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【訂正】「孟浩然に贈る」「李白を夢む」

こんにちは、康寧堂です。
今回は以前紹介した李白の漢詩「孟浩然に贈る」と
「李白を夢む」の訂正記事です。長らくご好評いただいていましたが、
訳が間違っており申し訳ありませんでした。

まず、「孟浩然に贈る」から見ていきます。

我は愛す孟夫子 風流天下に聞こゆ
紅顔、軒冕を棄て 白首、松雲に臥す
月に醉ふて中聖に頻び 花に迷ふて君に事へず
高山も安んぞ仰ぐ可けん 此れ從り清芬を揖られん

大意:私の慕う孟先生! 風流ぶりは天下に聞こえている。
若い時分から仕官せず、歳を取っても風雅にあそんでいる。
月に酔ってかえって聖人のようであり、花に迷って君主に仕えない。
高い山もなんで仰ぐ必要があろう、風流をみならうのは山の方と言っていいくらいだ。

と訳しましたが、

「月に醉ふて中聖に頻び」は「月に醉ふて頻りに聖に中り
「月に酔っては清酒にあてられたとしきりに言い」
という訳が正訳でした。このとは「清酒」のことを言います。
酒の隠語で、清酒を聖人、濁酒を賢人と言うのです。
仏教界での「般若湯」みたいなことだと思います。

次に
「高山も安んぞ仰ぐ可けん 此れ從り清芬を揖られん」
「高山、安んぞ仰ぐ可けんや 徒らに此に清芬を挹す」
でした(「徒」「挹」は版本によって異なる字です。
今回参照した文献ではそうなっていました。)
つまり「高い山のような孟浩然は仰ぐこともできないので、
ただただ、芳名に礼拝するのみだ。」
という訳が正訳です。

長らく、誤訳を掲載しており、申し訳ございませんでした。

参考文献:
続国訳漢文大成 文学部 第2巻


次に「李白を夢む」です。

死别已に吞聲、生别常に惻惻。
江南瘴癘の地、客逐はれて 消息無し。
故人我が夢に入る、我に明かす長えに相ひ憶はんことを。
君今羅網に在り、何を以てか羽翼有らん。
恐るらくは平生の魂に非らず、路逺くして測る可からず。
魂來れば楓林青く、魂返れば闗塞黑し。
落月屋梁に滿ち、猶ほ疑ひて顔色を照す。
水深くして波浪濶し、蛟龍をして得さ使むること無かれ。


「我に明かす長えに相ひ憶はんことを。」
「我が長相憶を明らかにす」でした
「私(杜甫)が李白をいつも思っていたことを李白、あなたが
わかっていたから(夢に出てきたのだね)」
という訳が正しいです。

次に、二首目、

浮雲、終日行き、遊子、久く至らず 。
三夜、頻に君を夢む、情親、君が意を見る。
告歸するに常に局促たり、苦道、來ること易からず。
江湖、風波多くして、舟楫、失墜を恐る。
門を出でて白首を搔き、平生の志を負ふが若し。
冠葢京華に滿つも、斯人、獨り顦顇。
孰か云う網恢恢たりと、將に老いんとして、身反つて累ふ。
千秋萬歲の名、 寂寞たり身後の事。

浮雲はひねもす流れて、出かけた君は帰ってこない。
三晩つづけて君を夢にみた、そうして親しく君の心むきを見た。
「帰ろうにもそわそわとしている。道に苦しんで帰ってこれない
湖水の地は波風多く、船が覆るのをおそれている。」
夢に見た君の姿は 門から出て白髪頭を掻いているところなど、昔のように志を自負しているようだった。高官たちは都に満ち溢れているのに、この人(わたし)ばかり憔悴している。誰が「天網恢々」なんていったんだ、私は老いようとしているが、その網とやらに縛られている。千年後にのこる名前なんかもうどうだっていい。

・そうして親しく君の心むきを見た。×
→あなたが私に親しもうとしているのを見た。

・(平生の志を負ふが若し。)昔のように志を自負しているようだった。×
→「平生の志に負く(そむく)が若し」
志が遂げられずそれに背いているようである。

・斯の人、ここでは私杜甫ではなく李白のこと。
そこから、文脈をみていくと、
「志が遂げられずそれに背いているようである。
都には高官がひしめいているが、李白だけは憔悴している。天網恢々と言っているが、李白のような罪のないものをなぜ罰する。
千歳まで残る名は、死んだ後のことである。」
といういう訳が相当です。

参考文献:
国訳漢文大成 続 文学部第17冊

いやあ、、、勉強不足!!!!
堂々と誤訳を半年間も掲載していたのは漢学を志すものとしては
不覚です。こんな康寧堂ですが、これからもどうぞ懲りずにお付き合いください。

それでは、また。

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