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英雄に憧れて【短篇小説】

メタローグ

 彼らが黙々と運んでいるのは巨大なクロスボウである。車輪のついた台座を、目当ての位置に向かって押していく。コタコタコタコタ___。彼らの動きには一縷の乱れもない。コタコタコタコタ___。一度立ち止まり、一斉にターゲットの方を見遣る。コタコタコタコタ___。再び台座は進みだす。
 目当ての位置に着くと、彼らは台座を固定してクロスボウの向きを調整する。彼らは音も発さず、ターゲットを見ることもしない。着々と事は進んでいく。
 僅かなずれを調整し終えた彼らは、間髪入れずにクロスボウの弦を引き絞る。
 彼らの間に上下関係は存在しない。統率者たるものはおらず、故に作業分担も存在しない。全員が同じ動きと同じ速度で同じ作業をする。そこには意志や感情も存在しない。予めプログラムされていたように、淡々と作業をこなすだけだ。
 弦を固定して矢を番える。そこで彼らは再度ターゲットの様子を確認する。つなぎ目の分からない無機質な速度で、予めプログラムされていたかのように。
 クロスボウの先にあるのは、巨大なジェンガタワーである。赤、青、黄のピースで構成された塔は、所々穴が開いていて、ゲーム中盤の様相を呈している。各ピースが計り知れない大きさと重みを携えて鎮座しており、彼らのいる最下層から塔の全貌を知ることは到底かなわない。塔は鮮やかで威圧的な態度をびりびりと放ちながら屹立していた。
 彼らのターゲットは下から二段目中央に構える青色のピースだ。彼らは引き金に触れたままじっとターゲットを見つめている。
 予感や前兆はなかった。突如青色のピースはうねりを打ち始めた。塔全体とその周辺を激しく揺さぶるうねりは、ゆっくりと着実にその激しさを増していった。彼らは引き金に触れたまま、黙ってその様子を見つめていた。
 塔は全体のバランスを崩し始めた。僅かではあるが上層が揺れている。塔の歪みは波紋のように広がってゆき、あと少しで倒壊するという所でうねりは治まった。ターゲットの青ピースは黒色に変色していた。それは光や音をも取り込むほど強大なうねりを宿した黒だった。実際、そのうねりは周りの赤ピースと黄ピースを侵食し始めていた。
 彼らもまた、何の前触れもなく引き金を引いた。矢は目に見えない速度で放たれた。衝撃で巨大なクロスボウはばらばらに崩壊した。矢はターゲットに命中すると、光を放って四散した。ターゲットは閃光を放って白く変色し、矩形を保って塔より抜け落ちた。
「パティマパティマパティマパティマパティマ」彼らは唄った。
 やがて、どこからともなく仄白い手首が現れた。巨大な人差し指と親指は落ちたピースをちょいとつまんで塔の最上部へ運んでいった。うねりと色を失って凪いだピースは最上部へ横たわると、徐々に赤く色づき始め、じっとその場に納まった。ジェンガタワーは平静を取り戻した。彼らはやおら去っていった。





 コウイチ君は小さい頃からあらゆる方面に秀でていたため、「天才」「秀才」などと周りから誉めそやされてきましたが、実のところ、彼は大変な努力家なのでした。それは、彼にかけられる数々の賛辞が、_____それが芸術面に向けられるものであっても_____変わらず「天才」「秀才」と一貫しており、「鬼才」「異才」などという言葉が一度も口に出されなかったところから容易に察することができるように思いますが、周りの大人は彼が生まれつき多くの才能に恵まれた神童であると、信じて疑いませんでした。コウイチ君は、決して多くを持って生まれた子供ではありませんでした。特出した身体能力を具えていたわけでもなく、大物にありがちな風変わりエピソードもない、田舎の平凡な家に生まれ育った、平庸素朴な男の子でした。

