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36歳スキル無し女が10年勤めた超絶ホワイト会社から転職した話

このnoteは、スキル皆無のアラフォー女が超絶ホワイト会社からの転職を決心した経緯、葛藤、面接の分析、転職を通して思ったことなどをつらつらしていきます。長年付き合った彼氏と別れるより泣きました。

*向上心からの転職を考えている方にとっては何の役にも立たないと思いますが読んでいただけたらうれしいです。

まず私のスペックを。Dラン大学卒。
新卒でITの営業職に就くも8ヵ月で辞め、アパレルに転職。その後結婚、出産を機に専業主婦に。
26歳で離婚、社会人復帰。
26歳から現在まで製造業の事務職に従事。
資格は秘書検3級、簿記3級
よくできた息子が1人(12歳)。配偶者無しといった感じです。

私が26歳から10年余りお世話になった会社は、従業員20人に満たないほどの小さな家族経営の会社。タイトルの通りの超絶ホワイト。スーパーウルトラホワイト。もうクリアというか透明というか。全日本ホワイト会社選手権があったらK県代表で出れるのではというくらい、私にとって超絶ホワイトな会社でした。

・残業は10年で1秒も無し。(ひとり親のため配慮していただいていました。そもそも残業するほどの業務を抱えていなかったけど)
・家から車で15分ほどの距離な上に送り迎え付き。(辺鄙なところにあるため皆さん車通勤。朝拾ってもらえて、帰りはその日残業のない誰かしらが乗せてくれる。)
・よって毎日17時20分には帰宅。
・年間休日が135日以上。(10日以上の長期休みが年に3回。有給は別。)
・休みたいとき休めるため学校行事行ける。旅行もコンスタントに行ける。
・お菓子やお茶などのペットボトルが常備されていて食べ飲み放題。
・会社に送られてくるたくさんのお中元、お歳暮いただける。ベイスターズのチケットくれる。忘年会に出席すれば時間外手当くれる。
・人間関係ノーストレス。みんな優しい。
・息子が怪我をしたと連絡が入れば早退させてもらえた上に保育園まで送ってくださったり、息子が入院したときはお見舞い金を包んでくださったりと、本当に優しいアットホームな会社。

そして何と言っても。
私が与えられている業務量。業務をぎゅっとしたら、一か月で平均3~5時間くらいしか働いていませんでした。一日じゃなく、一か月でです。
ずっとネットサーフィン。ひたすらTwitterとZOZOTOWNを見漁る毎日。暇すぎて簿記の資格を取った時期もありました。
まさにいるだけ。お客様がいらっしゃったらコーヒーを出し、電話は出るもののあまり鳴らない。一か月数件の見積書とCADをちょこっとやるだけ。今まさにこのnoteも業務中に書いています。←働け(明後日が最終出社日です)

向上心のある素晴らしい人にとっては退屈で生き地獄かもしれませんが、現状維持スペシャリスト、ノー向上心の私にとっては最高に居心地のいい環境でした。
お給料は高くないものの、全く仕事していない人間なのだから当然。
不満なし異議なし。親子二人なら細々貯金できる程度に暮らせていたので、仕事していないのにこんなにくださってありがとうと感謝していました。
10年間養ってもらった感覚です。

なので本当にずっといられるだけいたかった。
バリキャリの友達の話を聞いては、へ~かっこいいなー私やばいかな?なんて思うのも2秒くらいで、仕事にやりがいや面白さも求めておらず、向上心もなくただただノーストレスを最重視する私にとってここは最高最適な職場だったのです。

けれど漠然と心のどこかで、若いときはいるだけでもお茶出し要員としてギリ存在意義はあったかもだけど、40越えて仕事しないお茶出し要員っていらないのでは?40.50.60なってもここにいさせてもらえるのはちょっと想像つかないなーとはふつふつと思っていました。そんなことが頭をよぎっても、会社から解雇されたり会社がつぶれるまではここいよっと♪といつも着地して終わってました。

けれどそうもいかなくなります。

コロナがじわじわと業績に影響を及ぼし始めてから少し経った2022年の11月。社長が従業員みんなに、
「本当は今月で会社を閉めようと思った。けど生き残る道を模索中。みんなよろしく。」と唐突に告げてきたのです。
その翌月には二人を解雇。元々80歳目前の方たちではあったものの衝撃でした。いよいよやばいのかもと。次に首切られる対象、どう考えてもわいや。イッツミー。
この社長からの通告は、やっぱ経営立て直せませんでした、解散。と今後いきなり宣言することもあるからよろしくね、と前置きされた印象を受けました。

