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20-4 梅すだれ 肥後の国

 朝日が顔を出し、お柿と太郎を飲みこんだ暗闇を消し去った。海が太陽をを反射して輝き始めたと言うのに、そこに不釣り合いにも横たわる与兵衛がいた。

(いたずら好きのイルカがまた死体を運んで来たと!)

 与兵衛を見つけた漁師のトンスケはため息をついた。先月から三体の遺体が浜に流れ着いている。島原の戦で死んだ者をイルカがこの浜へ連れてくるのだ。天草へ帰りたいと言う死者の声がイルカには聞こえて、それに従っているのだと言う者もいるが、トンスケにはただ面白がっているとしか思えない。

 放っておくわけにもいかないから、浜辺に埋めてしまおうと思っていたら、わずかではあるが息がある。胸に耳を当てるとドクドクと躍動した鼓動が伝わって来た。

(ここで死なれては浜が穢れてしまうと。)

 海にすべてをいただいて生きているトンスケであるから、海のよこした人を死なせるわけにはいかない。背中に背負って家へ連れて帰った。嫁と二人の幼い子どものいる家へ。

 寝かせた与兵衛の口の上で、嫁が水を含ませた手ぬぐいを絞る。そうすると意識はなくても与兵衛は一滴ずつ落ちて来る水を飲むことができた。

 ひどい脱水症状を起こしていた与兵衛であったが、二日目にまだ朦朧としながらも意識が戻った。目も開けられず口もきけないままだが、口に垂らされる水はまさに恵の水。口を濡らすほんの一滴さえも、この世につなぎとめてくれる命の水に感じられた。

(イエス様が聖水をくださっている。)

 イエスが空中から取り出したという聖水。今まさにその水が城を逃げ出した裏切者である自分に注がれているのだと、与兵衛は思った。

(おいは生かされてると。イエス様のお救いをうけとると。)

 身動きのできない体と出もしない涙を流しながら、今際いまわきわにあって、ますますイエスへの信仰を深める与兵衛であった。

 三日目に遂に目を開けることができた。それに気づいた子どもは化け物が起きたとでも思ったらしく、逃げるように「おかあ!」と母親を呼びに出て行った。

 のどの乾いている与兵衛は傍らに置いてある小さな盥に顔を突っ込んで水を飲んだ。全身に水が沁み込んでいくのが分かる。干からびていた細胞が生き返っていくのだ。

 盥の水だけでは足りず、起き上がると出入り口の脇に置いてある水甕まで四つん這いになって這っていった。甕に縋り付くように立ち上がり柄杓で掬って浴びるように水を飲んだ。するとどうしたことか、みるみる力が湧いてきた。

 出入り口から心地よい風が海から吹いて来る。その風に乗ってお柿の声が聞こえた。

「あんた・・。」

(おかきが、おいを呼んどると。)

 声に引っ張られるように家を出ると、ふらつく足で浜へと歩いた。

 海は冬らしく穏やかに波を打ち寄せている。寄せては引く波につられるように海へ入った。しかし、膝のあたりまで海水に浸かったところで後ろから左腕を掴まれてしまい進めなくなった。

 振り返るとちょんまげを結った藩の役人が射抜くような鋭い目でこちらを見ている。

「原城から抜けて来たとか?」

 頷く与兵衛の腕を掴んだまま、役人は与兵衛を海から引きずり出した。そして近くの高台へと連れて行き、木に縛りつけたのだった。

つづく


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