 わたげに関する一連の事件は、彼の生き方を変える大きなきっかけとなりました。わたげは、コウイチ君が生まれた時からずっと一緒に過ごしてきた愛猫の名前です。わたげにとって、コウイチ君は唯一無二の親友であり、コウイチ君にとってもそれは同じで、わたげは彼の人生にいなくてはならない存在でした。彼らは毎日よく遊び、喧嘩し、よく笑い合いました。その様子は、料理屋を営むコウイチ君の家の一種シンボルで、地元の人からも遠方のお客さんからも、二人が元気よく遊ぶ姿は大変評判でした。
 地元の小学校に入学してまもない頃でした。学校から帰ってきたコウイチ君は、いつものように合図をして、わたげを呼びました。わたげはなかなかやってきません。<かくれんぼだな、ようし>と、家の中を捜し回りましたが、わたげはうんともにゃあともでてきません。<ぼくをからかっているんだな、ようし、それなら>とコウイチ君は庭でサッカーボールを蹴り始めました。サッカーボールはわたげが最も好きな遊び道具です。何も言わなくても、ボールの跳ねる音を聞いて、たまらず遊びに出てくるでしょう。コウイチ君は意地を張って2時間もボールを蹴り続けました。わたげはとうとう現れません。そして、疲労が十分に溜まったと同時に、いつまでもやって来ないわたげのことを案じ始めました。
 コウイチ君はひどく狼狽えて、家を飛び出し、わたげの向かいそうな場所をしらみつぶしに捜しました。しかしわたげは見つかりませんでした。わたげが布団の上にいない夜は生まれて初めてのことです。その日のコウイチ君が眠れなかったことは言うまでもありません。
 五日間、わたげが帰ってくるのを待ちました。その間、近所の人たちが、店にわたげのいないのを不思議に思い、コウイチ君から事情を聞くと、みんなで町中を探してくれました。それでもわたげは一向姿を見せませんでした。煙のように、一切の跡も残さず消えてしまったのです。あるお客さんは、「猫という動物は気まぐれが取り柄さ。じきに何事もなかったように帰ってくるよ」と言いましたが、コウイチ君にとっては、どんな慰めも気休めにすらなりませんでした。
 コウイチ君は体調を崩して、学校を休みがちになりました。コウイチ君だけではなく、町全体が、どこか暗い雰囲気を帯びて、日々の活動がひどく消極的になったようでした。探偵や、大勢のボランティアが集って、大規模な捜索が行われました。季節は冬です。たくさんの人が寒さに震えながら、たった一匹の猫を見つけるために、あちこち動き回りました。一刻も早くお店の元気印が復活してほしいと願って。しかし、捜索の成果は上がらず、寒さが厳しさを増していくばかりでした。

 春になり、わたげの失踪は風化の兆しを見せ始めていました。大規模な捜索は行われなくなり、コウイチ君も、相変わらず以前のような元気は見られませんが、体調は回復して、外出することが多くなりました。お店では誰もがわたげの話題を意識的に避け、気持ちを切り替えようとしていました。
 新年を迎えてから最も陽気で麗らかな日のことでした。ある若い男の巡査さんがわたげ捜索願のビラを持って、コウイチ君の家にやってきました。
「探していた猫を見かけたかもしれない」
 コウイチ君と彼の家族は血相を変えて、若い巡査さんがわたげらしき猫を見たという場所に急行しました。
 そこは、コウイチ君の家から歩いて二十分ほどのところにある、広くのんびりした河川敷でした。わたげは以前三回ほどこの河川敷に来たことがありました。もちろん、この周辺は何度も捜索をした場所でした。
「たしかそこの遊歩道を白い猫が歩いているのを見たんです」と巡査さんが言いました。
 コウイチ君たちは、河川敷を入念に見て廻りました。「わたげ」「わたちゃん」と大声で呼びかけながら川沿いを歩きましたが、それらしい猫は見当たりません。巡査さんの見間違えだったのでしょうか。以前から何度も、勘違いの報告はあったのです(そのたびにひどくがっかりさせられたのでした)。
 コウイチ君は捜索範囲を少し拡げ、若々しい新緑の生い茂る砂地をずんずんと侵入していきました。棘がからだに刺さり、行く手を遮りますが、コウイチ君は気にしません。何かに導かれるように茂みの奥へ奥へと入っていきました。
 やがて、低木や蔦をかき分けた先に、子供が作った秘密基地のような光の差し込む空間がありました。そこには、黄金に輝くタンポポの花が咲き乱れていました。コウイチ君は思わず息をのみました。あまりの美しさに圧倒されたのです。それは、コウイチ君がこれまで目にしてきたものの中で最も美しく、最も神秘的な光景でした。緑に縁取られた青空も、太陽に照らされて輝くタンポポも、この世に存在する何にも増してきれいに見えました。
 タンポポの咲き乱れる地へ近づくにつれて、神秘的な輝きは増していきました。黄金色に輝く光に囲まれ、そのさらに奥へ進むと、一瞬、眩い白光が全身を浸し、コウイチ君の目をくらませました。
 ゆっくり目を開くと、コウイチ君の目の前には、タンポポの花に囲まれて横たわる、わたげの姿がありました。コウイチ君は声を失い、眼前のわたげに見惚れました。
 わたげは死んでいました。コウイチ君は、そのことを瞬時に理解しました。しかし、コウイチ君が思わず呆然としたのは、わたげを見つけた衝撃からでも、わたげが死んでいる悲しみからでもありませんでした。死んだわたげの姿が、あまりにも美しかったからでした。

