19-1 梅すだれ 肥後の国
村は五、六家族を一組にして七つの組に分けられていて、各組には作之助が選んだ組頭が一人ずついる。土着の天草の民や九州地方からの移住者が多い四つの組をまとめるのは大頭の太郎兵衛で、それ以外の三つの組をまとめるのがこれまた大頭の馬四郎になっている。
組頭七人と大頭の二人、そして作之助。この十人が集まり決めごとをしている。村には人家から外れた隅に、簡素な造りだが十人が円になって座れる大きさの小屋が建てられている。その小屋に入れるのは組頭、大頭と作之助の十人だけなのだ。
昨晩もこの十人が集まった。村のみんなが寝静まる宵五つに予告なく寄合が開かれて、明日の絵踏みが申し渡された。
朝まで他言無用ということだったが、みの組の組頭、八二郎は黙ってなどいられなかった。と言うのも、みの組の三家族は切支丹なのだ。まずはそのうちの一家族、先祖代々ここ天草に住んでいて八二郎と子どもの頃からの知り合いの小太郎の家へ行った。
「かまわん。そんなもん踏めると。」
小太郎の家は敬虔な切支丹だが、島原の乱には参加していなかった。
「城へ来いと言われたが断ったと。殺し合いなんかしとうなかと。」
島原の乱とは切支丹の反乱と思われているが、実情は切支丹が中心となった百姓一揆であった。無謀な年貢取り立てをする横暴な島原の代官に反旗を翻した百姓の戦いであったのだ。たくさんの切支丹たちが加勢を請われるがままに城に籠城して命を失ったが、小太郎のように断った切支丹たちも大勢いた。
そんな生き残りの切支丹たちの信仰心は、島原の乱が終わったあとも変わることなく大切に受け継がれている。体に染み込んでいると言える子々孫々、生粋の切支丹である小太郎一家であったから、八二郎は念を押しておいた。
「子どもたちにもよう言い聞かせんといかんと。」
「だいじょうぶと。」
次に八二郎は隣の六郎太の家へ行った。六郎太は弟の七郎太共々、嫁と息子夫婦を連れて薩摩藩から移住してきていた。そしてこの二家族とも切支丹なのだ。その情報は小太郎が、
「わかると。言わんがあいつらも切支丹と。」
と、何かの話をしていた時に漏らした。
偶然とは言え、切支丹の家族が三家族隣り合わせになっている。しかしそれを怖がることなどなかった。どちらも家系的な宗教に準じて生きているだけで、結集して危険な行動を起こすような者達ではない。表に知られていなくても古い切支丹はいくらでもいるから八二郎は何も心配などしていなかった。
しかし突然の「絵踏み」には動揺せずにはいられなかった。切支丹と言うだけで罪人のように殺されるのだから、明日の「絵踏み」で痛ましい目に遭う者が出てしまわぬようにせねばと、組頭としての責任を感じていた。
六郎太に告げると、「わかった、みんなに言うとく。心配せんでええばい。」小太郎同様、大したことではないようだった。「七郎太にも言うとくたい。」と引き受けてくれた。
そして次の日の朝、六郎太の息子夫婦は幼い子どもを連れて忽然と姿を消していたのだった。
つづく
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