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今は無き思い出の書斎の話


憧れの図書室、というと思い出すのはいつでも『美女と野獣』のお城の中の、天井までギッシリと本が詰まったあの図書室。優美な曲線の階段もあるけれど、階段に登ったところで到底届かなそうな……魔法があるからいいのか。
あれはもちろんフィクションですし、自分のための空間というには些か壮大すぎます。もはや何がどこにあるかもわからなくなりそうですね。

それよりもっとコンパクトな、手の届く範囲の自分と本のための空間、つまり書斎を思い描くと、今は亡き祖父の書斎を思い出します。

間取りとか、本以外のアイテム

入り口は祖父母の寝室のヘッドボード側。
今は“昭和レトロガラス”なんて呼ばれているらしい、模様付きのガラスの引き戸を開けると書斎があります。

書斎の東側に大きな引き違い窓、西側にスリットのルーバー窓。
その引き違い窓の正面に重厚な印象の黒っぽい木で作られた書き物机があり、おしゃれな彫刻が施され、深緑のベルベットが張られた背もたれの、これまた木製の肘掛け椅子が置かれています。

机の上には付箋やノート、筆記用具、文鎮なんかが並んでいて、机の足元に設けられた棚にはぎっしりとファイルが格納されています。
ファイルには、新聞記者をしていた祖父の、自身の記事が丁寧にスクラップされており、記事が掲載された日付や、ちょっとした所感なども書かれていました。

また、引き出し窓の外側、ちょっと見下ろすとよく見えるところは花壇になっていて、白い壁にムスカリの紫がよく映えていました。そのムスカリのあたりにはきれいな黄緑色のアマガエルがたくさん住んでいて、庭で遊びながら捕まえては窓から祖父に見せた記憶もあります。

部屋の真ん中には座卓。
そして、座卓の下には床下収納が。この床下収納の中には、酒好きだった祖父が秘蔵の酒瓶たちを隠して(?)いました。
私が大きくなったら一緒に飲もうと言われていましたが、その機会がなかったのが残念です。

ガラス扉の本棚

部屋の入口のすぐ左手、ちょうど横に引いたガラス戸にぴったりと背をつけるようにして、両開きのガラス扉のついた本棚があります。
これが子供の私が一番お世話になった棚です。

この棚には小説が入っていました。
中でも気に入ってよく手に取っていたのが『名著復刻全集』(画像検索した結果、おそらくこれと思われる)。
いわゆる”芸術品”の側面を持った本に初めて触れた時でもありました。

まず、本によって異なるデザインのブックケース。
そこからそっと取り出した本は、油紙に包まれています。
その包みを丁寧に解くと、布張りの表紙と、それぞれの作品の世界観を反映した、レトロで美しい箔押しが現れます。
表紙に手をすべらせ、本をぱたりと開くと、和紙でしょうか。透かしの紙が一枚入っていて、うっすらと扉絵を浮かび上がらせます。
また、文章が書かれているページに美しい枠線が引かれていたり、枠線だけに色がついていたりと、さらなる装飾が加えられたものもありました。

作品の世界に飛び込む前に施されたいくつかの工夫が、本を手に取る度に心をわくわくさせたものです。

また、活版印刷を再現したこれらの本は、自分が読んでいたオフセット印刷の書籍とは違い、文字の並びがどこか不規則で、濁音符などの記号が変な位置に飛んでいる(今思えば、活字の向きを間違えたとかだったのでしょうが)のを見つけるとは、愛嬌のようなものを感じていました。

ぽっぺん

ガラス扉の本棚にはいくつか祖父母が旅先で買った工芸品も飾られていました。
その中の一つがぽっぺんです。
小さい頃は吹き方を教えてもらって、ぺこぺこいわせて遊んでいたものですが、「ガラスが割れやすいものだ」と学んでしまってからは、壊すのが怖くて触れられなくなってしまいました。

芝居、芝居、芝居

さて、ガラスの本棚がある以外の部屋の壁はぐるりと天井まである本棚で囲まれています。
部屋を入った真正面の棚には、絵の入った箱がしまわれていたりもしましたが、それ以外は本の類がギッシリと。

何分子供の頃の記憶なので、自分の身長より高いところにあった本がなんだったのかは定かでないのですが、当時の私の目と手が届く範囲にあるのは、ほぼ全てが演劇関係でした。
お芝居の原作、脚本、演劇論、芝居のパンフレット、舞台の写真集……

というのも、祖父は(正確にはいつからの専門なのか知りませんが)、演劇の批評記事等を主に書く人だったからです。

私がシェイクスピアを初めて読んだのは祖父の書斎でしたし、歌舞伎のメイクを押隈というアイテムで初めて見たのも祖父の書斎でしたし、京劇というジャンルを初めて知ったのも祖父の書斎でした。

書斎で過ごした時間

この記事を書くにあたり、色々記憶を辿ってみたのですが、一つ思い出すと芋づる式にずるずると記憶が蘇ってきました。

夕方、西側の窓から射す西日が、本棚に三角形を描いていたことだとか、
座卓で時々宿題をしていたけど本という誘惑が多くて捗らなかったとか、
書斎の裏手が田んぼで夏場に西側の窓を開けているとぐわぐわカエルの鳴く声がよく聞こえたことだとか、
親と喧嘩したら書斎に籠っていただとか、
東側の窓のすぐ脇にとても大きな白樺が立っていたのに、雷が落ちて焼けてしまっただとか。

今となっては、この世のどこにもない書斎ですし、もしかすると”本やパンフレットといったものを物質的に持つ”という時代はどこかで終わってしまうのかもしれませんが、やっぱりあんな書斎にまたいつか入り浸りたいと思うのでした。

#わたしの本棚

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