 わたげは、コウイチ君のお父さんがつけた呼び名でした。その名の通り、綺麗に透き通ったふさふさの白い毛で、ふっと息を吹くと飛んでいってしまいそうな、美しくあどけない、どこか儚さを帯びた猫でした。そんなわたげとコウイチ君が遊ぶ姿は、この世で最も純粋で、微笑ましくて、写真にも写らないような、淡く脆い、繊細な光景でした。
 その時コウイチ君が目にしていたわたげには、一緒に遊んでいた頃の、少し触れるだけで消えてしまいそうな儚さはどこにもありませんでした。それは完全で、永遠の美でした。救いの精でした。満ち足りた唄でした。全ての象徴でした。世界の始まりであり、終わりでした。コウイチ君は、霊妙なわたげの死姿に、幼い語彙ながら、そのような大それた所感を抱いたのでした。
 コウイチ君は、この地でわたげを見つけたことを、誰にも伝えることなく、一人心の裡へ大切に留め、しばらく滞在したのち、その限りなく幻想的な死の床を去りました。
 結局、その日の捜索は成果なし、またもや見間違えの報告だったということで処理されました。帰宅後の家族はいつものように落胆していましたが、コウイチ君だけは眠りに就くまでずっと、神妙な顔で何かを思案していました。

 翌日からのコウイチ君は、まるで生まれ変わったようでした。朝から道行く人に元気な声で挨拶をし(犬や花にまで挨拶するほどの勢いでした)、学校に着くなり、たくさんの友達と話をして、盛んにふざけ合いました。もともと大人しい性格というわけではありませんでしたが、あまりにも突然あり余る元気を振りまき始めたものですから、クラスメイトは初め、少なからず困惑していました。しかし、コウイチ君の底抜けに明るい振る舞いに慣れると、彼はたちまち学校中の人気者になりました。
 コウイチ君に変化が見られたのは、その威勢だけではありませんでした。勉強もスポーツも、とにかくなんでも一所懸命に取り組むようになったのです。その姿勢は、ある種尋常ではないものがありました。テストの成績は常にトップクラス、学校行事も全力、陸上で県大会優勝など、努力に比例して結果を出し、小学校中学年にしてすでに学校中の人望を得ていました。
 コウイチ君のようななんでもこなしてしまう(と周りから思われる)子供は大概、大人から過度な期待をかけられるものです。大人は自分が子供の頃に実現できなかった理想を子供に当てはめてしまう生き物だからです。大人にとって、コウイチ君は若かりし頃の夢を再現してくれる、精巧なロボットでした。ややもすれば、そういった種類の期待は子供をスポイルしてしまう事が多々あるものですが、コウイチ君は違いました。彼は周りから向けられる期待や羨望を含んだ視線に圧し潰されるどころか、むしろ自らの力やモチベーションの向上に利用していたのです。彼は、大人でも困難な自己精神の扱い方を幼い年齢にして習得していたのでした。
 コウイチ君が進学し成長していくにつれて、特に注目されるようになったのが、彼のテニスセンスでした。相変わらずなんでもこなしてしまうコウイチ君でしたが、なかでもテニスの実力はいくらか抜けていたようで、クラブチームに所属していなかったにもかかわらず、高校三年生の夏ごろには、大学の強豪校やアマチュア、プロチームなどから数多くのスカウトが引き抜きの交渉を持ちかけてきました。しかし、コウイチ君はスカウトを全て辞退し、そのままテニスを引退してしまいました。「なぜ辞めるんだ」「せっかくの才能がもったいない」と、まるで大きな裏切りにあったように周りの大人が騒ぎ立てましたが、コウイチ君の心は揺らぎませんでした。
 結局コウイチ君は、一般受験で名門大学へ進学し、大学で出会った先輩と成り行きでロックバンドを結成しました。それまでロックなどほとんど触れてこなかったコウイチ君でしたが、それでも毎日練習して様になってしまうのはさすがでした。彼はバンド内で、ツインボーカルの一角とギターを担当していました。次第に作詞・作曲にも挑戦するようになり、コウイチ君はロックにのめり込んでいきました。
 ある小さなフェスへ出演したことをきっかけに、バンドは一躍有名になりました。SNSに投稿された演奏動画が大きな注目を浴び、巷で流行りはじめたのです。コウイチ君の作った曲は決して異彩を放っていたり、斬新だと評価できるものではありませんでした。むしろ、愚直で捻りのない、どこにでもありそうな音楽でした。しかし、いつの時代であっても大衆とは愚直で捻りのないものに惹きつけられるのでしょう。事実彼らの音楽は一時期の音楽シーンを席巻しました。
 在学中にもかかわらず、世の中にバンドの名は知れ渡り、非公式のファンクラブが次々設立されました。
 プロのレーベルと契約を交わし、念願のメジャーデビューを果たした次の日、コウイチ君は死んでしまいました。
 遺体は河川敷で発見されました。事故死と報道されましたが、実際は自殺でした。後日、コウイチ君の実家に生前の彼から送られた一通の手紙が届いたのです。

