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18-8 梅すだれ 肥後の国

 朝は読経のあと、字を習う猿彦の横で松之助は阿弥陀経を書き写した。字を知っているとは言え、お経の漢字は見たこともない難しいものばかり。一画一画、間違わぬように目を凝らして書いていった。

 夕刻は阿弥陀経の内容を雲十が解説してくれて、それを猿彦も一緒になって聞いた。と言うのも、雲十の話は猿彦にした時とは違ったのだ。例えば、猿彦には仏陀の弟子のひとり、周利槃陀伽について詳しく話したが、松之助には仏陀の後年の二十五年間を付き添った阿難陀アーナンダについて事細やかに話して聞かせた。

 阿難陀は誰よりも近く長く仏陀のそばにいて、聞いたことを一語一句覚えているほど記憶力が良かったことから、仏陀の説いたことを丸暗記していた。それ故に多聞第一と呼ばれた弟子である。仏陀の生存中には無理だったが、その死後悟りに達した。

「誰よりも多く仏陀様の教えを聞いたのが阿難陀だ。仏陀様の多くの尊い教えを、『如是我聞にょぜがもん』私はこう聞きましたと、後世に伝えたのだ。そのおかげで仏陀様の亡き今もこうして教えを聞くことが出来るのだぞ。」

 作之助という偉大な父親への不満を募らせている松之助に、今置かれている立場のありがたさを暗に示した雲十であった。

 こうやって話す相手に合わせて解説の内容が変わるから、猿彦にとっても別の視点が得られる貴重な時間であった。

 元々頭の良い松之助であったから、写経が終わる一月後ひとつきごには全文を暗唱できるようになっていた。その速さに、「やっぱり松之助はスゴイと!」と、猿彦はより一層松之助を尊敬するようになったのだった。「きっとこの天草を背負って立つ男になると!」と。

 そんな松之助が寺へ通い始めて二日目の朝。寺から村へ戻ると多くの人が集まって騒がしかった。絵踏みが行われるのだ。

 作之助は絵踏みを決意すると、すぐに太郎兵衛たろべえに絵踏みの準備を頼んだ。松之助が言うには、伴天連の会ではマリアの絵を掲げていたと言う。それでイエスとマリアの二枚の踏み絵を使うことにした。太郎兵衛はすぐに川向こうの村の与兵衛よへえの所へ行った。

 与兵衛は笑うと歯の抜けた口を見せる小柄な男で、何の変哲もない農民だ。しかし実は彫り師でもある。見た通りの絵を木に彫ることが出来る特異な才を持っていて、島原の乱の前には頼まれればイエスやマリアを彫っていた。

 与兵衛の家へ行った太郎兵衛は驚いた。家の前に材木が積み上げてあり、家の中は仏像でいっぱいだった。与兵衛によると、天草の代官である鈴木重成すずきしげなり公が曹洞宗の僧侶である兄、正三を招いて仏教寺ぶっきょうでらをいくつも建立しようとしているそうなのだ。

「切支丹たちを改宗させると。んで、大きいのから小さいのまでいくつでも仏さんを彫ってほしいって頼まれたと。忙しか。」

 与兵衛の息子が木を仏像の大きさに切ったり、与兵衛の彫った像を麻布でこすって磨いたりして手伝っていた。

「そこをすまんが、踏み絵を彫ってほしいと。すぐに欲しいと。してもらえんか?」

「踏み絵なら一枚あると。」

 そう言って十字に磔になったイエスの彫られた板を差し出した。重成公は絵踏みも敢行していたから、与兵衛は踏み絵もいくつか彫っていたのだ。

「マリアもか?それなら一晩で彫れると。明日また来い。」

 それで、次の日には二枚の踏み絵が揃い準備はできた。

 松之助をビンタしてから三日目の朝、太陽が顔を出すと七人の男達が名簿を片手に家々を回った。絵踏みの召集を始めたのだ。

 

つづく


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