旦那がいない我が家の稼ぎ口は私だけなわけで、いきなり解雇言われたらスーパー困る。失業手当などがあるのは知りつつも、その期間内にいいところ見つかる自信ゼロ。
というのも、緊急事態宣言の頃からちょこちょこ転職サイトに登録し、転職を本気で考えてはいないものの、いつ何があってもいいようにと暇つぶし感覚で緩く転職活動はしていたのです。

会社が暇な私、職探しするには充分な時間がありました。いざ見漁ると、まーないんですよね。希望条件に見合う職が。
年収は落としたくない、けど経験者オンリーだったり、難しいことを求められたり。なんせこちらはノースキル。
未経験者OKの中でこれなら私にもできるかもと思っても、驚くほど給与が低かったり。おまけに見込み残業代込みなんてザラ。
あと、そもそもの就業時間が10時-19時の企業の多さにびっくりしました。
無理なんですよね、子育てしてると19時定時なんて。
K県の夏に陽キャが集まる市に住んでいる身としては、通勤1時間は見込んでおかないとまず選択肢が激減してしまいます。ドアドアだと1時間半。19時終わりの20時半帰宅の、ご飯がんばって21時…
子供が12歳のため保育園お迎えミッションはないので物理的に無理ではないですが、体力面精神面でTHE 無理。おまけに定時が19時なのに残業月20とか書いてある。無理of無理。なんなら18時定時でも全然遅いのに。

このぬるま湯にいた10年、生活している中で「女性の社会進出」というワードを至るところでたくさん見聞きしていた私は、世の中のママに歩み寄った企業が当たり前に増えているものだと勘違いしていました。もちろんコアタイムありのフレックス制があったり、リモートOKな企業さんもちらほらありましたが。
それでもノースキルの私ができる仕事で条件を絞ると全然ない。

余談ですが緊急事態宣言中に出社制限があったころ、会社の了承を得て、短期の派遣をしたことがありました。
コールセンターの派遣をしたのですが、そこでパートしている方々はフルではなく扶養内で時間調整されている方々が大半。その中で話すようになったママさん曰く、子供が大きくなってきてフルで働こうと思ったら、この歳から正社員かつ将来役職をあげていける見込みがあるのは、介護職しかなかった、とおっしゃていました。事務なんてまず無いと。
現実問題、やはり一度家庭に入ると、職が限られているのが現状なんだなと思いました。女性の社会進出とはなんぞや、て感じです。
26から一応肩書ではブランクなく現役の私でも、希望条件に合う事務職は、派遣や契約なら一定数あるものの正社員は中々見つかりませんでした。(私の場合自己責任が最大の要因ですが。)

そこで気づくのです。
今の会社やっぱめちゃくちゃ条件いいと。
現に有難く内定いただけても結局辞退することを繰り返します。超絶ホワイトと天秤にかけると、例え内定先が年収70万UPだとしても超絶ホワイトが勝るのです。70万円さえ霞ませる力。すごい。そして私がいかに職場に楽さを求めているかを痛感しました。

緩い転職活動の中で、超絶ホワイトのすばらしさ有難さを再認識することになった私。解雇宣言されて失業手当がもらえる期間内のちょっとやそっとで納得できる企業から内定がもらえるとは到底思えませんでした。
なので解雇宣言されるまでここにいよーっと!なんて悠長なことはいってられない、転職活動今からちゃんとやらなきゃと覚悟することに。
本腰を入れます。

まず、そもそも書類すら通らないこと数多。
稀に見るいい条件の企業には募集が殺到します。1名募集の枠に250人応募中なんて出ていることも。若くもなくかといってスキルもない私が250人中の一位になれるはずもなく。書類通らない、一次で落ちる、二次三次で落ちるなど一通り経験しました。
なかなか書類が通らないため、希望条件を緩和して、書類50社は送ったかな。その中で面接まで行けたのは10社くらい。内定いただけたのは4社でした。

面接、本当にメンタル削られますよね。
自分に市場価値がないことをこれでもかってくらい突きつけられる。
もうやめてやめてーわかってるからーって耳塞ぎたくなるくらい。

中には圧迫までいきませんが、あなたのことがよくわからない、もっとロジカルに説明してほしいだの、それってうちじゃなくても良くない?だの、これからスキルを身に付けたいって言うけどその歳なら副業したり資格取ったりもっとできたんじゃないの?などと詰められることも。
心の中で、お、おま、おまえなんかキャバ嬢に冷たくされちゃえ~!なんて叫びつつも全部ド正論。正論とわかるからこそ、すごく悔しかったしいい大人なのに何もない自分が情けなかったです。

