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クリスマスよりも遠くに

品の無い、騒がしいBGMが耳の中で響く。
ポテト、刺身の盛り合わせ、エビとアボカドのサラダ、生ビール。
可愛げのない料理ばかりが私の目の前に並んでいる。
定年退職したおじさんばかりが集まるような大衆居酒屋で、
私は一人、昼間からお酒をかきこんでいた。


『板玉居酒屋!全品四百五十円!板玉居酒屋!早い安い美味い!』
安く雇ったであろうおじさんの声で、芸の無い言葉の羅列が頭の中をぐるぐる回る。
きっとこのBGMも、私以外誰も聞いてすらいない。
それくらい無に等しい、音を付けただけの空気だ。

12月24日、皮肉にも雪が降っている。

「姉ちゃん!クリスマスに1人で酒飲んでんの!?寂しいね〜」

酔っ払った中年男性は私の背中に言葉を投げるが、知ったことでは無かった。
私は店員に枝豆を頼むと、生ビールをまた一気に飲み干した。

クリスマスが嫌いだ。
小学生の頃から、世間の浮ついた空気が息苦しかった。
クリスマスだから何だと言うのだ。
初めてクリスマスパーティーにお呼ばれした小学5年生の年にはその気持ちもブクブクと膨れ、
高校生の頃から「クリスマスまでに彼氏欲しい〜」と嘆く友人に嫌悪感すら覚えた。

街の装飾やBGM、自然とカップルも増えてニヤつく人々。
会社では当たり前のように「クリスマスは何をするの?」と聞く上司もいる。
クリスマスは、まるで大気汚染のように
私の身体を包み込んでくるのだ。
逃げ込んだ先に見つけた汚い居酒屋ですら、面白がったおじさんたちが私に言葉をぶつけた。

「姉ちゃん、クリスマスなんだからデートでもして来いよ」

ケタケタと笑うおじさんの言葉を無視する代わりに、ビールのジョッキを力強く机に置いた時、居酒屋のドアがガラガラと開いた。
私と同じくらいの歳をした女性だった。

「おじさん、いつものセットでお願い」

店主らしき男性が片手を挙げた。
タイトなワンピースを着た女性は見るからに仕事が出来そうな強い女性だった。

「お、洋子ちゃん!今日はデートじゃ無いんかい?」

おじさんたちは女性に気安く声を掛ける。
どうやら彼女は店の常連だ。
小綺麗な身なりと居酒屋の品の悪さがミスマッチで、不思議な気持ちだった。

「クリスマスにデートなんて虫唾が走るもの」

おじさんたちは口々に何かを発していたが、満更でも無さそうである。
女性は立ったままカウンターでビールを受け取ると、
私の方へやってきて正面の椅子に座った。

「ご一緒しても良い?」

女性の笑い方はクールで綺麗だった。
私は萎縮しながらも頷いた。
彼女は名前をフルネームで紹介してきたので、私も橋爪ミコと名乗った。
カタカナでミコと書く私の名前を、洋子さんは可愛いと言った。

「洋子さんもクリスマスが嫌いなんですか?」

私の問いに、彼女はクスッと笑った。

「大嫌い。1年で一番嫌いな日」

私は黙々と刺身の盛り合わせを食べた。
洋子さんの存在は居酒屋でとても大きいようで、
おじさんたちは洋子さんと会話をすることに必死になった。
お皿が空になった頃、私は漸く洋子さんと話せる順番が回ってきた。

「本当は今年も家に籠ろうと思ってたんです」

家で1日中静かに過ごしていれば、
クリスマスなんて無かったかのように終えることが出来た。
それでも今日、朝になって突然家を出てしまったのは、
母親からのクリスマスプレゼントが贈られてきたからだった。

わざとらしい、サンタクロースの形をしたクリスマスカード。
今年の母は機嫌が良かった。
贈り物のクッキーも、賞味期限が過ぎていなくて
まるで過去の嫌がらせを精算するかのように、2段重ねのものが選ばれていた。
全身が嫌悪感を覆って、私は逃げるようにして家を出たのだ。

洋子さんは私を深く問い詰めず、じっと見つめた。

「そんな嫌なクリスマスからは、逃げてしまおう」

彼女は机にお札を数枚勢いよく置いて、私の手を引いた。

「いや、私の分のお会計が」

財布を出させる暇もなく、彼女の腕は力強かった。

「おじさん!これ2人分ね」

彼女となら、クリスマスから逃げ出せるかもしれない。


寒空の下で、私はさっき会ったばかりの女性と、
白い息を吐きながら歩いていた。
雪は穏やかではあるが、チラチラと降り続いている。
私たちは高架下に沿って歩いて、自動販売機でお酒を買った。

