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作曲は才能、編曲は知識が必要。

例えばロックバンドのヴォーカリストのAさんがお風呂に入っている時に、何となく浮かんだメロディをボイスメモに録音して、後日メンバーに聴かせたとします。

それを聴いたギタリストのBさんがそのメロディに当てはまるコードを付けて、ドラムやベース等全てのパートを打ち込んでデモを作ったとします。

この場合、作曲者はAさんで、編曲者がBさんとなると思います。なので印税も場合によってはAさんには発生するけど、Bさんには発生しない。という事も起こり得ます。この辺りは多分著作権法など法令に関わってくる部分だと思うので、僕もあんまり詳しく分かりませんが、大体こんな感じだと思います。

でもこれ、専門的な知識や技術が必要且つ作業量が多いのは明らかにBさんなんですよね。もし僕がBさんの立場で、Aさんと収入に格差があったら納得いかないと思っちゃいます。

だってBさんは編曲したその時の報酬のみで終わりなのに、Aさんは曲がカラオケやコマーシャル等で使われる度にチャリンチャリンとお金が入って来るんですよ。

そして僕は作曲とはどういう行為なのか?編曲とは何なのか?そもそも曲とは何なのか?と分からなくなってしまいます。

編曲は技術と知識があればどうにでも出来るけど、作曲は「ひらめき」そのものがとても重要なんですよね。「センス」と言い換えても良いです。

編曲は知識さえあればメロディだけのモノをメタルにもパンクにもレゲエにもジャズにもボサノバにも出来ます。仮に才能やセンスがない人が編曲するとしても膨大なデータベースを活用し、分析、選択、模写、設計が出来ればそれは可能です。なのでAIでも事足りる場合も多々あるでしょう。

大元のメロディも、ある程度データベースからの分析、選択、模写、設計をすれば作成可能ですし、AIでも出来ると思います。それでも編曲に比べればまだまだその範囲は狭いと僕は考えています。

何故なら編曲とはある意味理論や法則に則ったとても不自由な行為であるのに対し、メロディはなんの壁も存在しない限りなく自由な空が広がっているからです。

いや、確かにキーが何々でドリアンだから、この音使ったらおかしいとかありますけど、そんなルールは壊しても仕上がりが良ければ、それが自分が作りたい流れであるのなら何の問題もありません。

なので結局メロディ作りはセンスだと思う訳です。ではこのセンスとは何処から来るのか?

それこそが小さい頃から積み上げてきた様々なインプットの公約数です。何も音楽だけではなく、日々の食事、TV番組、映画、本、友人、何もかもです。

この辺りはまだまだAIに反映させるのは至難の業だと思いますが、どうなんでしょう?

では話を冒頭に戻します。
メロディだけを思いついたAさんも努力次第ではBさんと同じ能力を手に入れる事は可能だけど、編曲能力を持つBさんがAさんと同じセンスを持つ事は不可能に近い。
と言えると思います。

故に大元の核となる部分を思い付いた人が作曲者とクレジットされるのは正しい事なのかも知れません。

但し、これはAさんはメロディを考える事しか出来ない。Bさんは編曲しか出来ないと仮定した場合の話です。

僕はジョビンや坂本教授にヴォイシングの影響を強く受けた口で、「作曲とは編曲である!」という思想の持ち主なので全く釈然としませんが、どうやら世の中的にはこうなっているのかも知れません。

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