面接対策もネットで調べまくりましたが、「今まで培ってきた私のこのスキルを御社でこう活かせます!ビジョンはこうなのでゆくゆくはこうなっていきたいです」と言うべき系書いてあるのがほとんど。全く参考にならなかったです。
そりゃな。そういうことが言えれば通るだろうよ。でもこちらには何もスキルがないのだ。何も手持ちのカードがないの。
若くに家庭に入り子育てひと段落して社会復帰する人にも、そのアドバイスは通用しませんよね。

そもそも面接って茶番すぎませんか。
応募者の大半は条件で企業を選ぶのではないでしょうか。もちろん中には、企業理念に感銘を受けたり、薄給でもこの仕事がしたいんじゃ!って志の高い方々もいらっしゃるとは思います。
けれど現実問題、年収がすごく低かったり、通勤片道2時間だったり残業月40以上とかだったら。やっぱり大半の方が条件面を見た上で取捨選択していくと思うんです。
数ある同業種の中からなんでうちなの?と聞かれたら、「え、条件面でだが」って答えたい。流川の「近いから」のように。けどそうもいかず、御社の経営理念が~なんて答える。つくづく茶番だなーって思いました。

数うち面接をこなすことで場慣れはしていきました。
希望条件を広げ、たくさん受けたのは良かったと思います。今はリモート面接も多いので、交通費も時間もさほどかからないことも。
失敗体験から何を得たかなど、よくある質問のエピソードはなんとか創り出し(仕事してないから失敗したことない)、スムーズに答えられるようにはなりました。転職エージェントさんは職務経歴書を添削してくださったりするので、程よく使うべきだと思います。使うって言い方やですね、すみません。


元も子もない結論を先に申し上げますが、
面接ってやっぱり運、縁が大半な気がします。
なぜなら、同じ手持ちのカード数で、同じスタンスで面接に臨んでも、面接官によって和やかな雰囲気で話が弾むときもあれば詰められて終わることもある。人対人だからそこは相性がありますよね。
私は就活の頃は比較的おじさんの面接官のがうまくいくかもーと思っていましたが、今回は私より年上のお姉さまが担当してくださると話しやすかったりしました。全然落ちることもありましたが笑
なのでとにかく行動して、運と縁を掴むチャンスを広げるしかないのかなと思いました。
履歴書においても、こんな志望動機で書類通ったの?というときもあれば、すごくよく書けた!と自信があっても通らなかったり。もう運、縁以外にわからなかったです。


本格的に転職活動してから最終的に転職先を決めるまで、緩かった期間が大半なもののトータルで2年かかりました。転職活動したての頃は35歳と履歴書に書いていた年齢も、転職先企業を決めたときは36歳と11か月になっており、入社手続きをする頃には37歳の誕生日を迎えていました。

では、どんな天秤にも勝っていた超絶ホワイトに見切りをつけた最大の要因は何だったのか。

それは「不安」です。
不満はないけど不安がある。
どこの会社にいたって、安心安泰なんてないのは重々分かっています。
けれど社長からの通告はやっぱり大きかった。
あの通告がなければ、経営やばいのはいつものことだったので(爆)、全然まだ居座っていたと思います。

潰れると決まったわけじゃないし、なんだかんだ老舗だし。人員も削減したことだし、たぶんきっとメイビーおそらく平気だろうけどどこか不安を感じて過ごすのは、子供を一人で育てていかなければならない親としても、ノーストレスを重視する私にとっても、不安はストレスになりうる危険因子でした。

そして例え今は何とか会社が切り抜けられたとしても数年後、40過ぎてノースキルのまま社会に放出されたとしたら。30半ばでも決してスムーズではなかった転職活動。希望条件に見合う会社に就くのが更に難しくなるのは容易く想像できました。それを考えると、今か。と決心できました。

読んでくださっている方々の中にも、内定をもらえてもイマイチ決めきれない方がいらっしゃると思います。
私も内定をいただいては天秤にかけ辞退するを繰り返し、たくさん悩みました。今でもとんでもない間違えを冒しているような気持ちになるときがあります。

私はよく迷ったとき、もし自分に娘がいて、同じ状況の相談されたらどうするか、親友が相談してきたらどうアドバイスするか、と考えます。
今回の私の場合は、娘が相談してきたとしたら今の会社にステイ、親友だったら次の会社にGOという曖昧な結論になりました笑
自分の娘だったら、最悪私が孫含め養うから潰れるまでノーストレスな環境に身を置いたら?そんなとこ、なかなかないよと言う気がします。
親友だったら、お金は貸せるけどさすがに養えないので無責任なことは言えないなと判断しました。
よって親友へのアドバイスを参考にする結果となりました。