〈僕はずっと、ずっと永遠の輝きを探していたんだ。誰かに直接言われたわけじゃないけど、おそらくそれは僕に課された唯一の使命だったんだ。導いてくれたのはわたげだった。みんなも知っての通り、僕とわたげは最高の友達だ。そして、気づいていなかったかもしれないけど、わたげはこの町の“英雄”だったんだよ。わたげが姿を消した時、必死に探して悲しんだのは僕たち家族だけじゃない。町中の誰もが悲しんで、わたげを惜しんだ。悲しみは栄誉で、宝石だと思った。今までずと黙ってきたけど、僕はみんなが躍起になって捜している時期に、河川敷で一度、わたげと会っていたんだ。わたげは動かなかったよ。その姿は____信じられないだろうけど_____それまで見てきた何よりも美しかった。美しくて、何一つ欠けたものがなかったんだ。僕は見たんだ。壮大で永久の詩が完成する瞬間を。僕はずっと憧れていたんだ。使命を果たすために何をやらなければいけないのかは分からなかったけど、僕は全てがむしゃらにやってきた。そしてやっとたどり着いたんだ。今しかない。今が使命を果たす最初で最後のチャンスなんだ。僕に才能をくれてありがとう!!ありがとう!!〉

「なんで死んじゃったの?」
 葬儀の際中に親戚の小さな男の子が尋ねました。コウイチ君のお母さんは、泣きながら言いました。
「.......分からない」

 コウイチ君には、歳の離れたお兄さんがいました。名前をスナオ君と言います。スナオ君には、突出した演劇の才能がありました。幼少期に見たミュージカルをきっかけに演劇へ深い関心を持った彼は、両親に懇願して、東京に子役のオーディションを受けに行きました。そこで有名劇作家から目をつけられたスナオ君は、小学校一年生にして、芸能プロダクションに所属することになりました。そこからの彼は絵に描いたようなスター街道を歩むことになります。
 有名ドラマの子役で華々しいデビューを飾ったスナオ君は、数々の作品に出演し、優れた俳優に贈られる名誉な賞を受賞しました。彼は十八歳になり、ロンドンへ演劇留学をしました。数年で帰国する予定でしたが、留学先で出会った女性と婚約したことで、しばらくロンドンを拠点に活動することになります。日本に帰国したのは二十代後半の時ですが、日本での彼の人気は衰えていませんでした。その頃のスナオ君は、一度の離婚を経験し、試練の多い時期でしたが、プロとして私情は持ち込まず、彼の演技はますます洗練されていきました。
 彼はベテランと呼ばれるまで人生を演劇に捧げました。地位や名声は確固たるものとなっており、何不自由ない暮らしを送っているように見えました。

 東京の自宅で彼が首を吊って死んでいたというニュースは、日本中に衝撃を与えました。現場には殴り書きの書き置きがありました。
〈僕は頑張っている僕は頑張っている僕は頑張っている僕は頑張っている僕は頑張っている僕は頑張っている僕は頑張っている僕は頑張っている僕は頑張っている僕は頑張っている僕は頑張っている僕は頑張っている僕は頑張っている僕は頑張っている僕は頑張っている僕は頑張っている...

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「なんで死んじゃったの?」
 葬儀の際中に親戚の小さな女の子が尋ねました。スナオ君のお母さんは、泣きながら弱々しい声で言いました。
「..........分からない......分からないよ.........」




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