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初めての転職…と見せかけてエイヤと海外に飛んだ話

時間の流れは速いもので、新卒で入った会社を辞めてはや10年。
当時の私は、金融業界向けの業務用システムを開発していたSIerで5年目になり、自分の将来を考え、転職活動をしてみようとしていました。
シンプルに仕事が忙しかったのと、割り振られる案件に一貫性がなく身についたスキルもあまりなかったのと、お給料が振るわなかったのとで、人生に迷いを感じていたわけですね。若い。

ピンとこない転職活動

当時はまだまだ開発者枠だったので、IT系の転職イベントを覗いたり、転職サイトでエンジニアの募集を眺めたりしていたのですが、これがまあピンとこないやらそそられないやら。

>割り振られる案件に一貫性がなく
なんて書きましたが、これが気持ち的に高いハードルになりました。
「なんか色々なことをちょこちょこやってたけど、やりきった!と言えたり、自信があるものが特にない」
「かといって、これを突き詰めたいというほど思い入れや興味のある技術もない」

はて……?
(何もわからないPJに放り込まれた経験は豊富だったため)どこに行っても一定なんとかなる気はするが、私はいったいどこに行けば……??

転機となった車内広告

仕事は相変わらずで、将来について考えるとモヤモヤするけれども、次にどこに行こうという決め手になるものもない。人はこういう時に停滞を選んでしまうのか、人生の怠慢――といったことを考えていたのかどうかは定かでありませんが、ある日山手線の車内広告で見つけたんです。

青年海外協力隊

今は対象年齢の扱いが変わっているのですが、当時の”青年”海外協力隊の対象年齢はもっと幅が狭いものでした。

ポスターを見て「ああ、聞いたことあるな」、対象年齢を見て「これって今しかできないんじゃない?」と思いました。
今しかできない。
……逆に転職っていつでもできるよね?

応募しちゃいました

家で協力隊について調べてみたところ、これがなかなか面白そう。
なんとなく現地に行って井戸を掘ったり、衛生教育したりするイメージでしたが、想像の10倍は職種がありました。
そして、大量の職種の中に、IT技術者向けの「コンピューター技術」「PCインストラクター」という自分の経験が活かせそうなものを見つけたのです。

募集の中にモンゴルが……!

元々、大学時代にモンゴル旅行にはまっていた私は、社会人になっても1~2年目くらいは夏休みにモンゴルに行っていました。
が、その後数年はモンゴルどころか海外旅行……というか旅行がご無沙汰。

どうせ行くなら馴染みのある国がいいよね、さすがに言葉は覚えてないけど文字も読めるし……。
そんなノリで派遣先をモンゴルにして募集を検索してみると、PCインストラクターの募集が1件だけありました。

これは応募するしかない!

受かっちゃいました

健康診断に行ったり、TOEIC受けたり、なんやかんやと応募に必要なものを準備して、就活以来の面接に臨み、なんと無事に合格通知を受け取りました。

派遣先の話

ちなみに、派遣先は自分の希望した場所にならないこともあります。
応募者が複数いたり、面接内容などを踏まえた適正による判断だったり、理由は様々かと思います。
実際に私はモンゴルで応募していましたが、合格したのはキルギスでした。

面接で「もし合格して、行き先がモンゴルじゃなかったらどうするか?」という質問をされ、「別に違う国でも良いですが、暑いのは苦手です」と返したのですが、後半が重視されたのでは……と今でも思っています。

休職か、退職か?

元々働いていて合格した人の中には、退職して参加する人と、休職して参加する人の2パターンがあります。
後者のことを「現職参加」と呼び、雇用の維持にかかる経費をJICAが補助するような仕組みもあります。
自分の職場にこういった制度があるか確認してみると、ギャンブル感を減らす助けになるかもしれません。

残念ながら、私の当時の職場ではこういった制度の利用はできず、また、休職の制度は療養と出産・育児に限られるという会社判断により、退職することになりました。

派遣された2年間で得たもの

健康

いや、ガチです。
仕事が忙しかったことによるストレスと睡眠不足等により「なんか元気がなかった(byホストマザー)」と称された私ですが、ゆとりのあるロハスな生活、および、デジタルデトックスによりとても元気に!

食生活が合わなかったり、慣れない国での生活によるストレスに苛まれたりで、体調をくずしてしまう人もいるので、この辺りは本当に相性なのではないでしょうか。
よくわからないものを食べたりした割に、おなかを壊したことも一度もなかったので、私の腸内細菌的なものとキルギスは相性が良かった説を提唱しています。

語学力

特に、都会ではなく田舎に派遣された人は、否が応でも語学力が身につくと思います。
キルギスはロシア語・キルギス語あたりが主要言語なので、日本語で話す機会はもちろん、英語を耳にする機会も限定的でした。
さらに、私はホームステイをしていたこともあり、ホストファミリーとコミュニケーションを取るために下手でも話さなければならず、最初に比べると随分上達したはずです。

語学の神髄を理解した二年間でした。
即ち、語学は使えば覚える、使わなければ忘れる

視野の広さ

これには色々な意味がありますが、その中から特に自分にとっての価値が大きい二つをピックアップします。

一つ目は、社会人になって狭くなった世界を再び広げること。
皆さんが自覚しているかいないかわかりませんが、おそらく特定の職に就くことで、学生時代よりもずっと接する人の幅が狭くなっているはずです。
仕事や趣味といったパスを通じて繋がる誰かはいるでしょうが、自分が全く予期せぬ誰かが急に飛び込んでくる、となるとどうでしょうか?
協力隊の活動では、非常に様々な背景を持つ人と、かなり深い関係を築くことになります。

例えば、幼稚園・保育園の先生、建築士、獣医、植物検疫の専門家、料理人、スポーツインストラクター、観光ガイド、運転手エトセトラエトセトラ……。
職業に応じて、色々なノウハウがあり、価値観があり、行動パターンがあり、あと闇もあり

あらゆる国に派遣される、あらゆる職種の人が集まる派遣前訓練だけでも随分色々な学びがありました。

二つ目は、常識の疑い方を覚えること。
常識や固定観念に囚われているかどうかは、同じ常識や固定観念を持つ集団に所属している限り、自分では判断できません。

  • 家って専門家が建てるものだっけ

  • 定職につかないといけないんだっけ

  • 野菜は一年中手に入るものなんだっけ

  • お風呂って毎日入るのが当然なんだっけ

  • 仕事を休むのは悪いことなんだっけ

  • 徒歩では国境って越えられないんだっけ

  • 違う言語同士では会話って成り立たないんだっけ

2年間は長いようで短いようで、ただ、密度が濃いのは確かです。その密度の中には大量の「マジかよ」と「そういうのもありか」がひしめいていて、ふとした瞬間に取り出して眺めることができます。
自分の中の常識なんて案外大したものじゃない。そう実例付きで思えることは、私たちをちょっと生きやすくしてくれるかもしれません。

逃げ場

もはやキルギスは第二の故郷です。
ちょっと壮大な話をしますが、仮に、ただただ全てが嫌になったとして、「安心して逃げ込めるし、誰も追ってこない場所」が選択肢としてあると、人生に余裕が生まれる……ような気がします。

やらかして仕事をクビになっても、
会社が突然倒産しても、
何かで急に家がなくなっても、
やろうと思えば年単位でキルギスの片田舎でダラダラ暮らせるし!

そんなことを思いつつ、転職活動の代わりに協力隊に応募したのは良い選択だったと自賛するのでした。


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