大切な名古屋の思い出
2014年7月の名古屋。
名古屋に出張でしばらく滞在していて,仕事が忙しくて休みがなかった。
とても暑かった。
イケイケのミッドランドスクエアや,モード学園の奇抜な建物。
大阪の都会から来たはずなのに,
名古屋の「おしゃれ」というものはまたちょっとちがっていて新鮮だった。
高級そうなものや,ミーハーっぽい女子が好きそうなお店がズラーッと並ぶ。
ミッドランドスクエアは当時,おしゃれすぎてわけがわからなかった。
どうやって買ったらいいのかすらわからない,レジらしきものもないカフェなのか,
雑貨店なのか,とにかくおしゃれでわけがわからない。
オープンエアのカフェには人がびっしりで,名古屋の人の好みを初めて知る。
やっと休みの日,映画館にいってひとりでジブリの「思い出のマーニー」を見に行った。
名古屋滞在は何か自分のなかで特別なものになる気がしていて,
この映画もそんな気持ちで有難がって見に行った。
内容も良かったけど,最後のエンドロールで,プリシラ・アーンの曲に号泣した。嗚咽するほどに。
(よくある。他の映画では,これまたジブリの「かぐや姫」も嗚咽級だった・・)
ひとりじゃないよ,
って,全方位から言ってもらえた気がしたのを覚えている。
もうひとつの思い出は,名古屋出張に持っていった本が
はじめての「アナスタシア」だったということ。(ウラジーミル・メグレ)
大好きになる本は,私にとって「うっ・・・できれば読みたくないなあ。腰が重いなあ」という初めの印象が多い。
事前情報がなしでも,なぜか読みたくないと思う。
「うう〜これは家で読むのはきつそうだから,カフェで頑張って本を開こう」
「出張に持っていって気晴らしになればいいな・・」など,
そしてこの時もそんな気持ちで名古屋にお伴した。
「アナスタシア」はロシアの過去の共産主義の運動からお話が始まり,ページが進まなかった。
実業家のメグレ氏が,政治的運動中の大衆にウォッカをおごる。
でも謎の世捨て人・アナスタシアが登場すると,もう止まらなかった。
影響されやすい染まりやすい性質の私(でもそれもその時の「状態」でしかない)は,
滞在していた小さな部屋がキラッキラに見えた。細かい光の粒子と,いい香りの花が飛んでいた。(よく飛ぶ)
アナスタシアの世界。きらきら煌めいていて,でも論理的で(?)なんて素敵なの。
出会えて良かった!
おかげで夢のような気持ちで名古屋を過ごした。
今日は仕事かえりに,杉のエッセンシャルオイルを買おう。
シベリア杉ではないけど,というかシベリア杉は杉ではなく「松」らしいけど,
とにかく森の香りを感じたい・・・うっとりと。
そしてシダーウッドのアロマオイルを買って,照明を暗くして,タオルにオイルを垂らして,深く深呼吸。
アナスタシアにあった,「想像・創造したいこと」をワックワクの気持ちでイメージした。
なぜ想像と創造はおなじ「そうぞう」なのか。
日本語に(その他言語もかもだけど)ヒントが込められている。創造主のイメージの力,そこからこの世界は出来ているという。
人間のイメージの力。
何事も,まずは想像から始まる。
どんなデザインも,住みたい家も,料理も・・・自分の未来も。
緻密にイメージを頭に思い浮かべるほど,そして感情を伴って楽しい気持ち,嬉しい気持ちで描くほど・・・・さあ,どうなるのでしょう。
シダーウッドのうっとりする香りを吸い込みながら,こうなればいいな・・なことをいくつか集中して想像した。
2015年中にプロポーズされて,大阪を離れて京都に住めますように。(ちなみに当時,相手とは結婚の「け」もない)
大都会を一刻も早く離れて,地方にいけますように。
そこで畑などをして,本来の人間の暮らしができますように。
これからの暮らしの基盤固め,自分の人生の基盤固めができますように。
結婚指輪やハネムーンなどいりませんから,広い庭付きの家をください。
幸せだった。またまた花がたくさん飛んでいた。
自分の想像に惚れ惚れし,数日間夢見心地だった。(仕事・・?)
そのときから,自分のお気に入りアロマは断然・ウッディー系になった。
同じ時名古屋でも,大阪でも,なぜかツバメとアオスジアゲハが目についた。
大阪の駐輪場で,自分の自転車の前の壁にアオスジアゲハのさなぎがあった(調べた)。
地下鉄のホームにも,地下なのにアオスジアゲハが掲示板に止まっていたのには笑った。
名古屋でも巨大ビル群のなかによくツバメとアオスジアゲハを同時に見たりして,何か自分のなかで,変化の兆しを感じていた。
というわけであの2014年の名古屋は,都会が苦手なはずなのに,とても印象に残っている。
うっとりするような,キラキラしているような,夢のような名古屋だった。
そしてそれから1年後の夏,妊娠,結婚,退職,引っ越しが怒涛のように始まるのであった・・・
(断じて意図的ではない)
思った形とは完全に同じではなかったけど,大きな,大きすぎる「こども」という予想だにしなかったプラスαがついてきたけど(もはやメインでしかない・・でも笑える),
そのあとひたすらに数年間育児どっぷり!せざるを得なかったけど。
今では,当時願ったこれら,すべて叶っている不思議。
(唯一全く叶わなかったのは,実姉との仲かな・・)
私は9年周期を意識していて,とすれば2014年は9で「おわり」の年だった。
妊娠してすべてが暴力的に変わった2015年は「はじまり」の1。
どっぷり9年間,30分おきのオムツ変えや基礎固めにいそいそ取り組んで,
(「専業主婦は誰にも認めてもらえない!!!!やって全部当たり前!!!奴隷のような気持ちになるし,奴隷やと思ってるんやろ!!!!!」「おもちゃ片付けて!!!」「玄関片付けて!!!」「片付けて!!!」「片付けないとおやつなしにするで!」など)
ようやく2024年,螺旋階段一回りして,またはじまる「1」なのです。
前回のキラキラ名古屋で暗示されて,
イメージしたのは「本来の自分で生きるため,自分の場所をつくるための暮らしの基礎固め」
(実際はプラス,鬼の育児×2・・・ゼーゼー。上で見ていた子どもたちと目的が一致したのか。「ママのところに来て良かった」と最近おもむろに言われる。)
今回のテーマは。
これまたそろそろ,違うアロマオイルでも焚いて,ふくふくとイメージしてもいいかもしれない。
ただ,イメージするということは私にとって簡単じゃない。
その気になるのが難しく,そしてイメージはとてもエネルギーをつかうものでもある。
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