見出し画像

23グラムの幸福

人間の魂の重さは21グラムなのだという。昔の、眉唾物の研究によると。

私の飼っている幸福は、それより少し重い23グラム。名前はまる。
白と赤のコントラストが美しい、白文鳥の形をしている。
手のひらサイズの文鳥の中でも、ひときわ小さい男の子だ。

小さな小さな鳥に、私が救われた話を聞いてほしいと思う。

---

まるちゃんと出会ったのは動物に癒やされたくて入ったペットショップだった。
手乗りにしつけられた物怖じしない鳥たちの中で、ひときわ元気に、そして熱烈にアピールをしてきたのがまるちゃんだった。
近くへ行くと、私を見上げて金網に飛びついてくる。すぐに力尽きて止まり木に戻って、諦めずにまた飛びつく。戻って、飛びつく。金網を掴むわずかな間に、首を傾げて私を見上げる。
かわいかった。とにかくかわいかった。生後3ヶ月だというその鳥は、衝撃的にかわいかった。

それでも一旦冷静になろうと思って、その日はとりあえず帰った。帰って、深夜まで文鳥について調べた。何しろ元々鳥好きでもないので知識がない。
文鳥は鳥の中ではメジャーな方で、情報はごろごろ見つかった。体は比較的丈夫で、声が小さく、人なつこい。

やばい、飼えそうだな、と思った。

その後もう一度見に行って、その次の週には飼うことを決めた。
人なつこいので売れてしまうのではないか、と思ったけど、まるちゃんはずっとそこにいて、飽きずに金網に飛びついてきた。どうしたってかわいかった。

---

私は暇さえあればまるちゃんの世話を焼いた。
まるちゃんが鳴けば返事をして、私からは何を話しかけて良いか分からなかったから、とりあえず歌った。
まるちゃんは我が物顔で部屋の中を飛び回り、私の手からおやつをついばみ、私の上でうたたねした。
かわいさは留まる所を知らなかった。毎日毎秒かわいいが更新されていく。

写真フォルダは膨れ上がり、反比例するように私は健康的になった。
これまで夜更かし朝寝坊が常だったけど、文鳥の体には早寝早起きが良い。私がごはんを食べるとまるちゃんも一緒に食べてくれるので(文鳥には仲間と一緒に食事をする習性がある)、食事を抜くことも減った。まるちゃんが遊び回るから、掃除もちゃんとするようになった。

そうやって、幸せに過ごして数日。まるちゃんからプチプチと音がしていることに気付いた。
ネットで見た病気の症状とよく似ていた。
そう思うと、もう気になって仕方なかった。
家に慣れてから、と思っていた健康診断の予定を大幅に早めて、翌日には病院に行った。

---

まるちゃんを見るなり、血色が悪いね、脚の力も弱い。と先生が言った。
文鳥の真っ赤なくちばしは、白いくちばしに血が通って色づいているらしい。この時のまるちゃんは、文鳥ではなく白い十姉妹に見えるくらい、くちばしの色が薄かった。

画像1

まるちゃんは、心臓と肝臓を患っていた。

説明を聞いて、薬を2種類もらって、病院を出る。
先生は、大丈夫とか治りますとは言わなかった。心臓発作で急死する危険があったからだろう。

車に乗って、すっかり暗くなった街を走りながら、私は泣いた。
私はまるちゃんがつらい思いをしていることに気がつかなかった。よく私の上で寝ていたのも具合が悪かったからなのに、私はかわいさに悶えてのんきに写真を撮っていた。悲しくて悔しかった。

赤信号で停まったときに、ごめんね、と言った私に、まるちゃんは楽しそうに返事してごはんを食べた。
ずっと泣いていると前が見えないから、まるちゃんに話しかける代わりに私は歌った。まるちゃんは短く合いの手を入れて、その合間にごはんを食べた。ハイテンポなロックの方が反応が良くて、私たち気が合うな、と思った。

