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東京サルベージ【第10回 ■鎌倉炎上と宝塚】


最近、すっかり宝塚づいてしまっている自分に怖れおののいている。先日などは、忙しい中、職場の70代の嘱託の方とふとしたことから宝塚に関するメールで盛り上がってしまい(何をやっているのだ・・・)と呆然とする想いだった。基本私は、(本当はそこまで好きではないんだけどね)という態度を強調したいタイプの人間なので、基本ガードが堅いのだが、ついつい熱量のある内容になってしまうことがあり困ったもんだなと自戒している。

 

 で、ヅカ好きさん達の「宝塚でやってもらいたい作品って何?」という話題になることがある。聞かれると、(はて、何でしょうねえ)と誤魔化すのだけど、最近切望しているのは「鎌倉炎上」である。何すか、それ?といぶかしがる方が多いと思われるが、「大河ドラマ史上屈指の名作」と私が勝手に思っている作品である。いや、そんな作品無いでしょ?とつっこみが入りそうだが、厳密には1991年に放送された「太平記」の第22回、それが「鎌倉炎上」である。鎌倉幕府得宗家の北条一族が滅亡するくだりであり、中盤のクライマックス(宝塚的には中詰)である。脚本は「麒麟がくる」の池端俊作であり、主役の足利尊氏を真田広之が演じていた。

 先日、奇しくもその「鎌倉炎上」の回が、BSで再放送されている「太平記」で再放送された。(奇しくもというか「麒麟がくる」にあわせた再放送なのだけど)震えて鑑賞した末、「やっぱり名作だ、これはもう宝塚で絶対リメイクしてくれないかなと上田久美子先生」、と思った次第なのである。(上田久美子先生は、今度南北朝ものを宝塚で手掛けられる気鋭の演出家である。)

小僧の頃、この「鎌倉炎上」見終わった後に呆然としたのを覚えている。(マジ・・・?真田広之、ほとんど出てないじゃん・・・)そう、主役の足利尊氏(当時は改名前で高氏)は、最後の数分に、鎌倉陥落の知らせを受けるというシーンがあるのみという大胆な構成だったのだ。

高氏は、史実どおりに京都の六波羅探題を攻略後であり鎌倉にはいないので、尺のほとんどは苦心の末に鎌倉に攻略をする新田義貞と北条一族の散華に割いている。最近の大河みたく、主人公が、史実を無視してお忍びで攻略に参戦していたりとか、実は攻略の秘策を授けていたんですよ、うっしっし、といったようなことはせず、ただひたすらに鎌倉を防衛する側と攻略する側に筆が割かれているのである。「事務所から抗議が来てます!」「主人公?鎌倉にいねえんだから出せるわけねえじゃねえかよ!!」という政策会議の怒号が聞こえそうである。

鎌倉幕府末期。暗愚な北条得宗家の高時と、権力を欲しいままにし専横を究める内管領、長崎円喜・高資親子への不満は高まり、後醍醐天皇の檄のもと全国で反北条家の火の手があがっていた。京都六波羅は朝廷側に寝返った源氏の足利高氏によって攻略され、鎌倉には同じ源氏の新田義貞率いる軍が攻め入る。鎌倉方に比べると兵力も少なく、天然の要塞である鎌倉を攻めあぐねていた。義貞は、稲村ケ崎の潮の満ち引きを利用して、潮の引いた海路から騎馬による突撃を敢行することを思いつく。この奇襲でもって鎌倉は攻略され炎上し、栄華を誇った北条家は菩提寺の東勝寺にて一族もろとも自害する、というのがこの回のあらすじである。

 改めて見直すと、この北条一族の散華の描き方がきわめて「あの」世界観に合うことに気づいた。そう宝塚である。

まず、先駆けという形で、男気に溢れ、主役の高氏の妻・登子(沢口靖子)の兄であり、幕府の再建を試みながらも果たせなかった悲運の執権・赤橋守時(勝野洋)が討ち死にしていく。彼は、高氏夫人である妹の登子を逃がしたという理由で謹慎中であったが、一族の危機に単騎馳せ参じたのだ。彼は、高氏の意を受けた腹心(大地康雄)が落ち伸びる手はずを整えても戦場を離脱することを潔とせず、妹への言葉を残し「どれ、もうひと合戦」と武士の面目に殉じていく。(宝塚的男前度数☆☆☆☆☆)

