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【言霊ピンポン S.2】第3週

No.13:sideM「廉恥」

「恥ずかしい」と言えば、破廉恥という言葉がある。 「廉恥」とは潔く恥じる心、それを破ると恥知らずとなる。

しかしこのご時世、困ったことに恥を恥と思わない輩も多そう。 恥を知らないということは、自分を客観視できないということ。

幼い子供ならともかく、いい大人が破廉恥なのはいろんな意味で非常にまずい気がする。

人間だもの、時に恥をかくのは仕方ない。 そんな時、己を客観視するのは正直キツイ。 それでもなるべく「廉恥」でいたいものだと自戒を込めて。

No.14:sideH 「ドッペルゲンガー」

「客観視」と言えば、ものごとを他者視線で見ることだけど、自分じゃない自分を実際に客観視できちゃったら、それはドッペルゲンガーと呼ばれるものになる。

面白いのは、エミリー・サジェという女性教師のケース。

生徒が彼女の分身を何度も目撃していたけど、彼女自身はまったく自覚していなかったとか。もう1人の自分が現れ、消えていくって、別次元の自分が電波の混線のように入りこんでしまったのかも?

この世は、思っているよりも多元的な世界かもしれない。

No.15:sideM「アス」

「分身」と言えば、すぐ連想するのがアメリカ映画「アス」。 びっくりホラー映画に見えて、実は風刺の効いた社会派作品だ。

米大統領選真っ最中の今こそ未見の方はぜひ。

No.16:sideH「映し鏡」

「ホラー映画」と言えば、何でこんなに怖いもの人が観たがるんだろう…と思っていた。でも自分も怪談話が大好き!じゃあ何故好きなのか…オカルトなストーリーをみると(ここに真実があった!)と思えるからかもしれない。

だって目に見える世界だけだったら薄っぺらくて嘘っぽい。ホラー映画好きの小説家の「ホラーを見ると、世界の恐ろしさを感じているのが自分だけじゃないって思えてホッとする」…こんな文を読んだことがある。ホラーは現実の映し鏡として人を癒しているのかも。

No.17:sideM「リアリティライン」

「嘘っぽい」と言えば、創作世界における現実感の設定を意味する『リアリティライン』という言葉がある。

実在の場所が舞台の場合でも架空世界のファンタジーでも、その世界なりの『リアル』を演出しなければならない。『リアル』とは『らしさ』。

そこがブレると、その『世界』はとたんに崩壊する。 物語の中で生きようとしていた人々=受け手は迷子になってしまう。

創り手は決してそこで手を抜いてはならないのだ。

No.18:sideH「女に」

「迷子」と言えば、『女に』という谷川俊太郎の詩集に収められた迷子というタイトルのこの一節を思い出した。

あなたが迷子になったら私も地図を捨てる

わたしが探し出してあげる、ではないのだ。一緒に迷い続けようと言うのだ。こんな愛もあるのだなあ。

No.19:sideM 「ピリ・レイスの地図」

「地図」と言えば、これ。

大昔のトルコの海軍軍人が作った地図に、なぜか当時はまだ発見されていなかった南極大陸が描かれていた…というミステリー。

いわゆるオーパーツというやつである。大陸の形は、現在の衛星写真とも一致するという。

ピリ・レイスにこの大陸の存在を教えたのは、宇宙人かはたまた未来人か…? この世はまだまだ未知のロマンにあふれているのかも、と思えるのが楽しい。

例えすべてが壮大なイカサマだったとしても。


取材、執筆のためにつかわせていただきます。