---

その晩から投薬が始まった。
まるちゃんを掴んで、朝晩2回、くちばしから薬を飲ませる。

掴み方は教わったけど、そもそもまるちゃんが捕まらない。部屋を暗くしたり眠そうにしている所を狙ったりしてなんとか捕まえても、薬の容器を見るとめちゃくちゃに暴れた。首の骨が折れそうなくらい。
私の手から逃れて飛んで行って、壁に激突したこともある。だから昔のまるちゃんの写真には、顔を怪我しているものが多い。

暴れるまるちゃんに薬を飲ませながら、度々泣いた。床に突っ伏してめちゃくちゃに泣いたこともあった。
こんなに嫌な思いをさせるくらいなら治療なんてしない方が良いんじゃないかと何度も思って、それでもどうか、生きていてほしいなぁと思った。
なついてくれとか、そんな無茶は言わないから、1日でも長く、ただ生きていてほしかった。

投薬が終わるとまるちゃんは楽しそうに部屋を飛び回り、私を呼びつけ、機嫌良く鳴いた。
私が歌うと自分も歌の練習をはじめたし、私の手を怖がることなく甘えてきた。幸せで、苦しかった。だってこの子は、発作が起きたら今日にでも死んでしまうかもしれない。
治るかどうかも分からない中で、まるちゃんの人なつこさと明るさだけが救いだった。

投薬を始めて、1ヶ月後にはくちばしはずいぶん赤くなって、一応文鳥に見えるようになった。相変わらず脚の力は弱く冷たい。

ここへ来てわたしは、まるちゃんがこんなに人なつこいのに売れ残っていた理由を悟った。見るからに病気だったからだ。
まず血色が悪いし、体も随分小さくて痩せている。
文鳥の平均体重は25グラム前後、30グラムで太りすぎと言われるが、このときのまるちゃんは21グラムしかなかった。

でもあのとき十分な知識を持っていて、まるちゃんが病気だと分かっていたとしても、私は買っていたかもしれないな、と思う。だってそれくらい、本当に、衝撃的にかわいいのだ、まるちゃんは。毎日毎秒1番かわいい。

まるちゃんの治療によって、私は更に健康的になった。
投薬のため、本格的に早起きするようになったからだ。まるちゃんの体重を増やそうと、ちゃんとごはんを食べるようになったし、ちょっと無理をして行っていた、泊まりがけのイベントには行かなくなった。

---

今夜にでも死んでしまうのではないかと思っていた小鳥は、来年の3月で2歳になる。

治療には半年以上かかった。
肝臓は比較的すぐ良くなったが、心臓の疾患は根深く、今も完治はしていないのかもしれない。体力がついて、一応薬に頼らなくても生きていけるようになっただけで。
いまだにちょっと痩せているし、目が悪いし、すぐにお腹を壊すし、血色が悪い日もある。

毎日投薬のために追い回されていたのに、まるちゃんは相変わらず人なつこく明るい。
実家に預けると人に囲まれて嬉しそうだし、私の手に包まれれば幸せそうに目を閉じる。
ケージから出すと機嫌良く部屋中を飛び回って、楽しげに私を呼びつけ、歌って踊って鏡に映る自分に求愛して、気まぐれに私の毛繕いをする。
毎日毎秒最高にかわいい。写真を撮る頻度が減ったのは、ますます甘えん坊になってスマホに嫉妬するようになったからだ。

まるちゃんを撫でるたび、悪意を知らない、幸福な子どもみたいだ、と私は思う。
手のひらに降り立ったとき、私がまるちゃんを包み込み、撫でて慈しむことを、まるちゃんは欠片も疑わない。毛繕いをすれば喜ばれると信じているし(実は毛がない皮膚を直についばまれるのでけっこう痛い)、振り払われることなんて想像もしていない顔で、私以外の人の手にも喜んで乗りに行く。

どうか、このまま、幸福に生きていてほしい。
私に出来るだけの努力はするから。
病気のまま売られて、毎日まずい薬を飲まされて、押さえつけてレントゲンを撮られて、23グラムしかない体で採血までされて。わけの分からないことばかりだったろうに、それでも人間を信じ続けるまるちゃんに、私は今日も救われているから。

画像2

この記事が参加している募集

我が家のペット自慢

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?