続いて、権力をほしいままにし、反北条の機運をあげさせてしまった張本人である長崎親子の息子の方である高資(西岡徳馬)が、深い手傷を負い、北条一族が逃れた菩提寺・東勝寺に引き上げてくる。彼は鎌倉防衛の指揮をとっていたのだ。東勝寺では、太守の北条高時(片岡鶴太郎)を慕う田楽一座にものたちにより、別れの宴が開かれている。その彼が真っ先に自刃する。表情を変えずにしわがれた声で息子の死を報告する長崎円喜(フランキー堺)に対して、「さても気短な・・・もう死んだのかえ。まだ舞は残っているのに」と、高資の無粋を嘆き、更に舞を進める高時。(宝塚的・滅びの美学度数☆☆☆☆)

続いて、太守の北条高時。彼は、一族の総領でありながら、政ごとに感心を示さず、闘犬や歌舞音曲にうつつを抜かし、本人も「高時はのう、つむりが弱うて疲れる」と嘆いていた男である。ただ、鎌倉を落ち伸びる周囲の声には「鎌倉あっての北条ぞ、ここは動かん」ときっぱり拒絶し、別れの宴を催しているのだ。彼は宴に先だって、「わしが死のうと申せば共に死んでくれるかえ?」と愛妾に死化粧を施している。周囲に暗愚とさげすまれた彼だったが、田楽一座のものたちだけは、「我らは太守様のご恩顧で永らえてきたもの。どうかお側に」と慕ってついてきている。(宝塚的・お耽美度数☆☆☆☆☆)

その高時が皆に先駆けて自刃しなければならなくなる。「世の中、謡のようにはまいらん。さらばこの高時も甘んじて地獄に堕ち、世の畜生道をしばしあの世から見物いたすとするかのう」、始めは余裕があるように振る舞っていた高時だが、自害の準備を進め、敵の喚声が聞こえだすと「敵が来たのか!」と動揺をしだす。「どうぞお取り乱しなく北条九代の終わりを潔くあそばされますように」母親から自害を見届けるよう派遣された尼の渓春尼が、高時を激励する。彼はもう落ち着きを失っているのだ。「太守がお寂しそうじゃ、みなここへ!」渓春尼の声に、怖気づく高時を勇気づけようと女房たちが周囲を囲む。「太守を寂しがらせてはないません」太守の高時は、自他共に認める人一倍の寂しがりなのだ。美しい色とりどりの装束の女たちが、高時を何重にも囲み、ついには念仏を唱え始める。(宝塚的娘役絢爛度数☆☆☆☆☆)

高時を中心に花が咲いたかのような光景の中、ついに高時は泣きながら腹に剣を突き立てる。「高時、こういたしましたと母御前におつたえしてくれ」その場に母はいない。母から派遣された渓春尼が眼前に静かに見届けている。名執権とうたわれた父親と比較され続けてきた暗愚な太守の一生を現す一言が泣かせる。(宝塚的絶唱死亡度☆☆☆☆☆)

続いて、高時の美貌の愛妾(小田茜)が「お先に」と自刃しいく。彼女はことばを話さないのではないかというくらいにセリフが無い登場人物なのだが、その死にあたっての立ち居振る舞いは毅然としている。それが引き金となって次々と女たち、一族の者たち、そして田楽一座のものたちが自刃していく。気の弱い先代の執権、金沢貞顕(児玉清)は脇差を手に取り、自害しようとするが鞘におさめ、「貞将、頼むぞ」と愛息子の貞将に脇差を差し出し、心臓を一突きされる。その貞将も返す刀で頸動脈を切り相果てる。(宝塚的群像散華度☆☆☆☆☆)

そんな一族を、数珠を握りしめて見つめているのは、専横を究め、巨悪とうたわれた長崎円喜である。最後の一人となり、炎の中、涙を流しながら読経を続けていた彼は、一族の最期を見届け、見事に腹をかっさばき果てる。感傷的なセリフなど一切ない。ただ腹をかき切った後に、天に向かって突き出された手が握り締める数珠がそれを代弁している。(宝塚的ラスボス度☆☆☆☆☆)

久方ぶりに見た「鎌倉炎上の回」はやはり圧巻だった。北条一族の散華はまるで階段降りのような美しさである。小僧のころに見た映像が頭の中で増幅されて時をあけて見ると、え?こんなもんだったっけということも少なくないけれどやはり心を鷲掴みにする内容である。もしも、叶うことならばこの「鎌倉炎上」を宝塚で見たいものである。宝塚なら、死んだ北条家の人々も、パレードをしながら復活して大階段を降りてくるし、羽根をつけて・・・。

なお、余談だが、私にとって大河ドラマ屈指の名作をもうひとつあげよと言われれば、「鎌倉炎上」と並ぶ名作は「尊氏の死」である。

ええ。「太平記」の最終回ですが、何か?

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取材、執筆のためにつかわせていただきます。