飛行時間(もしくは就労時間)を積算するだけでなく、時差や昼夜の身体的負荷を加味した労務状況を考える必要があります。トラック運転手の2024年問題と同様な労務課題が、航空業界にも今そこに歴然と存在するのです。


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