「クリスマスって、幸せの象徴なんだよね。
だから、クリスマスに手を掲げて見せる幸せが無い人たちは、途端に焦り出すんでしょう」

洋子さんは私の目をチラチラと見ながら話す。
彼女はストッキングにハイヒールを履いていて、見るからに寒そうだ。

「私の家は昔からあんまり上手くいってなくてさ。
それでも表面上は幸せな家庭を装ってたの。
母は毎年クリスマスツリーを飾って、
家に帰らない父の存在を消したように、豪華なクリスマスパーティーをしてた。
私と兄も見て見ぬふりでケーキをつついてたんだけど、
中学3年生の時、兄がツリーを蹴って倒したことがあって、
あの時にふと『終わったな』って思ったんだよね。
それからクリスマスは大嫌い」

洋子さんは歩きながら缶ビールを開けた。
品のある彼女からは想像つかない姿だったが、
彼女は笑った。

「ま、クリスマスだし」

彼女の発する『クリスマス』には嫌味が感じられなくて、
釣られて私も缶ビールを開けた。


結局私たちは団地の近くにある小さな公園で落ち着くことになった。
お金のない学生カップルももう少し大きな公園に行くし、
雪がチラついている公園に居るのは半袖でも平気な小学生ばかりだった。

洋子さんが「ちょっと待ってて」と言ったので、
私は鼻を啜りながらベンチに腰掛けた。
もう少し暖かい格好をしてくれば良かったが、寒さに振られてもこの時間を逃したく無かった。

ぼんやりと公園の様子を見ていると、
息を切らして走り回っている子供の1人が、
こちらにやってきて無邪気に聞いてきた。

「お姉さん、サンタさんに何頼んだの??
僕はね、ライダーベルト!変身出来るようになるんだって!」

私は口を開けてパクパクしてしまった。
漸く溢れ出た「良いね、私も変身したい」がやっとだったが、
少年は満足げに走り出した。
求めているのは質問の返事ではなく、話を聞いて欲しかったのだろう。
小学生の軍団は10人程居て、
今日が幸せな子供はこの中に何人いるのかと考えた。

「ごめんなさい、お待たせしちゃって」

洋子さんはちゃんと戻ってきた。
このままどこかへ行っても仕方がないと思っていたので、
心がじわりと暖かくなった。
学校帰り、親の姿を見つけた子供に近い気持ちだろうか。
洋子さんは私に、カイロと熱々のおでんを渡してくれた。

「コンビニも浮かれていて、あんまり入りたくないよね。
私、一番激しいバンドの歌聴きながら買ってきたんだ」

洋子さんがクスッと笑うので、私もつられて笑った。
洋子さんは見ず知らずの人なのに、どこか親近感があって暖かい感じがした。

「うちには昔からサンタなんて来たことないんですけど、
友達に言えなくて、毎年嘘ついてました」

ちくわを頬張ると、おでんの出汁がじわっと滲み出た。

「多分、この小学生の中にもいると思うよ。
クリスマスを知らない子が」

クリスマスは、みんな平等に来てしまう。
波に乗れない子供達は、本当は溺れているのに自力で息継ぎをするしか無いのだ。
大人になった私だって、漸く浜辺には上がれたけど
やはり襲いかかる波に追いかけられ続けている。
洋子さんはカバンからタバコとライターを取り出すと、慣れた手つきで火を付けた。

「ミコちゃんも吸う?」

私は静かに首を横に振った。

「タバコ吸ったことないので」

「良いんじゃない?クリスマスだし」

洋子さんは意地の悪そうな顔をして笑っていた。
彼女のいう『クリスマス』はやっぱり嫌な気がしなかった。

「じゃあ」

私はタバコに火を付けて貰って、軽く息を吸ったが
思いの外煙が喉の奥に入り、咽せた。
洋子さんは楽しそうだった。
初めて吸ったタバコに、少しだけ気持ちが浮ついた。

タバコの煙が空へ上がっていく。
サンタクロースの元に届くだろうか。
私たちの反逆心を見せつけてやりたいなと思った。
幸せしか考えたことのないサンタクロースは、
さぞかし驚くに違いない。

私と洋子さんの右手はタバコを掲げていた。
上手く挟めないほどに指は悴んでいたが、
もう少しこの時間が続くことを強く願った。


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