若いころに退職した際は、早く辞めたくて仕方がなくて退職をしたので、今回の転職はこんなに迷い、辞めることを考えては涙し、切ない気持ちになったのは初めてでした。恋なの?ってくらい長年付き合った彼氏と別れを決めたときと似た感情になりました。
情ですね。
転職ってもっと次の職場に期待して、次のステップに進むためのキラキラしたものだと思っていたのに、全然違う。
一度、今回の転職で初めて内定いただいたところに決めようと決心した数日があったんです。信頼できる友人にも、決めたわ!タイミングで会社に言うわ!なんて宣言してからの数日間、まるで鬱になるかと思うくらいへこみました。転職、思ってたんと違う。こんなに辞めることを悲観するならもう転職やめよう、今じゃないのかもと辞退しました。
本当に長年付き合った彼氏と別れるよりもへこんだんです。とんでもない裏切りをするような、今まで受けてきた恩を仇で返すような。こんなに優しくしてくれた人たちと会えなくなるなんてと考えるのも堪えました。

その後少しして、社長からの通告があったり私も年齢を重ねたりと状況も変わったので、今回最終的に転職先を決めたときも勿論泣きましたが、そこまで悲観するほどでもなくなっていました。転職先にキラキラした希望や期待もあるわけでもなく、フラットないい精神状態でいられていると思います。たまに考えると泣いちゃうけど。人によって決心できるタイミングがあるようです。迷ったら一旦ステイでいいのかもです。

そして、転職を迷ったり、泣いちゃうくらい辞めがたい会社に10年いれたことって、本当に幸運なことですよね。感謝しかありません。悲しくなったときは思いっきり浸ろうと思います。

転職先が決まった私、一か月前に会社に退職の意向を話し、今に至ります。
やー泣きました。社長は詰めるわけでもなく、ここよりいい条件なの?と優しく聞いてきて、劇的に良くなるわけでもないので否定すると、じゃあ通いやすいの?と退職の原因を探ってくださいました。送迎付きのここより通いやすいとこなんてあるわけないやろ泣泣
正直にここの経営が不安なんですとは言えないので、今私にはスキルがないので、年齢も年齢だし、一人で育てていかなければならないので、スキルを身につけるべきと考えるようになったと伝えました。
スキル無く40過ぎてからの転職は難しいと思うので、息子も中学に上がるこのタイミングに決めたと。
今年に入ってから昇給もさせていただいてたので本当に心苦しかったです。不満なんてこれっぽっちもなかったことは最終日も伝えたい。ただの自己満になっちゃうけど。
他の社員さんに伝えたときも、寂しくなるけどいいとこ見つかったならよかった、何もしてあげられなくてごめんね、いい判断だよと、皆さん背中を押してくださいました泣泣泣
辛くなったらまた戻っておいで!会社あるかわかんないけど笑 なんて言ってもらえたりもしました泣笑

そして今、お察しの通りとても暇なので某知恵袋で転職スペース後悔などと調べてみては読み漁っています。転職後悔されている方、めちゃくちゃ多い。
他人事ではないので、スマホのメモアプリに次の点(内定先に決心できた点)を書き出しています。
転職先で辛くなったら読もう。それでもだめだったらまた転職活動しようと思っています。


・創業から50年以上、1000人規模の中小だから今より安心感。
・年収20万くらいアップ。
・経理、給与関係の業務ができる。←応募条件で経理3年以上必須や、労務の経験必須などたくさん見かけたので、この経験を身に付けられるのも決め手となりました。(他に内定いただいたところは、同じ事務でも企業向けのカスタマー対応だったり、受発注業務だったり、ベンチャーゆえか(偏見ごめん)何をやるのか謎なところなどでした。自分にできるかわからない業務に進むのって不安ですよね。とても年収は魅力的でしたが。)
・同じ部署の経理担当の女性二人が50.60歳くらいなことから、私もがんばれば50.60までいられそう。
・通勤ドアドア30分でこの年収はあまりない。(ほぼ都内の企業を受けましたがまさかの地元で見つけることができました。)

ちなみにネガテイブになりそうな点も書き出してみます。
・残業月10ほど発生。(けれど見込み残業は給与に含まれていないので残業代が発生するからいいことかも)
・お給料系の業務をすることにあたり、締め日の関係で月のどこかで土日どちらか出なきゃならん。(その代わり平日に代休取れる、何気中学に入っても三者面談や懇談会、授業参観に体育祭などすべて平日なので結果良かったかも)
・通勤今よりは大変。うむ、それは致し方ない。

おおおネガティブ要因、意外に少ない。なかなかベストなところに決めることができたのかも。

今後、『超絶ホワイトから転職して後悔した話』というタイトルで2万字くらいのnoteを書きあげることが無いよう、精進していきたいと思います。
(でももし書いたら読んでください。)

長々と読んでくださりありがとうございました。






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